先日、紹介で新規の依頼企業へ足を運んだ。 何やら色々試しているのだけれど、 納得いってないらしい。 広告で何をしたいかと訪ねると 「売上、利益を上げたい」 と言う。 そこですかさず、再質問した。 「(既存顧客や新規のお客様に)どのように自分たちのことを 感じてもらったら売上(利益)は上がるのか?」 この質問に明確に即答してもらえなかった。 というより、答えがなかった。 相手(ユーザー、お客様)にどのような評価をしてもらえれば、 売上は上がるのだろうか? お客様はなぜ自分たちを選んでくれているのか? 同じ会社の製品なのに、お客様はなぜ A商品は手にしてくれているのに、Bは 買ってくれないのだろうか? まずはそこから理解していきませんか? と話をしたら、妙に納得してくれた。 「自分たちのお客様のことを理解していないから、 広告がうまくいかなかったのですね?」 そう言ってもらえて、スタート地点に
つづきのつづき。 高コンテキストの代表だった日本は明らかに 低コンテキスト時代に突入している。(と思う) 聞き手は言い手の言いたいことを察することはせず(できず) はっきりしたメッセージを求める。 高コンテキスト時代は、恐らくみな察知能力は高かったのでは ないかと思う。言い手が何を言わんとするのか、少ない情報量で 聞き手は察知できていたのだから。 低コンテキスト時代では、聞き手の察知能力は下がる。 沈黙から言いたいことを伺う、行間に書かれていることを読み取れなど ありえない世の中で、その結果、想像力も創造力も劣ってしまっている。 聞き手が察する力がなくなってきているから 言い手は逆に聞き手を察する力が必要だ。 相手が求めていることを言い手が察知し、 それをメッセージに込め、今まで以上に繰り返し伝える必要がある。 時間をかけ、繰り返し伝えることで初めて、相手に伝わる。 言い手は、今まで以上に
大学時代に、ちらりと読んだ「異文化コミュニケーション」の 改訂版を偶然見つけたので、購入し、毎日(少しずつ)読んでいる。 この本を改めて読もうと思った理由は、究極の所、我々の仕事は 垣根を超えたコミュニケーションの構築、相手との関係づくりで あること。さらには、アカウントプランニングには文化人類学的な アプローチが数々あり、その理解を深める必要があると感じたからだ。 文化人類学者のエドワード・ホールが異文化コミュニケーションの中で、 高コンテキストと低コンテキストという概念を導入していることは 学生時代に習ったような気がするが、改めて興味深く感じる。 (前著引用) 社会構造と人間関係が緊密な高コンテキスト文化では、情報は 記号化されたメッセージよりもコンテキストの中に存在する。 これに対する低コンテキスト文化では、情報は主に記号化 されたメッセージの中に含まれる。 その結果、高コンテキスト
「お客様本意」「お客様の声を聞く」と言われるけど、 単にお客様の声を聞いてはダメで。 なぜなら、お客様は自分の意識や行動を自覚しているとは 限らないから。 色んな方のところへ出向いて話を聴いているけど ほとんどの人が自覚していない。こちらと話をしている間に 「そうそう。それそれ。私の言いたいのはそれ」ってなってくる。 お客様すらも自覚していないけれど、確かに持っている 感情(好意など)や価値観を見抜くのがアカウントプランナーの 仕事。 単に聞いたって奥底にあるものはわからないし、 声にならない声や心の奥底を理解するのは、 並大抵のことではない。 定量調査も時には必要だけれど、対話なしのインサイトなど あり得ないと言っているのはそういうこと。 心して聴かないと。そして聴く側の 自分の心を成長させないと相手のことを察知するなんて無理。 洞察ってそんな簡単なことではない。 日々訓練、心を磨いてこ
コンペプレゼン前。 独り言が多くなります。 ブツブツ、ブツブツ。 で、その台詞を原稿にします。 原稿用紙に万年筆で書いたり、ワープロでうったり。 最初は紙に書いて、整理をワープロですることが多いです。 パワポは基本使いません。 クライアントから指示がある時や 大勢の前なら一応は準備しますが、10名以下の少人数プレゼンの場合、 ほとんど、使わないか、大きな文字(フォントサイズは36以上)で 1Pに1行か2行書かれている×数ページ。なので、なくても あってもあまり関係がありません。 そもそも当社のような小さな会社に コンペ依頼があるのは、最初から何かしらの理由が あることが多いです。 いわゆる当社のプレゼンを通じて、大きなうねりを出すきっかけや、 停滞の打破、今までを変化させて欲しいということなど 今までとは違う何かを期待されているのです。 そうなると、企画それ自身も大事なのですが、
とあるクライアントの役員の言葉。 「(第三者からの)何とか1位などの評価を広告にしない」 「(お客様などの)評価が良くなる様に努力することは、 とても大事なことだが、その評価でもって、新しいお客様を 開拓しようとするのは本末転倒」。 身に染みました。 ありがとうございます。
先日の企業側、インサイト・インタビューでのひと言。 「企業において、会話ができる、うまい人が コミュニケーション能力が 高いかと言うと、 必ずしもそうではない。しっかり 書類が書ける、 (コミュニケーションツールとしての)システムが使いこなせる、 確認ができている、相手が理解できている。そう言ったことを総じて コミュニケーション能力が高いと言うのではないか?」。 深く納得。深く反省。確かにそのとおり。 変な話、上記に定義したコミュニケーション能力の高い人は 稟議を通すのも早い。部署内、社内、社外どこをとっても しっかりと情報共有ができている。 自分も改めないと。行き違いがあるっていうのは、 本当のコミュニケーションがとれていないってことだから。
※1番下に追記あり。5/6現在。 GWがはじまりました。 今年は色んな話を聞いていると 近場で過ごす方が多いような・・ ちなみに名古屋は30度近くになるそうです。 僕は暑さに弱いので、多分ずっと家にいます。 さて。 最近、テレビ撮影クルーと会うことが多くなり いろんな人と話をしています。 そのメンバーたちは、ウェブのことは知らない(興味がない?)人が 多く、こちらに集中砲火のように質問をしてきます(笑) 「ああ、そういうことなの。あんた(僕)は、ちゃんと 質問に答えてくれるでぇ、わかりやすいわ」。 そんなことも言われたりします。ちょっと役に立てているようで 嬉しいです。でも、反対に厳しい意見もあります。 「ウェブの人はできないことを先に言うから嫌い」 それってたまたま人が悪るかったんじゃないの?って 思うのですが、その人だけでなく、そこにいた周りの人も 「そうそう」って話をしていました。
ウェブCMをつくる機会や提案が増えてくる中、 テレビCM製作スタッフと一緒に仕事をすることが 多くなってきました。 彼らは流石。映像の世界では、 プロフェッショナルです。 1カット1カットのこだわりは凄い。 演出、撮影、照明1つにしても、 手を抜くことはありません。 しかし、当然、ウェブで流す動画製作については 経験が少ない。だから、節々にこんな言葉を 口にすることがあります。 「ウェブは画面が小さいですからね」 「画像も粗いですし」 テレビなら表現をこだわる所も 画面が小さいから、手を抜くということでは ないでしょうが、そんな気持ちになるのも わからなくもありません。 でもそれは違うのです。 ウェブは画像サイズが小さいと言いますが、利用者と画面の 距離はテレビより近いです。 またプッシュで流れているテレビCMとユーザーの 意思が働くプル型のウェブでは、視聴質が違います。 その当たりを僕は
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