2012年8月からは監視カメラ(右上)も取り付けられた。警察と経産省が四六時中、脱原発陣営の動向を見張る。=11日、霞が関 写真:筆者= 原子力村の総本山に匕首(あいくち)が突き付けられて、きょうで丸3年が経った。 経産省の北西角地に立つ、3張の小さなテントは「原発は要らない」と願う人々の拠り所となってきた。 「故郷を追われてもここ(テント)に来れば、友に再会できる」。原発事故で避難している福島出身の女性が語っていた。 全国各地の反原発運動のシンボルとなっていることは言うまでもない。経産省前のテントから全国の「再稼働反対デモ・集会」に“出撃”する。これも当たり前の光景になっている。 エセ右翼や街宣右翼がテントを襲撃したこともあった。2012年1月には経産省が期限を区切り退去を迫った。期限最終日には警察が出動したが、市民数千人が集結しテントを守った。 自民党政権となってからは「立ち退き」を求
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