「ファミコン」およびその後継の「スーパーファミコン」で家庭用ゲーム機の覇権を握った任天堂。しかし任天堂が開拓した市場を狙って、ソニーやマイクロソフトといった巨大企業も参入した。その資金力、技術力の前に任天堂の天下は風前の灯にも思えたが、それでも今なお存在感を保ち続けているのは、事実上の創業者である山内溥氏の、「餅は餅屋、ゲームはゲーム屋」というプライドと恐怖心があったからだ。 シリーズ「イノベーターたちの日本企業史」ラインアップ ■盛田昭夫はいかにして無名だったソニーを「世界のSONY」に成長させたのか ■盛田昭夫が夢見たソニー流「エレキとエンタの両輪経営」はこうして実現した ■ヤマト運輸元社長・小倉昌男が採算の合わない「宅急便事業」に挑戦したワケ ■「宅急便」の生みの親、小倉昌男はケンカも辞さない江戸っ子経営者だった ■松下幸之助をはねつけてまで貫いたダイエー創業者・中内功の「安売りの哲
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