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人生に関するmasudaKのブックマーク (49)

  • 6 年間の起業を終えて - IT戦記

    スマートニュースの社員になりました 皆様、お久しぶりです!約 7 年振りにこのブログを書いています。 元気にしてましたか?僕は元気です。 実はこの 6 年間 id:mizzusano とカクテル株式会社という会社をやっておりまして、先日のプレスリリースにもあったようにこの度会社ごとスマートニュースにジョインすることになりました。 UUUM に遊びに(?)行ってはしゃぐ僕と id:mizzusano そこで今日は振り返りも兼ねて、以下の 3 点について、この 6 年間考えていたことを書いて見たいと思います。 事業アイデアより大切なこと 起業家が健康的に働く方法 プログラマー起業するということ 少しでもこれから起業したい人のお役に立てればと思っております。 事業アイデアより大切なこと 6 年間の事業を振り返えると失敗の連続でした。その中で、事業そのもののアイデアより共に起業するメンバーが大切

    6 年間の起業を終えて - IT戦記
  • 機械室で働いて心と体がぶっ壊れた一年後の話(追記あり)

    月手取り17万円、残業代と交通費は別途支給、賞与なし。 人に誇れる収入ではあるまいが、ワーキングプアの定義「年収200万円以下」は辛うじて上回る。下を見ればきりがない昨今、地方都市の女性派遣社員としては恵まれた待遇かも知れない。 一年と少し前に、私はこういう記事を書いた。 https://anond.hatelabo.jp/20170315161240 今回の記事は、その後日談だ。 前の記事には「5月くらいには再就職するはず」とあるのだが、一年以上経った今も、私は無職のままブラブラしている。情けないと思う一方で、当然だという気もする。 何しろ就職希望の面接に、ノーメイクで行くような非常識な女なのだ。その理由が「道々涙が止まらなくなり崩れたメイクを落とさざるを得なかった」という、年齢不相応の情緒不安定である。面接の途中で気分が悪くなって退出し、トイレまで我慢出来ずに廊下で嘔吐したこともあった

    機械室で働いて心と体がぶっ壊れた一年後の話(追記あり)
    masudaK
    masudaK 2018/04/04
    身体を大事にしてとしか言えないけど、前回も今回も文才素晴らしい。noteとかで綴るとかもよいんじゃないかなぁ。
  • 5年前、この部屋で泣いていたわたしへ

    こんばんは。 あなたは今、2週間前に契約した部屋の中で 「大学生活とか絶対うまくいかないし入りたくない」「この部屋も嫌だ何でこんなところに」と考えていることかと思います。 そんなつらい気持ちになっているあなたに、すこし伝えたいことがあるのと、お礼を言いたくて、いまこうやってブログを書いています。 じつはね、昨日大学卒業したんです。 誰がかというと、あなたからみて5年後の自分、つまりいまこの部屋にいるわたし。 きっとあなたはこんなことを知ったら驚くと思います。だって、行きたくもなかった大学で、5年生にまでなっちゃって、何だかんだで卒業しちゃってるなんて。 かくいうわたしもびっくりしています。まさか卒業してしまうとは。 5年前、この部屋に来たばかりのあなたが思っていたとおり、大学生活はうまくいったかどうかと問われると、勉強に関しては特に「うまくいってない」って答えになると思います。 でも、ちょ

    5年前、この部屋で泣いていたわたしへ
  • 金銭感覚が違う彼女と結婚して夫婦になって思うこと - 共働きサラリーマンの家計簿

    『ダブルチーズバーガーを頼む人は、コスパとか考えないのかな。』 家族でマクドに行くときはいつもそんなことを話す。 ・チーズバーガーは130円 ・ダブルチーズバーガーは320円 中身が2倍に増えただけのダブチ。でも料金は2倍以上。だからチーズバーガーを2個買った方が安いわけで。 何ともおかしな価格設計。 でも彼女がいつも頼むもの。 "ダブルチーズバーガー" 僕ら夫婦は金銭感覚が合わない。 金銭感覚のない僕の嫁 (こうして見ると美味しそう) 自分がべるものの原価率。 そんなことはどうでもいいのだ、彼女にとって。 ・これがお得だとか ・割高だとか それらは自分の選択に影響しない。切り離している。コスパの良さすら考えない。でも欲しいものは常にある。 彼女には金銭感覚がまるでない。いや、少しはあるのかもしれない。でもそれはとても薄いもの。 間違いなく言えることは、彼女はお金があれば、あるだけ使って

    金銭感覚が違う彼女と結婚して夫婦になって思うこと - 共働きサラリーマンの家計簿
  • 生きてるだけでしんどい人とそうでない人|akiko_saito

    生きているだけでしんどい..わかる..わかります。世の中には生きているだけでしんどい人と、そうでない人がいる。しんどくない人にとって生きるとはただ生きることであり、しんどい人にとっては生きるだけでもう苦行なんである。 さらにわ.....わかる..... しんどくない人にとって、人生はただの人生だ。朝が来たら起きて、夜が来たら眠ればいい。しかししんどい方の人にとっては、「まっ、、また朝!!!あああ起きなきゃ、、」と思って起き、起きているあいだじゅうは「世間ではなんとたくさんの物事が起こっているのだろうか、複雑すぎてもうヘトヘト」と翻弄され、家についたら体力を削り取られてもう寝るだけ。寝ると朝が来るのでまた繰り返し、という感じである。そういう人は最近「HSP(ハイリ-センシティブパーソン)」と呼ばれるようになった。(追記:ADHDも生きるのがつらい。詳細は朝日新聞「生きるのがつらい女性のADH

    生きてるだけでしんどい人とそうでない人|akiko_saito
    masudaK
    masudaK 2018/03/10
    死ぬほど辛いみたいに思うことはないけど、人生なんて大変なことの連続じゃないのかな。大変じゃない人生は面白くない気がする。
  • 性格だと思ってた不安症状が心療内科で薬を貰ったら大幅に改善してから1年が経ちました - みんからきりまで

    オオアリクイみたいなタイトルになってしまった。 今まであまり公言していなかったのですが、ちょうど1年ほど前から心療内科で薬を貰うようになって、生活が大きく変わるという体験をしたので、同じような症状で悩んでいる人のためにも、そのへんの話を書きたいと思います。 注意事項 これはあくまで個人的な体験談であり、通院や投薬の効果を保証したりするものではありません。 薬の効果にはかなり個人差や相性があり、副作用もあるため、必ずしも薬を貰う事で症状が改善するというわけでない無いようですので、「そういうケースもあるのだ」という一例としてお読みください。 性格だと思っていた症状 ぼくは苦手な事がたくさんあって、とにかく怖がりだったり自意識過剰だったりする。 分かりやすいものだと、人に何か言われたり起こられたりすると過剰にショックを受けてしまうというのがある。 特に上司や先生など目上の人の事をとても怖く思って

    性格だと思ってた不安症状が心療内科で薬を貰ったら大幅に改善してから1年が経ちました - みんからきりまで
  • 「理想の死に方はなんですか?」|真崎🌴沖縄

    「死」を語り合うために若手僧侶グループが開催しているワークショップ『デスカフェ』 なんてイベントの説明を聞いた瞬間「行きます!!」と飛びついた。 だって、テーマが「死」って。 万人に訪れるタイプのアレ。生きていれば誰もがたどり着くのに今生きている人が誰も体験したことのない神秘のアレ。 こういうザックリした答えのない問いがとても好き。幸せとは。友達とは。悪とは正義とは。 ねえほら絶対楽しい。 みんな仮想通貨の話はいいからこっちで一緒に語ろうぜ! デスカフェ当日。 「死を語り合う」って具体的になにをどんな風にやるんだろうと思っていたら、提示されたのは「今から弔辞を書きます」というもの。 弔辞といえば、お葬式で故人に向けて親族や友人が読むお手紙のようなもの。 2人1組のペアになり、相手の人生や信念などをカンタンにインタビューした上で相手のための弔辞をつくるのが「弔辞ワーク」とのこと。 そのインタ

    「理想の死に方はなんですか?」|真崎🌴沖縄
    masudaK
    masudaK 2018/02/01
    ワークショップいいなー。30過ぎてから、基本頭の片隅に死があって、なかなか消えなくなってる。
  • 「世界は才能があっても根気のない人間だらけ」副大統領のスピーチライターが“執念”の大切さを説く

    「世界は才能があっても根気のない人間だらけ」副大統領のスピーチライターが“執念”の大切さを説く ミネアポリス・カレッジ・オブ・アート&デザイン 卒業式 2008 ダニエル・ピンク かつてアル・ゴア副大統領のスピーチライターを務めたこともある、作家のダニエル・ピンク氏による、ミネアポリス・カレッジ・オブ・アート&デザインの卒業式スピーチ。これまでのピンク氏の人生を通じて学んだ、人生に必要な3つのことについて語りました。 よいスピーチのための3つの要素 ダニエル・ピンク氏:ご紹介にあずかりまして、ありがとうございます。ここにいらっしゃるすべての方たちに感謝申し上げます。そして2008年度ご卒業のみなさん、おめでとうございます。 先ほど紹介のなかでキーフ学長もおっしゃっておられましたが、私はビジネス書籍を執筆するというなんとも“高尚な”仕事につく前、政治家のためにスピーチ原稿を書くという負けずと

    「世界は才能があっても根気のない人間だらけ」副大統領のスピーチライターが“執念”の大切さを説く
  • 小室哲哉、涙の引退会見「悔いなし、なんて言葉は出てこない」(写真12枚)

    「週刊文春」が報道した記事は、小室が通院していたクリニックで親密になったシングルマザーの看護師を自宅などに招いて共に過ごしたという内容。小室は会見場に集まった約150人の記者やカメラマンに向かって「であるKEIKO、家族、ファンの皆さまにご心配をおかけし、ご相手の方にもご迷惑をおかけしたことをお詫びします」と挨拶し、「言動が支離滅裂になるとよくないから」と昨晩書いたというメモを見ながら、「僕なりのこの騒動のけじめとして、引退を決意しました」と語り始めた。 彼はまず、2011年にくも膜下出血を発症して療養中のKEIKOの現状について説明。現在は身体的な後遺症はないものの高次脳機能障害によりあらゆる欲を失ったとのことで、「KEIKOは歌手として大きな存在だったと思うんですが、残念ながら音楽への興味は日に日に減ってきています。カラオケに誘ったりCDを聴いたりしても興味を持ちません。最初期に無理

    小室哲哉、涙の引退会見「悔いなし、なんて言葉は出てこない」(写真12枚)
    masudaK
    masudaK 2018/01/20
    客観的な記事でありがたい。ストレス半端ないだろうし、できないかもしれないけど少しでも身体休めて、また音楽活動再開してほしいなー。
  • エネルギーがない人が新しいことをはじめる時のコツみたいなやつ|けんすう

    簡単にいうと「今がこれからの人生で一番若いんだから、今から何か行動するとよくなる可能性ってまだまだあるよ」的な感じです。 で、いろいろな反応を見させていただいたんですが、出てきた話として、「人生詰んだと思っちゃう人は、新しいことをするエネルギーが足りていないため、何も始められないのでは?」という指摘です。 これはその通りなんです。 「決断疲れ」というのがあり、何かを決断するには膨大なエネルギーが必要なため、1日にできる量は限界があるみたいな話があるのですが、新しいことをはじめるというのにも相当なエネルギーが必要です。「人生詰んだ」と思ってしまう人が、たくさんエネルギーがあるかというと・・・ないですよねえ。 僕の話をします。 僕は小さいころから運動神経もなく、手先も不器用で、勉強もできなくて、歌や楽器も下手で、、と言ったようなそんな感じで他の人と比べてもスペックはだいぶ低いというような印象が

    エネルギーがない人が新しいことをはじめる時のコツみたいなやつ|けんすう
    masudaK
    masudaK 2018/01/18
    最初の1分ほんと大事
  • 社会人ドクターとして博士号を取得しました

    もう3ヶ月くらい経ちますが、2017年9月15日に東京大学大学院工学系研究科で博士(工学)の学位を取得しました。自分自身が入学するまでにいろんな社会人ドクターの方のブログを読んで参考にしたので、もしかしたら参考になることがあるかも?と思い、自分の経験を記録しておきたいと思います。 入学のきっかけ現在は某通信事業者のR&Dで働いています。もともと修士を卒業するときに博士号は取りたいと思っていたけど、経済的な事情で就職し、働いてお金貯めたら博士号を取ろうと思っていました。幸い就職した会社に社会人ドクターを支援する制度があったので、応募しました。また、将来的な選択肢を広げるという意味でも博士号を取ろうと思っていました。 研究室選び修士まではコンピュータビジョンやコンピュータグラフィックスの研究をしていたけど、業務ではTwitterデータの分析やサービス開発をしていて、研究内容が大きく変わっていた

    社会人ドクターとして博士号を取得しました
    masudaK
    masudaK 2017/12/04
    行くなら違う専攻でやりたいけど、あの世界に戻れるかというと自信ないなー。
  • なんか結婚できた

    今年の2月に結婚したのだが、そこに至るまでの経緯がかなり変わっているので、ちょっと文章に残しておこうと思う。 彼女と最初に会ったのは13年前なのだが、最近までほとんどまともに会話したことがなかった。 最初に会ったのは留学先のトロントだった。バイトしていた和レストランで、数回だけ彼女とシフトが重なった。その店は日人の留学生を積極的に雇っていた。 彼女は僕より先に帰国した。連絡先を交換することもなく、軽く挨拶だけして別れた。特に仲良くなったわけでもなかった。 数年後、彼女はマッサージ嬢になっていた。いわゆるグレーな店ってやつだ。僕はサラリーマンになっていた。会社帰りに先輩と酒を飲んで、酔った勢いで入った店に彼女がいたのだ。体のラインがくっきり見える白いワンピースを着ていた。スカートはパンツが見えるぐらい短くて、とんでもなくエロかった。お互いに顔を見合わせて、アッという顔をしたが、それ以上は

    なんか結婚できた
  • 生き方についてちょっとだけ考えた|ユカリ

    実家に帰るたびに、自分の育った環境とか生き方とか、 いろいろ考えてしまいますよね。 私の実家はめちゃくちゃ貧乏で、親も私が17歳の時に離婚していて、 普段一人で東京にいるとそういうことをだいぶ忘れてしまっているんですが、 こうやってお盆や正月の時に帰ってくると否が応でもそういうものを思い出させられてしまいます。 でも、まぁいろいろ考えるいいきっかけなのかなぁと。 先ほど母親がぽろっとこんなこと言いました。 「仕事も正社員でもないし、何も成し遂げられなかった人生だったなぁ」 こんなこと言われて娘の私としてはとても悲しい気持ちではあるんですが、 母は22歳という若さで私を産んで1人の人間を育て上げたのに、 それでも人生に対する達成感って得られないものなのかと驚く気持ちもありました。 そして思ったのです。どこで満足するかはもう人の決めの問題なのではないか、と。 子供を産んでも、大企業で出世して

    生き方についてちょっとだけ考えた|ユカリ
  • 「学年トップだったヤツ」って今もエリートなの? 大人になった彼らに聞いてみた! - イーアイデム「ジモコロ」

    【1人目】中学時代学年トップ! 国立大で奨学金の返還免除も受けたAさん 1人目は、中学時代に学年トップだったAさん! Aさんのこれまでの経歴はこんな感じ。 エリートすぎるだろ!! というわけで、遠いアメリカよりビデオ通話にて取材にご協力いただくことに。 このスマホの画面にAさんが映っております。よく笑う明るい方です! 「はじめまして。よろしくおねがいします!」 「こちらこそ、宜しくお願いします」 さあ、学年トップだったヤツの人生を暴いていきたいと思いま〜す! そもそも、なんでそんなに勉強ができるの? 「Aさんは、学年一位だったんですよね?」 「はい、中学生の時になったことはありますね」 「なんでそんなに賢くなるの〜!? 私、ほんとにアホだったので想像がつかないんですが……」 子供の頃の社領。この日から今まで一切勉強をしてません 「うーん、毎日勉強してたら一位になってましたね」 「毎日!?

    「学年トップだったヤツ」って今もエリートなの? 大人になった彼らに聞いてみた! - イーアイデム「ジモコロ」
    masudaK
    masudaK 2017/08/12
    偏差値ベースで自分最強とかなったら、早めに失敗しないと、取り返しがなくなりそう。
  • 男はみんな「元カノの成分」でできている

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    男はみんな「元カノの成分」でできている
    masudaK
    masudaK 2017/07/22
    釣り気味のタイトルだけど、生まれ持った性格がどんなものなんかは分からないし、周りの人のおかげで生きているのかもしれない。
  • おっさんが水商売の店に行く理由

    30を超えて、ようやっとなぜおっさんが水商売の店に飲みに行くのかわかるようになってきた。 ここで言っている水商売ってのは、仲間同士でワイワイと2軒目に行くキャバのことじゃないぞ。 仕事終わって、一人でしっぽりと行く、地元のスナックとか、パブの事だ。 店で一番若い子がアラフォーくらいの店な。 地元のおっさんなんかが入り浸っている、冴えない店だ。 20代のお前は、こんな店の存在理由がわからないだろう。 なんでババアの顔見ながらまずい酒飲まなきゃいけないんだ、って思っているだろう。 俺もそう思っていた。 でもな、お前も40になった時、多分あの店のカウンターで、真露飲みながらカラオケ歌ってるぜ・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20代のうちはさ、給料も全部小遣いだし、地元や大学からの友達もいるし、会社の同期とも仲良しだし・・・ 女と飲みに行くのは容易かったよ、俺だって。

    おっさんが水商売の店に行く理由
    masudaK
    masudaK 2017/05/16
    俺もそのうちこういうところ行くのかなー
  • 聞いてほしいことがあるんです。 - A Spoonful of Sugar

    私について こんにちは、さくらです。 私のことを知らない人のためにざっくりと自己紹介をしておくと、私は95年生まれの21歳。富山県のとあるちいさなまちの出身で、中高時代に独学で勉強した英語をつかって高校卒業後はアメリカ・シリコンバレーに渡りました。 最初はシリコンバレーの学生らしく(?)メディアを運営したりしていたのですがアメリカ人の友達がほしくて高校時代にやっていたチアを再開したら、楽しくて大会にまで出るようになってしまい・・・気付けば大学でも練習漬けの毎日でした。 チア服姿で学校に通って、放課後はおしゃれが大好きなチームメイト達とダウンタウンでハングアウト!ドラマで観て憧れていたような学校生活が叶えられて、嬉しくて仕方ありませんでした。 カレッジを1年で卒業できることになったので帰国し、現在は都内で働いています。 Sakura🍓 (@saku7142) | Twitter はじめに

    聞いてほしいことがあるんです。 - A Spoonful of Sugar
    masudaK
    masudaK 2017/02/27
    "自分にはこれから先何十年も時間があって、夢を追えることが当たり前のことだと思わないでほしいんです。"
  • 僕はジョブズではないということを理解するのに30年近くかかった話 - 発達障害就労日誌

    さて、いよいよ新卒の皆さんもXデイが近づいて来ましたね 2月も半ばを過ぎました。このブログが始まってもう半月以上が過ぎたわけです。早いものですね。さて、新卒の皆さん、残った猶予時間も少なくなってきましたね。思い残すことはありませんか?十分にモラトリアムを満喫しましたか?泣いても笑ってもあと一ヶ月と少しです。悔いを残さないようにやりたいことをやってください。 僕も、3月に向けて新卒向けの「生存手引き書」シリーズを完結させる予定です。それに向けて、僕の失敗談を少し書き連ねて行こうと思います。 僕のキャリアは文句のつけようのないホワイト企業から始まりました。もちろんそれなりの激務感がゼロだったわけではありませんが、一般的な水準から見れば給与は高く、休みは多かったと思います。福利厚生はこれ以上ない水準で揃っており、教育環境は極めて高いレベルで完備され、正しく文句なしの職場でした。大学4年生の2月の

    僕はジョブズではないということを理解するのに30年近くかかった話 - 発達障害就労日誌
  • Twitterでレイオフも体験したNY在住エンジニアが語る「波瀾万丈な人生」を楽しむ方法 | ライフハッカー・ジャパン

    将来がまったく見えなかった20代の日々 ── 日で職を転々としていた頃、将来についてはどう考えていましたか? 河野:将来のことは何も見えていない状態でした。地元大阪の大学に入学し自分で学費を払っていたのですが、学ぶことがつまらなくて、2週間で退学を決めました。その後、3年間白馬のスキー場で冬場だけ住み込みをし、スノーボードに打ち込んでいた時期もあります。 ── テクノロジーの世界にはどのように入ったのですか? 河野:もともと小学生の頃から遊びでプログラミングをしていて、漠然とですが、大学を辞めてもコンピュータを使った仕事ができるのではないかと思っていました。自動車工場で働きながらプログラミングを独学し、パソコン修理工場に転職し、その後、派遣社員としてプログラマー職に就きました。半年単位のプロジェクトごとにいろんな会社を渡り歩くという働き方をしていたのですが、プロジェクトを終えるごとにスキ

    Twitterでレイオフも体験したNY在住エンジニアが語る「波瀾万丈な人生」を楽しむ方法 | ライフハッカー・ジャパン
  • Jリーガーだった。

    Jリーガーだった。 つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。 山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕

    masudaK
    masudaK 2017/01/17
    10代の人生丸ごと捧げてもこういう世界だもんなぁ。厳しい世界。