浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい
記者をやっていると「書きたいけど書けない」という状況にも出くわす。 大半は「書かれる側」に配慮して、というパターン。 これは読者の皆さんにも想像はつくかもしれない。 もうひとパターンある。 それは「自分が関わりすぎていて書けない」だ。 ファンの皆さんが読みたいのはやはり、アスリート本人のエピソードだと思う。その描写に、あくまで「媒介者」でしかない記者が写り込むのは避けるべき。多くの記者がそう考えている。 ただ、記者が写り込むことによるマイナスと、書いた時のインパクトとで、後者が上回りそうな時もある。 天秤にかけて、書いた方がいいのではないか、と悩む。原稿の仕上がり直前まで、その要素を削ったり、また書き込んだり…と。 今回は書かせていただくのは、記者人生の中で最も悩んだケース。 それは新聞記者生活の最後の日のことだ。 よりによって、現場から書く最後の原稿について、僕はものすごく悩むことになっ
浩之君は1年以上の放浪の末、児童福祉施設のあった森にたどり着きました。 25年を経て、建物は古ぼけた姿で残っていました。しかし、そこはもう施設ではなく、老夫婦の住居になっていました。画家の高見乾司さん(70)と、染織家の横田康子さん(79)。2人は森に自生する草木を使って薬草茶や布を作り、生活していました。 事情を話すと「しばらく泊まっていっては」と勧められました。 それから毎日、高見さんは森に連れ出してくれました。どの草に薬効があり、どんな色に染められるのか。夜空の星で狩猟を占う言い伝えや、何千年もの歴史が詰まった神楽の魅力……。横田さんは、草木から糸を作る方法を教えてくれました。時間を忘れて聴き入りました。 2人にはささやかなプロジェクトがありました。荒れた杉や竹の林に手を入れて、ハイキングコースをつくるのです。子どもたちを集めて工作教室を開いたり、秘密基地を作ったり。10年前から少し
※本日の企画は、JR東海の提供でお届け致します。 こんにちは。ヨッピーです。夜はだいたい酔っ払っています。 5月のとある日の話ですが、その日も友人と焼肉店でお酒を飲んでおりました。 当日、一緒にお酒を飲んでいた友人マッハ・キショ松氏(左)と野田せいぞ氏(右)。 写真右側の野田せいぞ氏が奈良県の実家から東京に上京してきた、という事でお祝いがてら焼肉を食べていたのです。もちろん全額奢らされました。当たり前みたいな顔をして奢らされました。「じゃあこれ」みたいなテンションで、スムースに、シームレスにお会計を渡されました。なんなんだよ。 そしてこの席で爆弾発言が飛び出したのであります。 いやー、でも急に「東京に行く」って言ってご両親は心配しなかった? 心配してるかどうかも良くわからないです。 は?どゆこと? 実は僕、お母さんと15年間マトモに話してないんですよ。 とある事をきっかけにお母さんに対して
#特別支援学校の特別おもしろ祭 にて【車椅子をワクワク新幹線に変える自作モジュール】を遊んで貰った。 電車好きな子は、発車・走行音に興奮! 夢中で操作してくれた! 息子のためにモノづくりを始め1年半。趣味の活動が、多くの子供たちを喜ばせる事に繋がるなんて… エンジニアとしての幸せや pic.twitter.com/aHZwgVqRYB — おぎ-モトキ (@ogimotoki) August 24, 2019 特別支援学校のイベントで披露された、題して「車椅子をワクワク新幹線に変える自作モジュール」。電動化した車椅子の前面にダンボール製の新幹線(既製品)を取り付け、コックピットには自作の液晶付き音声モジュールを装着。 手元のボタン操作に合わせて、新幹線の発車音や車内アナウンスを流すことができる。電子工作好きにはおなじみの「M5Stack」を駆使している 車椅子に乗りながらにして、まるで新幹
かつてジェフユナイテッド千葉などで活躍した元日本代表FW巻誠一郎氏が、台風15号の被害に遭われた方々へメッセージを送っている。 駒澤大学卒業後の2003年に千葉(当時ジェフユナイテッド市原)へ入団した巻氏。イビチャ・オシム監督のもとで大きな成長を遂げると、2005年には日本代表デビューを果たしており、翌2006年に行われたドイツW杯のメンバーにも選出された。その後は、2010年まで千葉でプレイし、ロシアや中国での海外挑戦を経て、2011年に東京ヴェルディへ移籍。2シーズンプレイしたのちに、2014年からは戦いの舞台を地元へ移し、ロアッソ熊本で活躍していたが、昨季をもって現役を引退していた。 そんな巻氏が11日に自身の公式Instagramを更新。「今回の台風15号で被害に遭われた方々、今も不憫な生活を余儀なくされている方々。本当に今も厳しい環境で大変な思いをされていると思います。心からお見
先月、親戚の葬儀に参列するための航空券代が入った財布をなくした沖縄県の高校生が見ず知らずにもかかわらずお金を貸してくれた埼玉県の医師の男性と21日那覇市で再会しました。 崎元さんは先月24日、おじの葬儀に参列するため与那国島に向かう途中、航空券代6万円が入った財布をなくしたことに気付き途方に暮れていましたが、たまたまその場にいた見ず知らずの猪野屋さんがお金を貸してくれて無事、葬儀に出席できました。 その際、猪野屋さんは連絡先を伝えませんでしたが、崎元さんが地元の新聞社に記事を掲載してもらい「名乗り出てほしい」と呼びかけさがしていたところ猪野屋さんから連絡があり、2人は21日、沖縄で再会しました。 崎元さんは、「お金を貸していただきありがとうございます。またお会いできてうれしいです」とお礼を述べ、借りた6万円とともに、高校の授業で作ったという猪野屋さんの名前入りの文鎮を手渡しました。 これに
昨年の年末にアメリカに移住して、今はシアトルの近くの Kirkland というところに住んでいる。大体三か月たって、いろんなことを体験した。移住した理由は単純で、コンピューターサイエンスの世界ではアメリカがどう考えても一番進んでいるので、そこで修行して通用するようになったら楽しいかなと思ったからだ。他にも他国の人を観察しているととても生産性が高い。特にアメリカの人は生産性が高い傾向が高い。なんでこんなにアメリカはコンピューターの世界が向いているのだろう?その一旦を感じた気がしたので久々にこのブログを書いてみることにした。 Kirklandの風景 自分へのご褒美を買う アメリカに移住すると、当然日本にいる友達とかと会えなくなる。私は一人でもさみしくない人だけど、さすがにこたえるだろうと思った。だから大好きなバンドをまたやろうと思った。ただ、こっちは正直レベル高いし、私はヴォーカリストだから、
広島・基町の「ばっちゃん」こと中本忠子(ちかこ)さんは、元保護司です。中本さんは毎日、市営住宅の自宅で多い時には3 升のお米を炊き、小学生から21歳までの少年たち3〜10人に無償で食事を提供しています。 「広島のマザー・テレサ」と呼ばてれいる81歳の中本さんは30年以上にわたり、200人以上の子供たちを「できたての食事」で支え続けてきました。 Youtube/fescojp 1934年、広島県・江田島で生まれた中本さんは、戦後若くして結婚。3人の息子を授かりましたが3男が生まれたすぐ後に夫が他界、事務職の仕事をしながら子供たちを女手ひとつで育てあげました。中本さんの生活に変化が訪れたのは1980年のことでした。当時、中学校のPTA役員をしていた中本さんは知人の警察官に「保護司」をしてみないかと勧められたのです。保護司とは、犯罪や非行をした少年に生活上の助言や就労の援助・指導などを行い、その
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