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2009年7月12日のブックマーク (2件)

  • <都市>についてのレッスン(NULPTYX:石田英敬研究室)

    <都市>についてのレッスン 荒木経惟写真集をもとに都市を読む ※準備稿の暫定公開。内容に若干欠落等があります 東京は写真。東京は物語なのだ。 荒木経惟『東京物語』 賢きフビライ汗よ、都市を描き出す言説と都市そのものとをけっして混同してはならないことを、あなたほどよくご存じの方はおられますまい。 ところがしかし、都市と言説のあいだには関係があるのでございます。 イタロ・カルヴィーノ『見えざる都市』「IV. 都市と記号 5」 0. 都市の意味を問う 「場所についてのレッスン」(※公開準備中)では、建築を題材にして、人間の活動の空間が<意味の場>として成立することを学びました。この課では、人々の日常の意味活動が生きられ、様々なコミュニケーションがおこなわれている生活空間としての<都市>について考えてみようと思います。ここでの、私たちの問いは、都市はどのような意味活動の場として生

  • 都市はセミラティスではない

    雑録 都市はセミラティスではない 定柄谷行人集(岩波書店、2004)の第二巻『隠喩としての建築』を遅れ馳せに手にした。この論考は、1983年に講談社から出た同名のに収められていた同名の論考とは別物だが、「自然都市」の節などは、かつての文章がほぼそのまま使われている。で、昔は読み流してしまっていたそのクリストファー・アレグザンダーの都市論についての解説をあらためてちゃんと読んでみると、これがどうも腑に落ちないのだった。また、市川浩の『<中間者>の哲学』(岩波書店、1990)に問題のアレグザンダーの論文「都市はツリーではない」のもう少し精しい解説があるのをみつけて読んでみたのだが、これにも同様に腑に落ちないところがある。あるいは原論文に何か不備でもあるのだろうか。ともあれ、市川の解説をもとに暫し考えてみたところ、もっともらしい筋が見えてきたので、以下に、そのあたりを廻って、『隠喩としての建