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2018年8月8日のブックマーク (11件)

  • 楽器を弾くとき、脳で何が起こっているのか? 「演奏する」ことの驚くべきメリット

    演奏できる「楽器」はありますか? 憧れはするものの、なかなか実際に手をつけるにはハードルが高いと思っている人も多いのではないでしょうか。 “TED-Ed” が、楽器の演奏が「脳」にもたらすメリットについて紹介しています。これをみると、すぐにでも楽器を始めたくなってしまうかもしれません。 私たちが「読書」をしたり「計算」をしているとき、脳の特定の領域が活動しています。 では、音楽を「聴いて」いるときはどうでしょう? 不思議なことに、脳内では「花火」が打ち上がっています。 つまり、脳内の複数のエリアがいっせいに光を放っているのです。 リズムやメロディなどを分離して処理したかと思えば、 それらを結合させて「音楽」としての体験をします。 それでは、聴くだけではなく「演奏する」場合はどうなるのでしょう? 驚くべきことに、小さかった花火は大きな「花火大会」に姿を変えます。 そこでは、脳が「全身運動」を

    楽器を弾くとき、脳で何が起こっているのか? 「演奏する」ことの驚くべきメリット
  • 「 夜の赤坂から大統領夫人 へ 」 | 孤舟の多事雑感ブログ

  • 三菱自動車CEO「部下は上司から、上司は部下から学びなさい」 中間管理職の役割が極めて重要

    人工知能AI)が私たちの働き方を変えると言われている。ビジネスパーソンは、これから何を学ばねばならないのか? IT化で激動する自動車産業に身を置く、三菱自動車・益子修CEOに話を伺った。 自動車産業は今、「100年に1度の大変革期」 自動車産業は今、「百年に1度の大変革期」と言われているように、非常に大きな転換期を迎えています。それは、世界中の市場でさまざまな環境規制が導入・強化されており、その対応として、電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(PHV)などの電動化技術の開発が行われているからです。 また、IT技術の進展に伴って、自動車においても自動運転やコネクテッドカーなどのテクノロジー革命が起きています。既存の自動車メーカーによる内なる競争ではなく、異業種からの参入による新たなライバルも加わり、自動車産業そのものが大きな環境の変化の中にあります。加えて最近は「働き方改革」が盛ん

    三菱自動車CEO「部下は上司から、上司は部下から学びなさい」 中間管理職の役割が極めて重要
    maicou
    maicou 2018/08/08
    三菱城下町の長崎では、この手の強面社長みたいのが何人も居ました。ある種の九州男児的なものなのかも。
  • 時代とともに姿を消していった横浜の貨物鉄道とは? 東高島駅の歴史を追う!(前編) - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! 日貨物鉄道株式会社の「東高島駅」ってどんな駅ですか?気になります...(おにいさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 今回は横浜駅周辺の鉄道史を俯瞰しながら、1924年に貨物駅「東高島駅」が開業するまでと、その後の戦争前夜までの展開を。戦後から現在までは後編で まずは横浜に貨物線が走るまで 東高島駅は、現在は鉄道の貨物駅としては役目を終えているように見えるが、かつて海運貿易において活躍した貨物駅のなかで、今日まで駅舎と看板を残す唯一の場所である。 横浜市神奈川区星野町4。奥に見えるホームの上は現在は駐車場のようになっている 横浜といえば開港の街だが、宿場町である神奈川から少し遠い距離をとって横浜が開港されたという話は広く知られている。開港された1859(安政6)年当時、横浜には現在の大さん橋入口付近に突堤が2つあっただけであった。 その後、1864(元治元)年に現在のホテ

    時代とともに姿を消していった横浜の貨物鉄道とは? 東高島駅の歴史を追う!(前編) - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
    maicou
    maicou 2018/08/08
    なるほど。/ いや。横浜の沼は深いってこと判ってたんすよ。だからこそ今まで避けてたところある。いよいよ本腰入れるってことかな。
  • 関内の古い貨物鉄道を巡るミステリー風味の散策~前編|関内新聞

    いままでまったく気がつかなったことが、気になることってありますよね。今回は、赤レンガ倉庫のイベントへ向かう時に、汽車道の遊歩道を歩いていて鉄道のレールのようなものがあるのに気づいた時から、ミステリー仕立てミニトリップが始まりました。 関内・汽車道で謎の鉄道線路を発見! 暖かい初夏の週末、赤レンガのイベントへ向かうために、桜木町駅から遊歩道「汽車道」を歩いていると、路面電車の線路のようなものを偶然発見した。 いつも歩いている道なのに全く気にしていなかった。なんだろう、これは… しかも、ところどころ途切れていてどこまで繋がっているのかよくわからない。なぜか気になり家に戻ってからネットで調べてみると、発見した線路は路面電車用ではなく、古い貨物列車の廃線であることが判明した。 なんだかとても興味が湧いてきて取材を開始することにする。 まずは、全体像を理解するために高いところへ登ろう なにせこの近く

    関内の古い貨物鉄道を巡るミステリー風味の散策~前編|関内新聞
    maicou
    maicou 2018/08/08
    これもよい。
  • 夏の思い出 | 今野亜美オフィシャルブログ「あみのいま」Powered by Ameba

    maicou
    maicou 2018/08/08
    素敵。
  • 横浜みなとみらい21公式ウェブサイト

    maicou
    maicou 2018/08/08
    よいね。
  • 横浜港信号場 1983/6/4 その2 - 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに

    未公開写真の掲載ありがとうございます。 (「港駅」の写真を探しては集めている身としては、このように公開していただけると、とてもうれしく、この先一週間はニコニコで過ごせそうです) 私が横浜港駅を初めて訪ねたのは1986年の2月のことで、山下埠頭駅からの麦芽輸送列車が廃止される1日前のことでした。 f54560zgさんの写真と私の見た「港駅」はほとんど変っていません。1枚目の写真は、手前が港2号橋梁、奥が港1号橋梁で、さらに奥には根岸線の高架(コンクリートの壁)が見えています。この線路は今、皆さんもよくご存知の汽車道となって当時の雰囲気を残しています。赤レンガ倉庫こそ当時のまま建っていますが、しかし、横浜港駅を取り囲んでいた建物や倉庫、埠頭の殺伐とした雰囲気、飼料サイロから漏れて来るなんとも言えない臭い、こぼれた飼料をついばむ多くのハトなどこの辺りはまったく変ってしまいました。 f54560z

    横浜港信号場 1983/6/4 その2 - 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに
    maicou
    maicou 2018/08/08
    壮観だ。
  • 横浜港への列車

    目次へ戻る ■■ 横浜港ゆきの列車 ■■ 1959年7月26日 ■ 画像増強改訂版 ■ ( 2007. 7. 7 ) このページ、画像を眼一杯入れたため ダイヤルアップ接続の方には、重すぎるかもしれません お許しください 私が未だ大学の四年生だった頃、東京駅から横浜港行きの列車が運転されると言う話 これは、見逃すわけには行きません 早速、 この列車に乗ろうと 同じ大学の鉄道研究会仲間の、宮さんと 、始発駅の東京駅まで出かけて行きました 19059年(昭和34年)7月26日の事でした 宮さんは私よりも多くの枚数、写真を撮っておりました その写真をご提供頂きましたので 公開致します その画像には、(撮影:宮)と注釈をつけてあります 東京駅の何番線だったか全然覚えていないけれど、横浜港行きの列車は、EF58の牽引する客車列車でした。 こんな特別列車が運転されるって事は、話題の客船が出航するとか、

    maicou
    maicou 2018/08/08
    すごい。ヨーロッパみたい。
  • 高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)

    高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線) 訪問日 2008年11月 2009年4月                 カメラ:Nikon D2Xs 鉄道の廃線跡というと地方ローカル線や山奥の森林鉄道と思われがちだが、実は大都会においても存在する。それが今回紹介する港街横浜にある高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)跡である。 今年(2009年)は開国・開港150周年にあたるそうで、開国博Y150が開催され連日多くの人で賑わっている。 また、ご存知のように横浜は鉄道発祥の地でもあり、明治5(1872)10月14日に、新橋~横浜間(29km)に日初の鉄道が開業している。このときの横浜駅は現在の桜木町駅であり、今回紹介する高島貨物線に程近い駅である。 そんな歴史を持つ横浜に廃線跡があるなど意外だが、しっかりと残されているのだ。おそらく横浜を訪れたことがある人なら、ご存知だと思うが、汽車道という道がある

    maicou
    maicou 2018/08/08
    空撮がバリ判りやすい!
  • 香山リカの記事を読んで雑感 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

    ここしばらくブログからかなり遠ざかってしまっていた。 というのも、父が入院して心臓の手術を受けていたからである。 若い頃は痩せぎすでいつもカリカリしてすぐに子供たちを殴っていた父だが、今の容貌はもう立派なおじいちゃんとなり、性格はじつに穏やかな好々爺、たくさんの弟子に慕われる老学者になっている。どうでもいい話だが、wikipediaのとある学者の項には父の経歴が載っている。いちおう、日においてはそれなりの学者になったのかなと思う。 負担の少ない術式とはいえ手術のリスクはゼロではないから(おまけに心臓である)、もし父が手術中もしくはその後の合併症で亡くなったらどうしようという大きな不安があった。このストレスは自分で気づかないうちにかなり大きくなっていて、じわじわと心がやられていたらしい。私はほとんど体が動かなくなり、こんこんと眠り続けた。7月中は入院準備などもしていたが、当に昼も夜も寝て

    香山リカの記事を読んで雑感 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ