片山 この本は、『古事記』の受容史です。中世から折口信夫まで、どのように『古事記』の中身が解釈されたかを論じています。神話に正しい解釈などない。その時代に合った読み方の積み重ねがあるだけだ。そういう割り切りが大前提で、とくに、江戸時代の国学者で、『古事記』の注釈書の『古事記伝』を編んだ本居宣長、その「異端の弟子」とされる平田篤胤らの、『古事記』の「読み」のなかから、彼ら本人の思想を鮮やかに切り出します。 酒井 この本を読んで、宣長も篤胤もキリスト教や天体学など西洋の知識や思想に学んでいた、というのが意外でした。 山内 ふつう、宣長の思想は、明治以後に展開する排外的「皇国イデオロギー」のさきがけとして批判されることが多い。むしろ著者は、いかに宣長の思想に西洋の最新知見が取り込まれていたかを明らかにします。宣長の一種の読書ノートによれば、『天経或問』という宣教師の知識を基にした西洋天文学の書を