CiNii Articles 検索 - 現代存在論入門 著者が計画している『現代存在論入門』(仮題)という著書の「スケッチ」ということで、プロトタイプになるような原稿が公開されている。 普通の文章に混ざって、ヨシオ、ノリコ、タカシの会話文が挟み込まれるスタイルで書かれている*1。 序論から第九章までが構想されており、第一部では第一章と第二章、第二部では第三章と第四章、第三部ではおよそ第五章と第六章にあたると思われる部分が書かれている。 第一部 まえがき 存在論は形而上学の一部であると位置づける。ただし、形而上学の核心部分である。 何故存在論入門が書かれる必要があるのか。 (1)日本語で書かれた適当な書物がないから。 (2)日本で存在論というとハイデガーがイメージされることが多いが、そのような傾向を払拭したいから。 (3)哲学への手引きとして存在論がふさわしいから。 (4)存在論は、哲学と
ホッブズは『リヴァイアサン』という本の中で、国家(やその権力や社会秩序)がどこから生まれるかという謎にひとつの答えを出した。 それも「神様のような人間以上のものがうまく設計したのだ」というご都合主義ではないやり方でだ。 原子論が「自然は運動する原子の集まりだ」と考えるように、ホッブスは社会を人間のあつまりだと考えた。 そして人間の性質からはじめて、人間の集まりで何が起こるか、人間と人間が関わりあうことから何が生まれるかを考えた。 どんな人間にもあてはまる性質は、「死にたくない」という欲望と、「おれが、おれの方が」という欲望を持っていることだ。 「おれが、おれの方が」という欲望は、死ぬまで無くならない。 だから、このままだと、いろんなものを取り合って、人間は死ぬまで争い、どんどん死んでいくことになるだろう。 だが人間には「死にたくない」という欲もあり、そして多少はものがわかる能力もある。 こ
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