本家のブログ(広告β)を更新停止しました。こちらも、たぶん停止すると思います。アカウントにはかなり思い入れがありますが、それも停止するような気がします。とくに何かがあったわけではないですが、節目ということでリフレッシュしたいと思います。読んでくださっていた方、ありがとうございます。また近々お会いしましょう。
本家のブログ(広告β)を更新停止しました。こちらも、たぶん停止すると思います。アカウントにはかなり思い入れがありますが、それも停止するような気がします。とくに何かがあったわけではないですが、節目ということでリフレッシュしたいと思います。読んでくださっていた方、ありがとうございます。また近々お会いしましょう。
私の恩師(というか元上司)は、入り口の一番近くに座っている。狙いはわからないけど、これは偉いと思う。偉い人は、多くの情報を知らなければいけない立場で、それを集めなければならない立場というのが普通だと思う、それを実現しようとするとこうなる。しかし、ふつうの企業だと、偉い人はどんどん奥へ引っ込んでいく。もっと偉くなると、個室になったり、専用フロアとかになったりもする。もしかすると、これは城壁の考え方というか、天守閣的な考え方なのかもしれない。でも現代では、敵軍が攻め込んでくる可能性は低い。あるいは、「席の究極は個室」という考え方なのかもしれない。平社員の席は個室の途上である、的な。個人的には、偉い人はただでさえ話しかけづらいので、あんまり天守閣には行ってほしくない。社内SNSでもメールでも社内Twitterでもしくみ作りにはなっているとは思うけど、物理的なしくみっていうのも強い効果を生むのでは
風向きを変える、決定的な情報というものがある。商品購買においても、決定的な情報というのが何かというのは重要なことだ。たとえば、ある企業がコーポレートブランドのマークを作ろうとした。表現したいものは会社の熱意である。そしてその会社は火を扱う仕事をしている。たとえばこんなとき、アイデアとして炎をマークにすることになった。色はどうするか。当然、赤やオレンジの案が出るが、そこでこんな情報を出す。「いちばん熱い炎は、青ですよね?温度が高くなるほど、赤から青になっていく」この情報のあとでは、かなり青が選ばれやすいだろう。そしてさらに決定的な情報を出す。「ロゴというのは他者が見るためのものです。重要なことは、他者から見て熱そうに見えるかどうか、です」これで再び赤が選ばれるだろう。 さいきんはメディアの話を聞くことが増えた。メディアは数値化しやすくなり標準化され、それにしたがって議論もしやすくなってきてい
あまりにも有名な、林先生のこの文章。不思議な迫力があるが、思考の筋としても見るべきものがある。 事実がこのメールの通りだとすれば、あなたのおっしゃるように、弟さんは統合失調症の可能性があると思います。 しかし、どうもこのメールの内容は解せないところがあります。 弟さんが統合失調症で、あなたに対して何らかの妄想を持っていると仮定しますと、ここに書かれているように、あなたの行動を監視し、いちいちそれに合わせて嫌がらせをするという手の込んだ形は、ちょっと考えにくい行動です。 しかも長い期間に渡ってあなたがそれを無視してそれなりに生活をされているというのも想像しにくいところです。 そして、「○○が自分の行動を監視し、いちいちそれに合わせて嫌がらせをする」というのは、統合失調症の方の典型的な被害妄想の訴えでもあります。 まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないで
自分が好きなものや、気になるものをネット上で書いたり、集めたりする。そうすると、それをブックマークなり、フォローなりしてくれる人が出てくる。フォローという語感から考えると、自分に従属というか、追っかけるというようなニュアンスが出るけれども、実際は自分よりも上手というか、たいていの場合はある方面で必ず自分より優れている人である。だから最適戦略というのは、自分をフォローしたり、ブックマークしてくれる人を逆向きに追っかけるということである。自分の発信が最初にあるのだけれども、それによって推薦されるべき人(と情報)がそれにくっついてくるようなイメージである。最強のリコメンデーションというのは、こっちから発信して、そのフィードバックを逆向きに追っかけるということになる。よって、リコメンデーションで最も重要な点は、おそらく「自分の情報を出すこと」だろう。情報というのは、探すのではなくて、出すと寄ってく
殺伐としたものが好きだ。廃墟が好きだ。まだ電車が止まってないのにドアが開き始めた昔の千代田線が好きだ。レストランのパントリーにある業務用調理用品が好きだ。新幹線から見える工業地帯が好きだ。2ちゃんねるの「HDDの残り容量の調べ方を教えれ」「df」というやりとりが好きだ(意味はわからないが)。殺伐はちっともやさしくない。でも、冷たくもない。むしろ、やさしさのほうが何かを排除しているような気さえする。殺伐は部外者に冷たくない。受け入れもしないが、そこにいること自体は気にしない。放っておいてくれる。殺伐はよい。殺伐萌え。
必要悪があるんだったら、不必要善もあるんじゃないか。ということで考えてみる。 まず必要悪だけれど、これは、最悪を防ぐための悪だということになる。その役割は、善を引き立たせたり、悪に対するワクチンであったりする。必要悪をおくことによって善を成り立たせ、善悪の世界そのものが致命的に破壊されることを防ぐという、そういうものだろう。つまりここでの「必要」は、いま成り立っている世界自体を壊さないという意味だ。世界自体が継続するかどうかということを問題にしている。もっというと、善悪ということと、世界の継続性というのは別問題ということかもしれない。 それで不必要善はなにかということだけれど、これは必要悪の対極となる内容だ。さっきの「必要」の定義から考えると、「不必要」というのは成り立っている世界そのものを破壊してしまうということである。世界そのものを破壊してしまう善とはなにか。それは絶対善、すなわち無条
個人的には、「水産ってなによ?炊飯だよね?」と思いながらも確認してこなかったクチ。 飯盒(はんごう)は、屋外で使用する携帯用炊飯器具である。盒の字は合わせ蓋のついた容器を意味する。<中略>野外炊爨(すいさん)は、飯盒炊爨ともいわれ、飯盒で米を炊く事をいう。戦後、小・中学校の林間学校では必須科目だった。おかずはカレーと相場が決まっていたものである。しばしば飯盒炊爨は飯盒炊飯(はんごうすいはん)と誤用される。<中略>飯盒で米を炊く事を飯盒炊爨(はんごうすいさん)」と言う。(飯盒 - Wikipedia) はんごうすいさんの勝ち!なんてことだ。でも、これから「すいさん派」に鞍替えするにしても、「はんごうすいさん」と発音しながら、「(みんなが「炊飯だよw」って、心の中でこっちを馬鹿にしてるんだろうなあ)」と思い続けるのはいやだ。とはいえ、言うたびごとに「そういえばはんごうすいはんじゃなくてすいさん
一部のマスコミ人とか、官僚および政治家、財界人、芸能人とかもそうかもしれないけれど、そういう人たちをあたかも「(同じ)人間とは思えない」という論調で批判するのはきわめて危険だと思う。人間じゃないとした瞬間に、人間じゃないから理解する必要はなくなり、人間じゃないから何をしてもいいという方向に行く。これは犯罪者に対しても同じことだし、外国人に対しても同じことだ。
「1997年、銀座に1号店をオープンした創業者は、当初店舗での勤務もしていました。そのとき、少しでも多くの人にタリーズのことを知ってもらいたく、時間ができると、タリーズのロゴが見えるようにカップを持ちながら、銀座の街中を歩いていたんですね。これは、コーヒーのテイクアウトの習慣を根付かせるとともに、タリーズのブランドをアピールする目的がありました。 しかし、コーヒーショップは他にもたくさんあり、他社と差別化する必要がありました。そこで、当初使っていた白いストローから、遠くから見てもハッキリと目立つ緑のストローへ変更したと聞いております」(カフェのストローって、どうして緑色? | エキサイトニュース) iPodのイヤホンは白。白のイヤホンは当時珍しかったので、白のイヤホン=iPodというアイコンになっていたとかなっていないとか。
どういう相手と付き合うか。ブログを書いていて思うのは、まず自分が思うことを(相手のことを想定せず)書いてみて、それに反応してくれる人と関係を築いていくというスタンス。逆に、普段のメールやら、SNSなんかもそうかもしれないけれど、まず人間関係があって、それに合うようなメッセージを送っていくというスタンス。これは循環しうるものだけれど、最初がどちらであるかによってだいぶ変わるのかな。とくに、まず相手を限定せず、釣り針を投げるかのように自分の思うところを発信してみるという感覚、そしてそれに合う人がいるだろうからその人達とやっていこうというスタンスは、当たり前のように見えてかなり独特であるような気がする。
テレビを含めて、今、映像の業界は商業的には高解像度、高画質のほうへ進んでいますよね。ある意味でYoutubeは、「映像のおもしろさって、実はそういういうことじゃないのかもしれない」ということを、暗に示しているんじゃないですか。(山形浩夫) いや、真に革命的だったのはEメール。そしてイメージ、音声がネット上で共有可能になった。動画共有は論理的な帰結(Youtubeの創業者、スティーブ) 視聴者の実態をリサーチしてみたら、10分以上あっても、たいていの人は全部は見ないんだよ。(Youtubeの創業者、スティーブ) Youtubeは多くの訴訟を抱えながらも潰されることはなかった。その理由はいくつかあると思いますが、まずテレビ映像は元来「売り物」ではなかったからということがあります。(津田大介) アレってどんな曲だったかなあと思ったら即、YoutubeとiTunes Storeでリサーチします。C
たまに全然関心のない雑誌を買って読むことがあるので、それを今後ブログに書いておくことにした。今回は「ku:nel 2009年1月号」で、760円である。126ページ、厚さは5mmのわりには値段がけっこうする。 ku:nel (クウネル) 2009年 01月号 [雑誌] 出版社/メーカー: マガジンハウス発売日: 2008/11/20メディア: 雑誌 クリック: 11回この商品を含むブログ (47件) を見る値段がけっこうするのは、おそらく広告が少ないからである。ざっと数えて広告は10(記事広告は除く)。出ている広告もナチュラル系のアパレルや化粧品など、ゆる系の女性あたりを狙っているのかなという印象。 多くの雑誌がそうであるようにこの雑誌にもコンセプトのようなものが掲げられており、「ストーリーのあるモノと暮らし」とある。すぐに終わる流行やら自分と遠い世界のことやらを追い求めませんよということ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く