繰り返される「SE」の自殺 先週末、こんなニュースが一部で騒がれていました。SE、過労でうつ病→自殺…労災認定 - 大田労基署 :日本経済新聞 コンピューターのシステム開発などを手がけるピーエスシー(東京都港区)のシステムエンジニアの男性社員(当時29)が2011年に自殺したのは「長時間労働によるうつ病が原因」として、大田労働基準監督署が労災認定したことが31日分かった。 【中略】 男性は06年に入社し、システムエンジニアとして大田区内で勤務。 プロジェクトリーダーに就いた10年11月ごろから労働時間が急増し、11年6月に自殺した。同12月に遺族が労災申請した。 弁護士によると、労基署は、男性が11年5月下旬にうつ病を発症したと判断。 発症4カ月前の1カ月の残業時間が、前月の倍以上の136時間に急増し、2週間以上連続して勤務していたことなどから労災と認定した。 なんとも痛ましい話ですが
Macを使い始めて、いろいろ新しいソフトやアプリを探していたところ、同僚の方からいま人気のSublime Text 2というエディタを教えて頂きました。どうやら無料らしく(今後シェアウェアになるかも?)、初期設定や自分に合った環境に整えるのに少し手間取りましたが、なんとか実務で使えるレベルになってきたのでシェアします。 HTML5,CSS3,jsを書く事が多くて、Zen-CodingもSass+Compassも使うし、それにスマートフォンのマークアップ業務が多い!なんていう僕と同じような人がいるなら、このエディタはオススメですw 以下の設定通りにやれば、フロント寄りのエンジニアになら最低限は使えるものになると思います。 ダウンロード Sublime Text 2 – Dev Builds 初期設定 アプリを立ち上げて、Sublime text2 > Preference > Setting
crossroads sign by Bill_Owen, on Flickr 僕が行っていた高校は、どちらかというと進学重視の高校で、僕の記憶が正しければ1年生の頃から進路を考える必要があった。「そんなのわかるわけないやん」とか思いながら過ごしていた気がする。 そして、3年の時、クラスの最後まで進路を出さなかった自分は、入学試験のお金でプレイステーションを買い、その後、先生に「フリーターをします」と宣言した。これがはじまり。 当時は、フリーターが社会的問題になりかけたときで、先生も理解できなかっただろうし、両親も当時は理解できなかったかもしれない。でも、「なんとなくみんなが大学行くから」とかいう理由で数百万払うのは嫌だし、「ちょっとドロップアウトしてみるか」という寄り道気分だったのだろう。 そういうわけで、3~4年続くフリーター生活が静かにスタートした。 当時は、働くのが好きだったので、
スーパーエンジニア達の習慣が大人気だったので、自戒の意も込めて、反面教師として成長しないエンジニアの悪習慣について僕の経験と視点からまとめてみる。 業務時間外での学びがない プロ野球選手は日々練習をして、試合という本番で勝敗の結果を出して評価されるこれをエンジニアに置き換えると、どこかで練習をして、仕事という試合をして、ソフトウェアという勝敗の結果をつくりだす。プロ野球選手が試合を練習だと思って取り組んでいたら、結果を出せるのだろうか? 業務外で練習をして、本番で良い結果を出せるように努力しよう。練習大事!! 時間をかければよいものができると信じているいくら時間をかけたって、バグのないエレガントなコードのソフトウェアはできない。効率的に仕様を満たしていくことが求められている。むしろ、時間をかけるべき所は上記で指している練習!! 参考:集中力を発揮して、生産性を高めるために知っておくべきこと
自分はソフトウェアエンジニアとして毎日の糧を得ている。今のところはサラリーマンエンジニア以外の存在になる予定はない、が、とはいえ唯々諾々とつまんない仕事ばっかりやる毎日はできればごめんだと思っている。コードを書くのは楽しいからコードを書ける仕事をしたいし、特に面白い問題やまだ誰も手をつけてなさそうな問題を解決する仕事ができれば最高だ。 つまり、そう、尊重されたい。自分のやれること、やりたいことを尊重されるようになりたい。自分がやった仕事には価値があると思われるのは嬉しいし、そのように(勤務先以外の)他人から認められれば面白い話も聞けるようになるかもしれない。尊重されるソフトウェアエンジニアになれれば楽しそうだ。 尊重されるソフトウェアエンジニアであれば、もしかしたら自分の仕事についてある程度の自由が効くかもしれない。突然わけのわからない政治でがんじがらめの炎上プロジェクトのPMをやってこい
イントラの業務システムを作るSIが姿を消しつつある様子を、タイトルにも言う「SIの終焉」という少々刺激的な言葉で説明してきたのだが、果たしてそこに長年従事してきた企業やエンジニアその人たちは今後どうしていけばいいのか?最終回はさらに放談していこうと思う。 放談というのは、あくまで私の独善的な視点であるためだ。私は昔にエンジニアだったこともあるが、今はまったくエンジニアと名乗る資格は無い。すでに5年近く現場から離れてしまっている。一方で多数のエンジニアを雇用する立場ではあって、簡単に言うと「スーツ」。想定するこの記事の読み手に対しては仮想敵の立場だ。つまり、今回は大概のエンジニアにとって不愉快なことを述べようと思っている。 企業側の視点でエンジニアリソースの性質を考える 今でも職人気質にて燃え盛るデスマーチ案件のリカバーに飛び込んでいったり、難しいマルチベンダー案件にて、エンドユーザー側の立
tstalk Vol.1というテクニカルサポートのトークイベントに行ってきていろいろお話したり聞いたり考える機会になったので書き出しておくよ。いろいろなテクニカルサポートな人が集まっておもしろかった。ソフトウェア製品サポート、ハードウェア製品やそのファームのサポート、非サポート(興味がある、昔やっていた、サポートを利用するお客様の立場だけど、というような方々)、その他、みたいなごちゃまぜ編成。 ランダム箇条書きな感じで。 テクニカルサポートは楽しい テクニカルサポートはケーキバイキングみたいなお仕事 基本的に扱う内容はエンジニアであるお客様がつまずいた「技術的に難しいところだけ」おいしいとこどり食べ放題 「サポート」を「エンジニアリング」する、多くの改善余地のある創造的な作業が多め 例えばプログラマ関連だと、WebとDBとの橋渡しをするだけのコード書きや(デザインなどの創造的な作業ではない
2012年2月をもって、ジンガジャパン株式会社(旧ウノウ株式会社)を退職します。 2009年の後半に到来した、mixiのソーシャルアプリを発端としたソーシャルアプリブームに乗って、2010年1月に入社しました。 2009年後半から交流させて頂き、当時のmixiアプリの携帯版オープンの際には、オープンから48時間しない間に80万人以上のユーザーが「まちつく!mixi版」を登録してくれた時の興奮は今でも忘れることができません。 僕が入社して、月に数億円売り上げるソーシャルゲームであり、毎日リリースできるようなアグレッシブな開発に直接、携われ、構築できた経験は貴重でした。また、シリコンバレーの企業から日本の企業が買収されるという珍しい機会に携われたのも良い経験です。 http://jp.techcrunch.com/archives/20100804zynga-buys-tokyo-based-
【はてなを見ている学生向け】学生時代にプログラミングのバイトをしなかったのが本当に悔しい 今日、はてななどに興味を持っていて、ギークになりたくて、でもプログラミング業界はとっても怖くて、 大変なところだなと思っている大学生に出会った。きっとはてななどで、10年泥発言を見たり、SIer下請けの地獄を見聞きしたりして、 すっかりおびえてしまっているのだなと思った。 まるで昔の自分を見ているようだった。ぼくはもともとコンピュータ好きの子供だった。だからプログラマで食っていくことも考えた。 しかし、IT業界のあまりに過酷なイメージにおびえた。ぼくには当時、エロ動画検索によって得たインターネットによる情報リテラシがあった。 デスマーチや3K、徹夜、鬱病、ぼくはインターネットからそのようなひどいIT業界の惨状をいくらでも見聞きすることができた。 結局学生時代にITの勉強をろくにせずに就職した。で、今結
大きな目標を立てることは立派なことだけれども、これは、戦国時代に例えるならば、すべての武士に対して、信長や秀吉を目指せといっているのと同じくらいに難しいことのように思われます。しかし、一方で、政治の表舞台には登場しなくても、裏方として活躍した軍師や忍者として活躍したような人もたくさんいたと思われます。そういう忍者たちは、表向きの身分こそ低くても、自分の剣術や諜報スキルを磨くことで、大名に信頼されて、戦略上重要なプロジェクトを任されていたのではないでしょうか。 日本のユーザー企業は忍者のようなプログラマーをもっと登用して重用すべきでは − 達人プログラマーを目指して 僕も数年前にSIerから転職してウェブサービスとかいろいろやる会社に入ったものの、日々苦労してるのでこういった記事やその元記事はすごくリアリティがあります。たまに当時の同僚と会ったりしても、みんなそれぞれ必死で生き延びる道を模索
あの記事から一年、ひがやすを氏が以下のエントリーで、プログラマーとして、新しいサービスを作ることの難しさについて書かれています。 僕と君とSIerの生きる道 - yvsu pron. yas 確かに私自身は、サービスを作る側に回った(まだISIDにいるけど、ベンチャーで働いているようなものです)のですが、身を持って面白いサービスを作る難しさも経験しました。 面白いサービスを作るのはほんとうに難しい。その後、マネタイズにも成功するのはさらに難しい。サービスを作る側に回って成功するのはほんの人握りの人なんです。 もともと一年前におっしゃっていたことは、SIerのビジネスに将来性はないから優秀なプログラマーは自分でサービスを作る側に回らなくてはならないし、単によいコードを作れるだけでなくて、自分からアイデアを考えられるようにならなくてはならないということだったかと思います。一年前この記事を読んだ
当ブログはamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、 Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。 2012年1月末をもって、今の会社を退職することになりました。 2006年に、それまで勤めていた会社の倒産をきっかけに入社し、5年半ほどお世話になりました。 ぼくの社会人キャリアの中ではいまのところ最も長く在籍した会社であり、エンジニアとして大切な多くの事を学ばせていただきました。 在職中にお世話になった皆様方、本当にいろいろとありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いします。 今回のエントリーでは、ぼくが転職をするにあたって具体的にどういうことをし、そして成功したのか。そういったことを書こうと思います。 ■SIerからWeb系へ ぼくは今回、いわゆるSIerからいわ
厳密な退職日は1月24日で、今は有休消化中なのでタイトルは若干釣りです。 最終出社日は去年の29日だったのを、今更退職エントリなんて…とも思ったんですが自分の足跡を残しておく意味でも書いておこうと思います。 辞めた理由 ぶっちゃけネガティブなものです。 面接時 僕「開発環境は?」 面「ハイスペックPCにデュアルディスプレイです」 →現実:Celeron メモリ1GB シングルディスプレイ 僕「バージョン管理は?」 面「svnを利用しています」 →現実:IRC上で声を掛け合いながら手動でFTPにデプロイ。ちょいちょい上書きして事故る …などなど、入社直後に「あれれ?」と感じることは多かったもののまぁ、そういうものなんだろう、と悶々しながらも開発を続けていました。 とは言えやっぱり非効率だなぁと感じることも多かったので、あーしたらどうでしょう?とかこーしたらどうでしょう?とか提案したこともあっ
私、山田進太郎は、本日1月16日(月)付でZynga Japanを退社します。 ウノウのミッションであり、Zyngaへのウノウ売却時の理由でもあった 「世界で使われるインターネット・サービスを創る」 を達成できないままなのは残念ですが、目標はすぐに達成できてはつまらないもの。今後もこの目標は個人的に追いかけていきたいと思います。 有限会社ウノウからだと10年半弱、元副社長の石川と作ったウノウ株式会社から考えると7年、Zyngaになってからは1年半弱。 振り返ってみると、本当に社内外、いつの時も、様々な方々に支えられて来たのだなぁと思います。 退社したからといって人生が終わるわけではありませんが、一つの区切りだとは思いますので、改めまして。 私とZynga Japan(およびウノウ)に関わったすべての方に深く感謝いたします。今まで本当にありがとうございました。 今後についてはまったく未定です
2012/1/15 をもちましてサイボウズ・ラボ株式会社を退職することになりました。 お世話になったみなさん本当にありがとうございました。 各分野でのトップレベルのエンジニアに囲まれた 4 年間は本当に刺激的でした。ラボでは良い上司(畑さん)に恵まれラボのミッションに沿う形で、比較的自由に研究・開発に取り組むことができました。外に出ているだけでも Mosh / Mio / outputz など。どのプロジェクトでも自分が実現したいこと、自分の能力と真摯に向き合う必要のあったかけがえのないプロジェクトでした。この 4 年間に学んださまざまなことは、今の自分を形成する「成分」の中でも大きな割合を占めていることを感じています。サイボウズ・ラボおよびサイボウズのみなさま本当にありがとうございました。 1 月末から新しい職場でソフトウェアエンジニアとして新たな一歩を踏み出します。みなさま今後ともよろ
ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。 電話が鳴った。 あたしはワンコールで受話器を取り上げた。別に待ちかねていたわけではなく、朝から続くしつこい頭痛に干渉する電子音を一刻も早く断ち切りたかっただけだ。 「はい、日比野です」 『受付です。ホライゾンシステムサービス株式会社様がいらっしゃいました』 「すぐ行きます」 あたしは受話器を置いて時計を見た。14:12。約束の時間より約10分の遅刻だ。 ――まあ、遠いから仕方ないか 腰を上げたとたんに立ちくらみに襲われた。椅子にへたりこみそうになるのをぐっとこらえて、窓際の席でヒマそうにしている磯貝課長に呼びかけた。 「課長、ホライゾンシステムさん、いらっしゃいました」 「あいよ!」 磯貝課長の脳天気な返事を後頭部で受けておいて、あたしは頭を揺らさない程度に早足でフロアを出た。さ
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