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ブックマーク / clementia.hatenadiary.org (2)

  • 日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記

    昭和40年代後半になると日酒蔵では、「このまま三増酒だけではいけない」「売れればいいだけの桶売りでは日酒の将来はない」「自分が美味しいと思うお酒を造りたい」という若い世代が出現し始めます。酒屋さんにも全国で「自分の売っているお酒は当に美味しいのか?」「こんな不味い酒じゃなくどこかに美味しいお酒があるはずだ」と目覚める若い世代がポツポツと現れ始めます。 昭和50年代は蔵元も酒屋さんも、志のある方々が自分たち自身が美味しいと思うお酒を造り売ろうとする試みに七転八倒した時期です。しかしながら、一般消費者の認識は「大手酒造=安心・美味しい・ブランド」が根強く、少しでも日酒に興味がある方でもメディアで知った「幻の酒信奉」にこだわる方ばかりでした。 自らの足で探した美味い酒だけを店に置いても「なぁぁんだ、白○(大手ブランド)ないのぉ」とか「幻の○○は置いてない?」という客ばかり。「客はバカばっ

    日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記
    mangakoji
    mangakoji 2013/07/30
    これ、1995年くらいの文章?純米信仰って2000年には薄らやいでて、吟醸はアル添した方がキレがあっていい。問題は何のアルコールを使うか方法に進んでたと
  •  ど宴会 - 板前日記

    私が料理の世界に入った昭和50年代は、日料理店の主流は宴会でした。 料理屋には事を愉しむために行くというよりも、宴会に出席するため、もうちょっと小規模でも会合のために出かけることが多かったのです。 宴会には芸者衆 コンパニオンのお酌が入り、瓶ビール(でないとお酌ができません。生ビールなんて長い間居酒屋さんの飲み物だと思っていました)から始まり、燗酒(昭和60年代以降は焼酎も)。料理の美味しさは二の次三の次というお客様が多くいました。必然的に料理はすでにお膳に並んでいても不思議ではなく、飲み散らかしい散らかす方がほとんどで、宴会が中盤に入る頃には全員が席をたってお話をしたい相手の前に陣取って杯を酌み交わすのです。お膳の上にはべかけの料理と飲みかけの酔うためだけのお酒の飲み残しがあふれます。 料理を楽しみ、お酒を楽しむという風潮が一般的になったのはそれほど昔のことではありません。 今の

     ど宴会 - 板前日記
    mangakoji
    mangakoji 2012/11/23
    ど宴会、あれはあれで良かったね。ぼくは本当に最後のタイミングで、2回くらいしか参加してない。バブルの崩壊とともに消えた気がするけど。大学の新人歓迎会も当時は宴会形式だったな。
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