平沢 常富(ひらさわ つねとみ)は、江戸時代中期から後期にかけての出羽国久保田藩(現在の秋田県)の定府藩士で江戸留守居[1]。朋誠堂 喜三二(ほうせいどう きさんじ)の筆名で知られる戯作者、手柄 岡持(てがらのおかもち)の狂名で知られる狂歌師でもある。通称は平角(平格とも)、字は知足[2]、号は愛洲[3]。 隠居号は平荷。なお、上記のほか、青本では亀山人、笑い話本では道陀楼麻阿(どうだろう まあ)、俳号は雨後庵月成、朝東亭など多くの筆名や号を使い分ける。 略歴[編集] 江戸の武士、西村久義(平六)の三男として誕生。14歳で母方の縁戚にあたる久保田藩士・平沢家の養子になった。なお、養子先は愛洲陰流剣術の祖、愛洲移香斎の子で永禄7年(1564年)に佐竹義重に仕えた小七郎宗通(元香斎)を祖としているとされる。 天明の頃は藩の江戸留守居役筆頭で、120石取りであった。当時の江戸留守居役は、江戸藩邸