タグ

ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (7)

  • Throw the Gem down the well: 極東ブログ

    今週の日版ニューズウィークのカバーが「ボラットが来た」であった。カバー写真を見て、おや?、これを採用したのかと思った。というのは、ロイター”映画『ボラット』のポスター、イスラエルで廃棄される”(参照)で話題になっていたからだ。 コメディアン、サシャ・バロン・コーエンの別人格であるがさつなカザフスタン人ジャーナリスト「ボラット」が股間を強調した下着姿で現れたポスターが、イスラエルでは不適切であると判断され、廃棄された。 「アメリカで大ヒット英国最新コメディー『Borat』」のすべてともある。ああ、このネタを日で取り上げるのかとちょっと困惑しつつ、そういえばと思ってユーチューブをひねったら案の定すでに何が上がっていて、いくつか覗いたが、涙が出るくらい笑った。 特に、れいの歌は実際に聴いてみると、というかその映像の作りもだが、すごいもんだと思った。これを一発撮りでやったのかと思うと、サシャ

    masakiishitani
    masakiishitani 2006/12/05
    このブログがYouTubeを貼ったことが興味深い
  • 下山事件的なものの懸念: 極東ブログ

    安倍晋三政権がほぼ確実という流れになってきた。私は安倍晋三は評価しない。父っつあんの晋太郎みたいにきちんと外交の仕事とかしてきたわけでもないのにというのが理由。つまり評価しようがないというのがより正確。経歴を見るにあまり頭もよさそうでもないが、それを言うなら森喜朗とか鈴木善幸とか指三とかなので特に言うまい。この間の官房長官としての仕事はというとそう悪くもなかった。経済面での発言などを聞くに、ブレーンの説明を理解しているようではある。うまく人を使える人なのかもしれないが、そのあたりは蓋を開けてみないとわからないところはある。 個人的に気になるのは、祖父岸の亡霊が出てくるってことはないのかというあたりだ。先日安倍晋三が統一教会に祝電したと左翼っぽい感じの人たちが一部騒いでいたが、率直に言って君たちそんなことも知らないでこれがネタだと思っているのとか驚いた。昭和の歴史が忘れられて久しい光景なの

  • [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン): 極東ブログ

    私はカレル・ヴァン ウォルフレンについて「日 権力構造の謎」(参照上・下)以来の愛読者で考えてみればもう十五年以上にもなる。当時の空気を思い出すと、市民派の新しい理念の可能性を秘めながら、改憲や差別問題にも屈しない姿はすがすがしく思えたし、小沢一郎を明確に支持したのもスジが通っていた。彼は日史・東洋史についての知識は乏しいものの、逆に欧米人の考え方の根幹のようなものをくっきりと見せてくれた。彼から私が学んだ最大のことは、市民と社会が敵対するとき国家が市民を守らなければならないということで、それまで私は吉隆明風に国家という共同幻想は曲線を描きながら死滅することを理念とすべきだと思っていた。が、まさにその曲線の部分で自分なりに西洋の考えかた特にルソーの一般意志論などを考えなおした。今思うと九〇年代だなと思うし、三十代の尻尾で自分もぶいぶいしていたと思う。 ウォルフレンについての私の違和感

  • ヴェトミンに参加した日本兵: 極東ブログ

    先日朝のラジオでヴェトミン(参照)の軍事指導に当たった残留日兵の話をしていた。今頃なんでこんな話が出てくるのだろうと奇妙に思ったのだが、クヮンガイ省に出来た士官学校の六十周年記念ということだった。この士官学校は現在はなく、軍敷地内に記念碑を残すだけだが、この機にもっと立派な記念碑を建てる計画があるそうだ。 この話は秘史ということではない。ウィキペディアのベトナム(参照)にも記されている。 戦後、フランスが再び進駐してくると、それに対するベトナム国民の抵抗戦争(第一次インドシナ戦争)が始まったが、この戦争には日軍兵士が多数参加した。当時、ベトナムには766人の日兵がとどまっており、1954年のジュネーブ協定成立までに47人が戦病死した。なかには、陸軍士官学校を創設して、約200人のベトミン士官を養成した者もおり、1986年には8人の元日兵がベトナム政府から表彰を受けた。なお、ジュネー

  • [書評]「昭和東京ものがたり2」(山本七平): 極東ブログ

    時折戦前の天皇機関説について考えることがある。いろいろ議論はされているし史学的な研究もないわけではない。ただあまりしっくりきたことはない。 ウィキペディアにもこの項目があった(参照)。そう悪い解説でもないし、重要な天皇機関説事件(参照)についても比較的詳しいと言ってもよさそうだ。が、つまりは後代からは歴史というものはこう書かれるということでもある。 山七平の「昭和東京ものがたり2」(参照・参照)では、彼がその時代を生き、そして後年またその時代を振り返って、なんというか不思議な考察を加えている。 つくづく不思議だなと思うのが、実は「天皇機関説」なのである。この問題の経過を私が知ったのは、実は戦後のことで、攻撃の対象となった一木喜徳郎とその高弟美濃部達吉の説、いわゆる「天皇機関説」がG・イェリネックの国家法人説を帝国憲法に応用して成立した説だなどとは、当時、知るわけがない。この点では庶民同様

    masakiishitani
    masakiishitani 2006/07/28
    庶民のカンはどこに行ってしまったのか??
  • ゲド戦記の謎: 極東ブログ

    ゲド戦記の映画化というかアニメ化ということもあって、この物語の話題を耳にすることが多くなった。ゲド戦記については、どうしても気になることがあり、ある種難問に直面して行き詰まる。その心のひっかかりを率直にちょっとメモ書きしておこう。以下、この物語を読んでないかたにはスポイラーがあるのでご注意。 ゲド戦記は私のような読者にしてみると、三巻「さいはての島へ」で終わった物語であった。しかしそれで当に終わったのかというと、「極東ブログ: こわれた腕環(ゲド戦記2)アーシュラ・K・ル=グウィン」(参照)で触れた二巻の意味合いが難しい。ストーリーテリングとしては二巻は三巻と不整合ではないのだが、テーマとして見るなら三巻で一巻と二巻のテーマが統合されてはいるとは思えない。特に二巻に提出された大きな問題がある(女の質について)。なので、その部分だけこのブログであの特定の時期を背景として書いた。 ところが

  • コンベクションオーブンとスロークッカー: 極東ブログ

    ココログ投稿できるのかテ・ス・ト。 先日日記にしょろっと料理のコツみたいなしょうもないことを書いた(参照)。要点は、料理なんてものは二十分以上も手間かけるもんじゃないよということ。料理が好きな人もいるだろうし、母の手作りとか嘘くさいこと言う人もいるけど、実際の生活、夕作りに二十分以上もかかるようだと嫌になってしまう。やってられるかよ。やってらんなきゃ、外とか中とかデパチカになる。というわけで、日頃の事なんてさっさとやってできるだけ健康ない物で嫌いでないレパートリーを巡回するだけ、でいいと思う。 それでも、できたら、ということで、鍋とフライパンは厚手のしっかりしたン万円のがいいと思うし、浄水器もン万円のがいいだろうとは思う。できたらということだけど。そんなのに併せてコンベクションオーブンもお勧めした。 「デロンギ・コンベクションオーブン」だが、私が使っているのは旧型。東京に引っ越す

    masakiishitani
    masakiishitani 2006/07/14
    私が使っているのも旧型
  • 1