タグ

ブックマーク / jtsutsui.hatenablog.com (14)

  • 「公共性」ノート:再分配か承認か - 社会学者の研究メモ

    某出版企画で「公共性(公共圏)」や「市民社会」について書くことになりました。いろいろ復習しなきゃならなくなりましたので、ノートを作っていきます。(ひっそり作っていくと飽きるのでいくつか記事にします。) 第一弾はナンシー・フレイザーandアクセル・ホネット。 再配分か承認か?―政治・哲学論争 (叢書・ウニベルシタス) 作者: ナンシーフレイザー,アクセルホネット,Nancy Fraser,Axel Honneth,加藤泰史出版社/メーカー: 法政大学出版局発売日: 2012/10メディア: 単行購入: 2人 クリック: 30回この商品を含むブログ (10件) を見る 上記の2章、ホネット「承認としての再配分」の読書メモ。 第1節 社会的不正の経験の現象学について ホネットがいうには、フレイザーは社会運動を批判理論の拠り所にする際、「社会運動は再分配を主張するものから、アイデンティティ・ポリ

    「公共性」ノート:再分配か承認か - 社会学者の研究メモ
  • 新刊『結婚と家族のこれから』のお知らせ - 社会学者の研究メモ

    拙著の新刊、『結婚と家族のこれから:共働き社会の限界』が6月16日に発売されます。Amazonでは書影も出て、予約をすることができます。長いスパンを視野に入れて、家族と共働き社会を相対化する視点から、その意義と限界について論じています。 結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書) 作者: 筒井淳也出版社/メーカー: 光文社発売日: 2016/06/16メディア: 新書この商品を含むブログを見る 目次と概要は以下のとおりです。 【第一章】家族はどこからきたか → まだ家族が存在していない段階から、いかに現在イメージされている家族が生まれてきたのかを論じています。 【第二章】家族はいまどこにいるか → 私たちの家族が現在どこでとまっているのかを、性別分業や共働きといったキーワードから論じています。 【第三章】「家事分担」はもう古い? → かつては、家事分担なんて存在しませんでした。

    新刊『結婚と家族のこれから』のお知らせ - 社会学者の研究メモ
  • 社会保障の「気前良さ」は政府支出の大きさでは測れない - 社会学者の研究メモ

    政府は増大する社会保障支出を背景に、いよいよ増税に向けた調整を格化させている。他方でアカデミズムにおける社会保障論(福祉国家論)をみると、日は基的に社会保障に関して低い水準にあるということがたいていの議論の出発点となっており、現在の政府の政策展開とアカデミズムのあいだには奇妙なズレがあることが分かる。 このズレはいかにして生じているのだろうか? ある国の社会保障の手厚さを測る指標としてしばしば社会保障支出のGDP比が用いられる。また、日政府はしばしば国民負担率という指標を用いる。しかし、たとえば年金支出は高齢化率にしたがって上昇するので、「年金支出の規模が大きいから社会保障が充実している」ということにはならない。失業率と失業手当の関係も同じで、失業率が高ければ失業手当支出も増えるが、かといって雇用関連支出が「充実している」というわけではない。 図は2007年のOECD諸国の社会支出

    社会保障の「気前良さ」は政府支出の大きさでは測れない - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2015/01/26
    小手先(パイの分け方)の調整の余地はますます小さくなっていることから目を反らすことはできない。社会保障改革は、最初から雇用制度改革と連携して議論すべきなのである。
  • 科学における不正と発見 - 社会学者の研究メモ

    「あの件」については何も意見とか書いてなかったのですが(たくさんの人がたくさんの興味深いことを書いてくれているので)、ひとつだけ気になったことがあります。 何かしらすごい科学的発見があって、その発見をした人が何らかの理由でその発見を露骨に不正な手続きで世に出して、その不正のゆえにその科学的発見が一定のあいだ認められなかった、という事例は、これまでどれくらいあるのかな、ということです。(「ないだろう」と思っているわけではなくて、事実としてそういうことがよくあるのかどうか知りたい、ということ。) 一部の科学哲学では「発見の文脈」と「正当化の文脈」を分けているので、この分け方を使うとすれば、発見においてはひらめきでも夢のお告げであっても、科学的に非難されることはあまりないでしょう。しかしその結果を正当化する文脈では、現在の科学コミュニティは(総体として)それなりに厳しいスタンスをとっています。

    科学における不正と発見 - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2014/03/23
    http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062575353 背信の科学者たち: 本: W. ブロード,N. ウェイド,牧野 賢治
  • 東欧の移行経済と家族 - 社会学者の研究メモ

    社会学先日、トロント大学社会学部博士課程在学中のセルビア出身の女性とお話しする機会がありました。(というかクリスマスパーティで偶然会ったので、こちらからお願いしたのですが。)この方の研究分野は、東ヨーロッパ諸国の資主義への移行についての社会学的研究です。カナダの社会学の院生の方々すべてがそうであるかどうかは知りませんが、少なくともトロント大学の院生について言えば、ほんとによく勉強しているなあと感じます。計量分析の話はもちろん、経済学のことも一通り話ができることも多いです。それに応じて、社会問題について語る際の視点も、なんというか、バランスがいいです。...とそれは余談ですが、話の内容は以下のような感じでした。今回は以前に増して話がややこしかったので、ときどき英語が理解できず、かなり不正確に把握しているかもしれませんが、例によって対話調で再構成しておきます。この方の名前の頭文字をとってIさ

    maturi
    maturi 2012/08/07
    民主制と経済成長の関係|"IMFの言うことを聞かなかった国の方がうまくいっていたとも思う" ロシアでは国有財産を市民に還元するとき、企業の所有権を分割してバウチャーとして一般市民に均等に配布した"が市民は安価で
  • 説明と選抜:統計学における2つの「関心」 - 社会学者の研究メモ

    社会学者や経済学者にとって、統計学をベースにした計量分析とは、何かを因果的に説明する道具であるという側面がある。賃金を学歴で説明するというとき、それは他の条件が同じで学歴が変化したときの賃金の変化量を推定する、という意味である。 (記述的な分析手法を含めて)統計学を学ぶ人のほとんどは、この「説明(explanation)」のためにそれを学んでいるのだと考えられる。 しかし統計学には、それとは全く異なった目的が託されることもある。それは「選抜(selection)」である。統計学を選抜に使うというのは、それをアカデミックに活用している研究者からみても、実はあまり馴染みのない考え方である。というのも、あとで詳しく述べるが、選抜は学問的説明とは相容れない考え方だからだ。 しかし選抜は、実践家においては大いに意味がある考え方である。「限られた回数の耐久力テストの結果から、真に優れた個体を選抜する」

    説明と選抜:統計学における2つの「関心」 - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2012/07/23
    育種の分野では、遺伝子による選抜は「より乳産出力の高い牛」の遺伝子を残すことで人間の生活を豊かにすることが目指されるのだが、人間の場合、努力の影響を完全に除去して血筋の影響を判定基準に選抜をすることは
  • 「家族福祉論の解体」感想 - 社会学者の研究メモ

    先日の研究会にも参加してくれた久保田さんの最近の論文です。 久保田裕之、2011、「家族福祉論の解体」『社会政策』3(1): 113-123. 非常に示唆的な論考で、興味深く読みました(今年一番の収穫だったかも)。私なりに内容をまとめると...(下手なまとめかもしれませんが...)。 家族を作ることが当たり前であったのは過去の話、結婚するかしないか、子どもをつくるか作らないか、個々人が選んでいく時代になっている。 それなのに、福祉供給の対象を「家族」に設定すると(つまり「家族福祉」)、あえてその選択をしなかった人に対しては不公平だ、ということになる。 「じゃあ福祉供給を個人単位にすればいいじゃない」と言いたくなるかもしれないが、そうはいかない理由がある。家族を作るか作らないかにかかわらず、人が生活していく上で必要である条件はあるはずだから。たとえば「(非対称的な)ケア」。誰だって子どものこ

    「家族福祉論の解体」感想 - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2011/10/12
    ”私自身は、ある状態に置かれていることが自己責任かどうかは、実際にはもうちょっとアドホックに決まっているんじゃないかと考えています”
  • 量的研究と質的研究の連携に向けて - 社会学者の研究メモ

    足の調子が少し悪くてひきこもってます...。しかし手は動く。 筒井が所属する立命館大学人文科学研究所からの助成で、「人文学・社会科学における質的研究と量的研究の連携の可能性」研究会をスタートさせました。さしあたり3年間継続します。研究助成を申請する際に固定メンバーを10人ほど指定していますが、研究会はオープンにする予定ですので、興味のある方はぜひご参加ください。(9月19日に第1回研究会を開催予定。) 特に社会学では、質的研究や質的データを利用したモノグラフ的研究と、計量データを活用した量的研究のあいだでは、ほとんど協力関係もなく、また互いに妙な誤解を抱きあっている部分もありそうです。研究会では、あまり前提を置かずに互いの研究実践の特性に関する理解を深めることを通じて、合理的な「連携」のあり方を模索することが目指されます。 とはいえ議論の「とっかかり」は必要になると考えています。あくまで

    量的研究と質的研究の連携に向けて - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2011/07/26
    定量化をめぐって
  • (非計量さん向けの)統計学の話:バイアス編 - 社会学者の研究メモ

    (今回はですます調でいく。いや行きます。) まずは、私の後輩や知人たちが書いたです。↓ エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ) 作者: 前田泰樹,水川喜文,岡田光弘出版社/メーカー: 新曜社発売日: 2007/08/03メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 6人 クリック: 1,065回この商品を含むブログ (99件) を見る このなかに、次のような文章があります。 どのような研究に対しても、その主張の妥当性を、そこで採用されている方法と無関係に論じることはできません。だから、「事例の数」やそこから得られる「一般性」を問う前にまず、ある研究が明らかにしようとしていることが、そもそも事例の数によって保証される種類のものなのかどうかということ自体を考えなくてはなりません。 このことは言ってみれば「当然」のことなのですが、研究者の間ではあまり考えぬかれていない重要な論点

    (非計量さん向けの)統計学の話:バイアス編 - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2011/05/13
    かいせきのようななにか
  • (続)『アジアの家族とジェンダー』 - 社会学者の研究メモ

    今回は第II部の「中国台湾」のサマリ。 第4章 中国育児 1949年の社会主義革命以前は、都市部においては専業主婦が支配的だった。が、革命後は共働きが一般化。 1978年の改革開放以降、女性労働力率が減少に転じた。裕福な層で専業主婦が増える兆しがある。 (少なくとも都市部の住民は)極めて平等なジェンダー観を持っている。実際、中国の男性は家事・育児参加率が高い。 世帯のかたちは核家族が一般的だが、実際には修正拡大家族(親との近居)が多い。これは以前の戸籍制度のもとで都市部への移住が制限されたからである。このような意味では子育てに関する親族ネットワークが保持されている。 日の「三歳児神話」とは対照的な「小学生神話」とも呼べる考え方があり、乳幼児期には子どもを長く預けることに対する抵抗感がないが、子どもが小学校に入ると、「親が世話してあげないと学校の成績に悪影響が出る」というもの。したがっ

    (続)『アジアの家族とジェンダー』 - 社会学者の研究メモ
  • 社会学にとって理論とは何か - 社会学者の研究メモ

    「理論と実証」について考えるときに、しばしば忘れられてしまうのは、理論と実証以前に、その両者に意味を与えるもっと大事なことがある、ということです。それは「問題関心」です。そして多くの実証研究は、この問題関心から出発しています。階層研究であれは公平性、都市研究であればコミュニティの価値、などが一例になるでしょう。そういった(根的には日常の社会生活に根ざしている)問題関心があるからこそ、それに関わる問を立て、答えていくという研究活動が成立するわけです。ほとんどの実証研究はこの枠組みに沿って行われているはずです。(そうではないものはちょっと想像しにくい。) 要するに、研究は実証するために行うものではありません。理論を構築するために行うものでもありません。理論を実証するために行うものでもありません。特定の問題関心から発する問いに、説得力をもって答えるために行うものです。(だから、日常的なコミュニ

    社会学にとって理論とは何か - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2010/10/19
  • 低成長経済化における福祉国家戦略 - 社会学者の研究メモ

    以前取り上げた、 Esping-Andersen, Gosta, 1996, "After the Golden Age? Welfare State Dilemma in a Global Economy" in Gosta Esping-Andersen (ed.), Welfare States in Transition. Sage Publications. だが、かなり断片的なまとめになっていたので、ここでもう少しだけ詳しめの紹介をする。個人的な感想だが、この論文は記述が散漫で、意図を拾いにくいところがある。以下のまとめも、重要な論点を拾い損ねている部分があると思うので、その点割り引いてほしい。もちろん評価にあたってはもとの文献を読む必要がある。ここでの紹介は、あくまで参考程度に。(また、邦訳は手元にないので参考にしていない。) ※※※ 福祉国家はいま、かなり難しい局面にさしか

    低成長経済化における福祉国家戦略 - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2010/08/27
    "アメリカのように年金制度を私的セクターに移行させたとすると、保険を手放したくない人々による既得権強化、雇用の硬直化が生じうる。場合によっては福祉を公的に供給したほうが雇用は柔軟化するかもしれない"
  • 既得権の社会学 - 社会学者の研究メモ

    再び教科書のための頭の整理のメモです。 最近は社会学でも「既得権」という考え方に反応する人が増えているような気がします。これも先日のエントリでちょっと触れた「社会学者の構造改革派バイアス」の表れにみえなくもないです。が、社会学を救うというわけじゃないのですが、今回はちょっと別の視点から論じてみます。 ここでは、レントについて、社会学的な概念を使うとどういうことが言えるのか、ということを検討します。(その他の面での既得権の話(機会不均等の話など)---こちらの方が流の社会学には親和的なんでしょうが---はしていません。) まずはおさらい。レントとは、簡単に言えば市場価格から乖離して上乗せされた価格の部分のことです。レントによって、その事業への新規参入が阻止されたり、あるいは逆に退出をコントロールしたりします(準レント)。で、レント・シーキングとは、レントを獲得するための政治的・社会的活動で

    既得権の社会学 - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2009/12/04
    すごくどうでもいいが、ギデンズをデギンズとうろおぼえている人が少なからずおられるようだ。(google調べ)
  • なぜ経済学には権力という概念がないか - 社会学者の研究メモ

    (今回の議論はたぶん、かなり穴があります。ご承知おきを。...ってブログの記事はそもそもそういうものか。) 経済学に権力という概念が全くないわけではないと思うのですが、社会学ほどは目立たない概念でしょう。なぜでしょうか。 このことは、権力の定義を考えると自ずと見えてくるのではないでしょうか。まず手始めにWikipediaをみてみましょう。 権力(けんりょく、ドイツ語 Macht、英語 power)は、何らかの物理的強制力の保有という裏づけをもって、他者をその意に反してでも服従させるという、支配のための力のことである。権力者とは、そうした権力を独占的に、あるいは他に優越して保有し、それを行使する可能性をもつ者を言う。(権力:Wikipedia) ウェーバー的な定義ですが、日常的定義(人々が権力という言葉でどういった状態を指しているか)としてはこんなもんで十分なんじゃないでしょうか(フーコーの

    なぜ経済学には権力という概念がないか - 社会学者の研究メモ
    maturi
    maturi 2009/11/28
    "「権力がある」という時は、能力を超えた決定権が与えられている、あるいは適切な判断が何かを審査する手続きをせずに決定をする権限が与えられている場合を指している。何らかの「不適切さ」が含意されています。"
  • 1