1993年4月24日午後10時頃、霞会館京都支所と太秦警察署梅津警察官派出所で、時限式発火装置が発火した。 そして翌日4月25日午前3時35分には、京都市内の青蓮院、仁和寺、三千院、田中神社が相次いで放火された。このテロにより、青蓮院の茶室「好文亭」と田中神社拝殿が全焼し、仁和寺と三千院の建築物の一部が焼失した。 4月30日、中核派は「革命軍軍報」を各マスコミに郵送した。そこには「(この事件は)日帝権力を震撼させ、訪沖中の天皇の度肝を抜いた」とし、天皇にまつわる諸施設は徹底的に破壊されて当然と主張した。 今回被害にあった霞会館は、「皇室の藩屏」とされた旧華族の親睦会の会館で、また青蓮院、仁和寺、三千院は門跡寺院として有名であるなど、いずれも皇室に縁のある施設であった。