フィンランド・ヘルシンキ(Helsinki)で行われた、ヘビーメタルバンド「メタリカ(Metallica)」のコンサートに駆けつけたファンたち。(c)AFP/LEHTIKUVA-Vesa Moilanen 【9月8日 AFP】「ヘビメタのファンとクラシック音楽のファンには、意外に共通点が多い」。英国のヘリオット・ワット大学(Heriot-Watt University)のチームが5日、研究報告を発表した。 メタリカ(Metallica)のようなへビーメタル・ロックのファンは従来、髪を伸ばした学生が中心で、仕事嫌いといったイメージで語られ、モーツァルト(Wolfgan Amadeus Mozart)のファンは、真面目で勤勉だと思われてきた。しかし、調査を行った研究者たちは、両タイプの音楽のファンともに創造的で穏やかだが、内向的にもなり得る傾向を発見した。 一方で異なる点としては、クラシック音
今日3月31日は、凛虞さん主催、rudolf2006さん・うぐいすさん共催の「ハイドン・カルテットの日」です。 ハイドンは「交響曲の父」であるとともに、「弦楽四重奏曲の父」であることは有名な話です。実際、4楽章からなる弦楽四重奏曲形式は、ハイドンの、特に作品20の「太陽四重奏曲」以降の諸作品によって確立されたというのが専門家の考えのようです。 またハイドンは、生涯に60曲以上の膨大な弦楽四重奏曲を作曲しました。しかし残念なことに、「ひばり」「五度」「皇帝」など仇名つきの数曲を除き、今ひとつスポットが当っていないのが現状ではないでしょうか。 しかし、これは私の個人的な意見ですが、ハイドンの弦楽四重奏曲に凡作は1曲もありません。仇名つきでない、ほとんど無名の曲を聴いていても、良い曲だなあと実感させられる場合が多いのです。仇名以外の多くの作品群になかなかスポットが当らないのは、大変残念なことです
「プロムス2008」の最終日、いわゆる「ラスト・ナイト」の熱狂ぶりは、今や日本でもおなじみになりました。そのクライマックスで必ず演奏されるのが、イギリス国民にとって「第二の国歌」といわれる、エルガーの「威風堂々第1番」です。 さて今年「ラスト・ナイト」を指揮するのは、独特のノン・ヴィブラート奏法(本人は「ピュア・トーン」という表現を好んで用いますが)で知られるサー・ロジャー・ノリントン(74;写真)なのですが、彼のトレードマークであるノン・ヴィブラートで「威風堂々」を演奏するのはいかがなものか、という意見がイギリスの高級紙「タイムズ」に掲載され話題になっています。 「希望と栄光の国にはヴィブラートが必要だ」("Land of Hope and Glory needs proper vibrato")と題されたこのコラムでStephen Pollard 氏は「ヴィブラートの無いエルガーは、枯
HIPの楽しみ HIPとは何か 作曲された当時の楽器(オリジナル楽器、ピリオド楽器)を用い、楽譜や奏法に関しても作曲当時の情報を可能な限り調べてオリジナルに近い形で演奏するという、いわゆるHIP (Historically Informed Performance) は、近年ますます盛んになっています。今や、ハイドン、モーツァルトは言わずもがな、ベートーベンやシューベルトも、HIPを抜きにしては語ることは困難になってきました。 これらは単に古い楽器やそのレプリカを使って懐古趣味の演奏をするとか、あるいは学問的な関心のみによる学究的な演奏を行うものでは、もちろんありません。演奏史的に見れば、主として19世紀以降に、大きな音を出すことを目的に楽器が改造され、それに伴って演奏法も大きく変化していったわけですが、いったんそうした「慣習」をクリアし、作曲家が本来頭に描いた音とはどんなものだったのか、
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この前、たぶんとっっっっっても偉い高僧(85歳)のお経を聴く機会がありました。 普段は西洋音楽にウツツを抜かしていますから、テクストに関して知識を持たない以上、あえて西洋音楽と同じ聴き方をしてみました。罰当たりお許しを。。 (コンサートホールでレクイエムを聴くのと同じ?) ●2人の僧と打楽器のためのお経 ⇒老いた僧(Vo)、若い僧(Vo, Perc) 二人の比較的淡々とした読経にウッドブロックの破裂音が混じる序奏のあと、突然若い僧が木魚で強烈なビートを打ち始めます。ここがまずAの部分(Presto)。 ここでは若い僧の木魚と読経によるオスティナートのごく単純なリズムが形成され、その上に老いた僧の「アリア」が流れる。これがまずは聴きものであったといえます。お経ですからもちろん抑揚は豊かではないし、声が掠れてヴォカリーズになってしまうところもあるんですが、若い僧のリズムを崩すようでいて崩さない
先日の天声人語、確かにちょっと気になるなと思っていたのですが、この種の議論、ときどきありますね。 クラシック音楽を鑑賞するときにはマナーを守ろう。いや、そんな硬いこと言ってるから気軽に楽しめないんだ、みたいな論争です。なんかクラシックってひとくくりにすることがナンセンスな気がするんですけどね。 そもそも天声人語で語られているマナー違反は、決してクラシック初心者ではない気がします。うちのオケにはいませんけど、アマオケにはよくブラボー隊(いわゆるサクラです)がいたりしますし、割れんばかりの拍手をしている人って、むしろ熱狂的なファンだったりするようです。 実際のところ、演奏する側にとって、こういうマナー違反がどれほど不快なのか、自身の経験、またプロの奏者などから聞いた話などを総合すると、「それほど気にしてない」というのが正直なところです。もちろん最後の余韻を楽しんでほしいとか、全曲終わらないうち
昨日、6月29日(日)付けの朝日新聞「天声人語」欄に、ちょっと引っかかる内容がありました。クラシックコンサートにおける、いわゆる「フライング拍手」の問題についてです: 演奏後の拍手はときに、クラシックコンサートの味わいを左右する。まだ音が残っているのに手を打ったり、掛け声を飛ばしたり。これをされると余韻は消し飛ぶ。以前から言われているのに、この手の「フライング拍手」は相変わらず多いようだ。 (中略) 最後の音が消えたあとの静寂は演奏の一部なのだろう。「徐々に、次第に夜が明けていくように始まる拍手は感動的」だと、オーボエ奏者の茂木大輔さんは近著の『拍手のルール』で言う。そして、静寂を壊すフライングには「傍若無人」と手きびしい。 という引用があり、最後には「マナーを心がけよう」という呼びかけで終わります。 確かにクラシック音楽のコンサートでは、(少なくとも現代において主流になっているのは)演奏
アンタイトルコンサート(題名のない音楽会)でオーケストラの指揮にチャレンジ!! | ルー大柴オフィシャルブログ『TOGETHER』
クラシックのCD・DVD・書籍・コンサートとさまざまなおすすめやレビューを広く浅くご紹介! Look4Wieck.com管理人ブログです。 2009年10月より、はてな(http://d.hatena.ne.jp/Look4Wieck/)に移転致しております。 先日、友人と集まった時、「外国での売れ筋ってやっぱり日本と違うんだろうねー」という話になりまして、世界のAmazonの売れ筋ランキングを調べて居りました。これがそのお国柄を示す様で、ちょっとご紹介致します。 とは言え、留意点は、 それぞれの国のAmazonでのクラシックCDを購買層が偏っていないか? ということで、下にお見せする表からあまり推論をすすめるのはそれはそれで宜しくないと思います。この順位もどういう期間での数値か情報が見当たらないので、その点でも各国で条件が一緒かどうかは不明。 よって、あくまでなんとなくお国柄を示しそうな
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