■ 落穂拾記(2) 羽原 清雅 死者85人の航空事故、解決まで20日間 ─────────────────────────────────── もう十数年になるだろうか。新橋の居酒屋で、隣り合わせの老人に話しかけら れるうち、話のはずみで古ぼけた冊子をもらうことになった。「昭和十三年八月 二十四日東京市大森区ニ生ジタル 航空事故始末報告 航空機事件被害者善後処 置委員会」と表紙にある。 大森といえば羽田、昭和十三(1938)年といえば筆者の生まれる2週間 前。この冊子によると、死者85人、負傷者76人の事故というから、羽田空港 では1966年2月の全日空機着陸時の133人死亡事故に次ぐ大規模なもの だ。この年の3月に起きたカナダ太平洋航空機着陸時の64人死亡、1982年 2月の日航機長の異常操縦による24人死亡の事故よりも多くの犠牲者を出した ことになる。 この事故の概要は、8月24