1934年2月、大阪毎日新聞香港支局が、アイスハウスストリートにある香港鑽石会(さんせきかい)ビルに開設された。日中戦争が激しくなると、香港や広州への戦乱の影響、上海や広東からの避難民や居留外国人の動静を精力的に取材するようになる。 41年12月、太平洋戦争勃発と同時に始まった香港攻略戦には、中国南部を取材していた特派員10人が香港に派遣された。現地で写真を撮った特派員は、阿部徹雄、安保久武、清水国光らである。 香港攻略戦をつぶさに記録したのは、阿部だった。阿部は、安保とともに日本海軍陸戦隊の香港入城という重要局面を激写し、44年には海軍報道班員になった。安保は香港取材の後、ジャワ島に赴くが、同地で父親の訃報を受けて帰国。43年7月に応召となり、東部五五六七部隊に入隊して長沙・衡陽の戦いに加わった。
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