子どもの時、本心でない、きれいごとの作文を書くことに罪悪感を持ったという人がいます。でも、きれいごとが矛盾なく書けたということは、そのきれいごとの論理を理解したということで、悪いことではありません。自分の考えと異なる考え方を理解するトレーニングになっています。
子どもの時、本心でない、きれいごとの作文を書くことに罪悪感を持ったという人がいます。でも、きれいごとが矛盾なく書けたということは、そのきれいごとの論理を理解したということで、悪いことではありません。自分の考えと異なる考え方を理解するトレーニングになっています。
E-girlsの「DANCE WITH ME NOW!」に「スタックスタックしてるだけじゃTic Tac時間の無駄」。この「スタック」というのは車がぬかるみにはまって出られない状態だと思いますが、『三省堂国語辞典』にない。載せたほうがいいでしょうか。
「新年明けましておめでとう」はおかしい、新年が明けたら来年になってしまうではないかという意見があります。でも問題ない。「毛糸を編む」でなく「セーターを編む」、「水が沸く」でなく「湯が沸く」という言い方があります。結果を主語に持ってくる語法が日本語にはあるのですね。
言語学では「このことばは誤用か否か」は研究しようがありませんが、「このことばが『誤用』と言われはじめたのはいつか」は研究できます。「全然~(肯定形)」は昔から使われていたのに、戦後になってにわかに「誤用だ」と言われだした、というのは典型例で、かなり研究されています。
今年になって、「ヘルメットはいつもかぶってる感じですか」のように、意味なく使う「感じ」の用法に気づきました。「かぶっていますか」で十分なところ。これが私にはおもしろく、家では「もう晩ごはんできてる感じですか」のように多用しています。三省堂「#今年の新語」には入らないでしょうけど。
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