阪神・淡路大震災が起きた1995年、栗毛の牡馬が競馬のG1レース菊花賞を制した。その名は「マヤノトップガン」。神戸の馬主が地元の山にちなんで名付けた馬だった。実況アナウンサーの叫び声を記憶している人もいるだろう。「神戸は強い!」。その強さが傷ついた被災地と、震災で弟を失った馬主を勇気づけた。(井上太郎) 馬主は神戸市灘区の阪神大石駅南にある田所病院の当時の院長、田所祐さん。「マヤノ」は田所さんが幼い頃から親しむ神戸の摩耶山から付けた冠名だった。 期待のトップガンがデビューして、わずか9日後の95年1月17日。未明の大地震で病院は一部損壊する。患者のためにがれきの山をかきわけて薬剤を探しながら、転院の手配に追われた。 何よりつらかったのは、副院長だった弟の順さん=当時(63)=を亡くしたこと。全壊した灘区の自宅に火の手が回り、妻とともに命を落とした。 優しい性格で患者からも慕われていた順さん