田中正明が他界された後に出版された著書『「南京事件」の総括 』文庫版には、 弟子の水間政憲さんが「まえがきに代えて」として文章を寄せている。 その中に次のような記述がありました。強調は引用者。 ・・・・・・ 田中氏は、戦前、日中両国民の固い協力を柱に全アジアの団結と解放を志す「大アジア協会」の機関紙『大アジア主義』の編集長であった。同時に松井石根大アジア協会長の秘書も兼務していた。「大アジア協会」は孫文の思想を基調としている。 その松井会長が、東京裁判で「南京大虐殺」の責任者として起訴され処刑された。このことの憤りが、田中氏の言論活動の原点になっていた。しかし、それは単なる私憤ではなく「公憤」だったのである。なぜなら松井大将の名誉を回復することが、国民に刷り込まれたGHQの政治宣伝の呪縛を解く鍵になるからである。 ・・・・・・ 田中氏は、一九三八年『大アジア主義』の編集長として、南京の取材