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ブックマーク / blog.livedoor.jp/kangaeru2001 (6)

  • 美しい日本を取り戻しましょう : 少年犯罪データベースドア

    2012年11月20日23:58 美しい日を取り戻しましょう 最近は赤ちゃんが泣くことにやたらと騒ぐ大人がいるみたいで、日の美しい伝統もここまで廃れてしまったのかと心が痛みます。ドナルド・キーンさんの『果てしなく美しい日』を朝夕毎日、声に出して読んで、美しい日の伝統を取り戻しましょう。 以下に引用する部分の日語版が出たのは昭和48年ですが、原著である『Living Japan』を米国で出版するため執筆したのは1958年ですから(刊行は翌年)、まさしく映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台となった昭和33年の果てしなく美しい日の姿です。 幼い子供であるには、日はすばらしい場所である。(中略) 両親は「子宝」を艱難から守るためには、いかなる犠牲をも惜しまない。彼らは子供の幼年時代を幸せなものにしようと固く決心し、そして、全日が彼らの努力に荷担する。混み合った電車の中では、見知

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    mangakoji
    mangakoji 2015/10/18
    「七つ子までは神の内」とかいって、子供を叱る親はたしなめられたくらいですよ。今は子供を馬車馬のように叱るの当然だもんね
  • グラフを更新したついでに、リンゴとミカンはどっちが多いかについても : 少年犯罪データベースドア

    2013年07月05日01:42 グラフを更新したついでに、リンゴとミカンはどっちが多いかについても 幼女レイプ被害者数統計を6年間も放置していたので、いいかげん誰かが更新するだろうと思っていたのですが、誰もやってないみたいなので、しょうがないから2012年までの最新版に更新しました。 ご覧のように更新した部分は横這いですから、あんまし意味はないのですが。 これらのグラフは自由に使用していただいて結構なんですが、画像の直リンは勘弁してください。幼女レイプ被害者数統計ページにリンクを張るか、画像を使いたい方は、コピペして持っていって貼り付けて、うちのサイトにリンクも張っておいていただければ。 この手のものは、グラフをただ眺めるだけではなく、基となった数値データを見て検証することが肝心ですので。 また、いまだに少子化がどうとか云ってる人が多いので、小学生数に対する比率グラフも作ってみました。

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    mangakoji 2013/07/05
  • 戦前の体罰論 : 少年犯罪データベースドア

    2013年02月04日23:58 戦前の体罰論 戦前は体罰が厳しく禁止されて、すべて犯罪として処理されていました。しかし、多少はやってもいいのではないという主張も一方にはありました。 たとえば、皇室教育にも携わった高名な教育家である湯武比古の「体罰の必要」(『実業之横浜』明治43年5月号) はこんな具合です。 余は打擲のごとき蛮手段はこれを厳禁し、直立の如き身体的痛苦、または居残りの如き自由制限に基づく痛苦のごとき、あるいはベーンの電気採用の如き手段は、場合によりて校長教員の公然採用し得ることを認め置く必要が有ると思う。 理性の未だ発達せず無邪気にしてしかも手に合わぬ悪太郎は、叱責や脅嚇や、いわんや訓戒などで精神的痛苦を感ずるものでない。これには身体的痛苦を与うるのは避け難いことである。 「体罰の必要」と云っても、殴ったりすることは「蛮手段」として厳禁することを前提としています。 「ベー

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    mangakoji 2013/02/15
  • 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった : 少年犯罪データベースドア

    2013年02月15日00:51 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった 拙著『戦前の少年犯罪』の参考文献にも使った江森一郎『体罰の社会史』なんかを基に、欧米のように殴ったりせず子どもをのびのび育てる日の江戸時代からの伝統をまとめた「日の体罰の前史」というページがあるんですが、途中で戦前には体罰がなかったとかあったとかいう妙な話になっています。 我が国の歴史の基的な処がこうも混乱したままで、正しい日像が日人に共有されていない状態では困りますので、整理しておきます。 戦前にも体罰はありましたが、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 なんか、戦中は違うと読み取る方が多いみたいなので、念のため書き加えておきますが、戦時中も体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 変わったのは戦後になってからです。 戦前の新聞を読んでいる方なら、教師が生

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    mangakoji 2013/02/15
  • 児童虐待についての基本データ : 少年犯罪データベースドア

    2010年08月10日22:52 児童虐待についての基データ 私は少年犯罪データベース主宰であるとともに、子どもの犯罪被害データベース主宰でもありますので、ここらで児童虐待についての基的なデータを示しておきます。 『非行臨床の現場からとらえた子どもの成長と自律』の著者のひとりである前島知子さんが、掲載論文のために厚生労働省の人口動態統計にある死因のうちの年齢別他殺被害者数統計をまとめたものを送ってきていただき、それに刺激されて幼児の中でも殺され方の性質がまったく違う0歳児(嬰児)だけを別に分けたものを私が追加したものがちょうどできあがったところでしたので。 当サイトではすでに嬰児殺(赤ちゃん殺し)と幼児殺人被害者数統計というのをアップしておりますがこちらは警察統計で、昭和47年以降しかありませんし、また未遂事件も含まれています。 厚生労働省の統計は完全に殺された者だけの数が判りますし、

    児童虐待についての基本データ : 少年犯罪データベースドア
    mangakoji
    mangakoji 2010/08/11
    WEBでタダで閲覧できないデータはナイのと一緒だからなぁ。/子供の数も1/8くらいだから、実質変化無しくらいか?
  • 大恐慌のボーナス・アーミーと日比谷公園派遣村 : 少年犯罪データベースドア

    2009年01月04日11:53 大恐慌のボーナス・アーミーと日比谷公園派遣村 日比谷公園の派遣を切られた人たちのテント村が、ベルリンの壁を崩した<汎ヨーロッパ・ピクニック>みたいだという年越し派遣村はピクニックであるという記事が多くのはてブを集めてるみたいですが、普通に考えて比較するなら大恐慌時のボーナス・アーミーでしょう。 リンク先のWikipediaでは、第一次世界大戦の復員軍人たちがデモ行進をしたことが強調されてますが、そんなのは元気の良かった最初のうちだけで、帰る家もないのでワシントンD.C.の空き地に勝手にテントを張って住み着いただけなんですね。ボーナス支給の望みも断たれて、やって来てから1ヶ月以上も経っていますから元気もなくなって、帰る処のある人たちはすでに帰って数も減ってましたし。 そこにダグラス・マッカーサー指揮するパットン戦車隊が突っ込んで、幼児が犠牲になったり悲惨なこ

    大恐慌のボーナス・アーミーと日比谷公園派遣村 : 少年犯罪データベースドア
    mangakoji
    mangakoji 2009/01/04
    マッカーサーとパットンはここで弾圧に手を汚したから、二次戦で大きな権力を得たわけか。
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