江戸時代の戯曲家である近松門左衛門は、芸術の真実が「虚実の皮膜」にあると論じた。この「皮膜」には「ひにく」という振り仮名がふられているのだが、これが「皮肉」とかけられているのかどうか私には分からない。しかし私は、紛れもない虚構が紛れもない現実を次々と生み出していく現代世界の皮肉な姿を、いやというほどに見せ付けられてきた。間違いなく事実は現実の構成要素である。しかし同時に、虚構、つまり嘘もまた、現実の重大な構成要素に違いあるまい。我々は事実に対すると同様に真摯に嘘に向き合わねばならないのかもしれない。 このサイトでは、主に私(童子丸開)による翻訳と共に、パレスチナ連帯・札幌の代表を務めておられる松元保昭氏による興味深い訳文をも取り上げてみたいと思う。翻訳の中にはやや時期の過ぎた題材もあるかもしれないのだが、同じ虚実の皮膜はいつ何時でもどこにでも広がり続け、古いものがいつまでも新しいという皮肉