細谷十太夫直英は仙台藩の武士だった細谷の率いた衝撃隊は、漆黒の軍装と一羽の鴉を染め抜いた隊旗と共に、新政府軍に「鴉組」と呼ばれて非常に恐れられた。 「細谷鴉と十六ささげ なけりゃ官軍高枕」と世に謡われた民衆のヒーロー。 そんな細谷十太夫直英とは、どのような場所で育ったのか。 細谷の家は、伊達家第十七代当主・伊達政宗の時代から五十石で召し抱えられ、代々伊達家に仕えてきた下級武士の家柄であった。 ※以下は伊達政宗の生涯まとめ記事となります 1839年(天保十一年)、細谷家の長男として誕生した十太夫は、幼い頃から剛毅果断で剣槍弓銃などの諸芸に通じ、特に鉄砲術を得意としたという。 父母を早くに亡くしたため、元服の年まで寺小姓に出され、寺で習う事ができる読み書き、簡単な算盤などの教育以外は受けられなかったと言われている十太夫。 しかし、そのような暮らしの中でもいつの頃からか林子平を敬愛し、その著書で