私はこの本に巡り会い、この本を読むためにブログ活動を10年近くも続けて来たのではないかと感じている。 徳の起源―他人をおもいやる遺伝子 作者: マットリドレー,岸由二,Matt Ridley,古川奈々子出版社/メーカー: 翔泳社発売日: 2000/06メディア: 単行本 クリック: 35回この商品を含むブログ (23件) を見る 筆者は、「利己的な遺伝子」とは遺伝子を共有する集団からみれば決して利己的などではなく、結果として世代を超えた長期的繁栄をもたらす遺伝的行動であると読み解く。ハチやアリの社会性とは、「利己的遺伝子」であるからこそ社会/集団の長期的繁栄に結びつくのだと。人の「徳」がそうであるように、「利己的遺伝子」こそが社会性を生み出すのだと。個体の快楽や一時的な幸福という短期的な動因では「徳」は説明できないし、人間社会を構成できない。 本来雌である働きアリでも場合によっては卵を生む
チューリングの大聖堂 上: コンピュータの創造とデジタル世界の到来 (ハヤカワ文庫 NF 491) 作者: ジョージ・ダイソン,吉田三知世出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2017/03/09メディア: 新書この商品を含むブログを見るチューリングの大聖堂 下: コンピュータの創造とデジタル世界の到来 (ハヤカワ文庫 NF 492) 作者: ジョージ・ダイソン,吉田三知世出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2017/03/09メディア: 新書この商品を含むブログを見る分厚く、内容は詰まっていて、かつお高い。がここにはデジタル・コンピュータの創世神話がまるごと入っていて、それを思うと値段も分厚さも気にならなくなる。ひとことで言えば信じられないような大傑作で、この本の中で描写されていく科学者たちの描写に、葛藤に、何よりフォン・ノイマンを筆頭とする「天才」たちに、身も震えんばかりだ。 本書の
前回のあらすじ:オナニー ・大久保町シリーズ(田中哲弥/電撃文庫)兵庫県明石市大久保町は ガンマンの町である。また、時にはナチスに占領されていたり、普通の田舎町だったりする。そんな大久保町に訪れたり住んでたりする少年と、大久保町に住んでたり訪れたりする少女が出会う。このシリーズを紹介する時に最も気を付けなくてはいけないのは「笑える小説だからといって、紹介文で笑わそうとしてはいけない」ということだ。これまで多くの人間、作家やライターでさえもがこの罠に嵌まり、肩に力を入れすぎた結果ダダ滑りした姿を目にしてきた。文章のプロにさえ、そのような失敗を犯させる。それほどに恐ろしい作品である。ゆえに、内容にはあまり触れない。初めて読んだ電撃文庫は、摩陀羅天使篇(完結させろ!「ぼくは中途でしばしば物語ることを放棄する」じゃねえ!)だったか、それともゴクドーくん外伝か。当時はメディアワークスという会社の成り
久しぶりの更新ですー なんやかんや、2ヶ月弱も放置してしまって不甲斐ないですね もう少し頻度を上げて更新できれば良いのですが…… 今回は先日2chにブン投げた 『俺が選ぶライトノベル33傑作選』についてなのですが http://zeark969.blog38.fc2.com/blog-entry-3405.html 去年のラノベ32選等と同じように、結構反響があるようで嬉しく思います 一応、私が32選、100選、33選とvipに投稿しました。 (100選は正直、失敗だったと思っていますが) それ以前に、あれだけ自己顕示欲&作品ゴリ押しも どうなんだろう?という思いもあります。 2chに嬉々としてあげるなど黒歴史化は免れないな、と 正直、いちいち名乗るのはキモイ気もしますが 色々と感じるものがありまして せっかく個人ブログも作ったし、少しは触れてもよいかなと思いました まとめサイト経由でツイ
評価:★★★★★星5つ (僕的主観:★★★★★5つ) ■はじめに〜とにかくいいたいこと 大ファンで毎日読んでいる(更新がない日は過去にさかのぼって読んでいる。一日一読。)ちきりんさんのブログで、『世界を歩いて考えよう!』の書評コンテストをするというので参加してみました。理由は、ちきりんさんが大好きだから、この大好きな思いを表現したくて書きました。大好きです!。(二回いいました。重要なことなので。)うむ、これを言いたかった(笑)。これで目的は達成いたしました。なぜならば、コンテストをするというくらいだから、読んではくれるだろうということで、確実に目に触れる形で、ちゃんと愛を告白しておきたかったのだ(笑)。ちきりんさんのブログで、本当にいろいろな見方を体験できたり、考えるきっかけをもらえてうれしいです。 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120602 1)「自分
書架にある大森荘蔵の本をぱらぱらとめくる。自然にわかるところと、わからないところがある。ふっと彼が、道元の有時について触れたところがある。大森は、発表されたものにはそれほどの言及はないが、道元をよく読んでいた。が、彼らしい謙虚でもあるが、有時がなんであるかといった理解や解説は示さなかった。大森はその他の仏典もよく読んでいた。ときにはっと驚くような言及がある。だが、大森はおよそ、誰かの思想をそのままの形で受け取ることはなく、彼自身の疑念の原形にまで沈めていった。それが哲学者としての、つまり、廃人としての儀礼のように見ていただろうし、それをもって哲学の徒として食っていけることに、つまり東大の教師であることにひとつの倫理を見ていた。くどいようだが、自身を廃人と思ったからこそ、教師をなしとげていたというものだろう。 大森はよい教え子を結果的に育てた。彼らはみな大森を踏まえて大森を超えていったかに見
神林長平は僕にとってあらゆる意味で特別な作家である。最も好きな作家であり、大なり小なり人生に影響を受けてきた。大学生の時雑誌をつくろうとしており、その際に教授へのインタビューなどを行なっていたことがあるが、その時の質問に「人生に影響を与えた本はありますか」という質問もあった。僕はこのようなことを言われたことがある。『本程度で人生が変わるはずがない』僕はこの答には即座に反論することができる。 ごく個人的な内容から書き始めたのは正直な気持ちで書こうと思ったからかもしれない。本書『いま集合的無意識を、』は短編集である。本書が初出の短編はないが、どれも無意識をテーマに扱っているという点で統一感がある(かくも無数の悲鳴はちょっと違うか)。その中でも表題作となっている『いま集合的無意識を、』は圧巻だ。 これを読んでいて、なぜ僕にとって神林長平は特別な作家なのだろう。そしてなぜ他の多くの人にとっても特別
傑作。日本の教育には問題点が主に2つあって、それは「いじめ」と「学校教育が社会に出て役に立たない」というものです。村上龍はこれらの2つの問題を抜本的に解決するために、全国の中学生が一斉に不登校になればいいと主張します。荒唐無稽に聞こえますが、これはなかなか鋭い問題提起です。 学校という閉鎖空間でなければ、いじめられっ子も逃げやすいし、いじめっ子の方もゲームやカラオケといったエンタメが他にあるので、わざわざイジメなんてしなくなるでしょう。 また学校の勉強なんて社会に出たら役に立たないというのなら、勉強なんかせずはじめっから社会に出てビジネスを始めればいいわけです。もし勉強が本当に有用ならば、ビジネスの過程で必要になったスキルから順に勉強していけばいいだけです。たとえばマーケティングをやろうと思ったらその段階で数学やら統計学を勉強すればいいわけです。また、プログラミングみたいに既存の教育制度で
エンジニアがマーケティングを学ぶ理由がわからん的な話 エンジニアがマーケティングを学ぶべき 4つの理由 という話があったけど、私が学びたい理由とは違ったので、書いてみます。 なぜエンジニアが、グーグルのコピーを作ろうとするのか? 優れたグーグルの情報にしたがってGoogleのコピーを作ろうと思いませんか? この質問、エンジニアであるならば、グーグル(Facebook,Zingaその他ほっとなベンチャー)のような組織を作ってみたいというのは思うと思います。私は思いました。そして、大学卒業後、起業し、失敗しました。 私がマーケティングを学びたいと思うのは、この質問にどう答えるか、そしてその答えを導くためのものが「マーケティング」だからです。そして、失敗を埋めるための能力を得るためには、マーケティングは必須だと考えるからです。 なぜ、googleを作れないのでしょうか?自分が天才じゃないから?技
これは大変おもしろかった! お風呂で読み始めたら面白すぎて読み終えるまで風呂から出られず。スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫が語るジブリ、というか基本は宮崎駿と高畑勤のエピソード。このエピソードがどれもこれもぶっ飛んでいて良い面白さ。そして凄いのはプロデューサーたる鈴木敏夫自身。 まず凄いのは鈴木敏夫自身ですよ。鈴木敏夫と宮崎駿が始めて出会ったのはちょうど『カリオストロの城』を作成した時期。取材に訪れた鈴木敏夫に対して、「取材を受けたくない」と一言言ってあとはもう何も言わない。それではどうしたのかというと、宮崎駿が仕事をしている横でずっと座り続けた。 「邪魔だろ!!」と思うのですが、宮崎駿の仕事パターンにのっとって、午前二時に帰って朝九時にまた座りにいく。その作業を一週間近く続けたところでやっと、宮崎駿が絵コンテをみせて、話の相談をしたそうです。なんか人に慣れていない猿かなんかを辛抱
読了。傑作なのは疑う余地もなく。特に表題作でもある『ラギッド・ガール』は、最初から最後まで完璧で、言葉を失った。わたしが読んだものは、ただの言葉ではなく、その奥にある何かだ、という確信を持つ。その奥にある何かとはなにか。飛氏いわく言葉に出来ぬ「御しきれぬ野蛮」。ラギッド・ガールは、それに触れることが最もうまくいった作品だという。さいこうだった。これ以上のものには、もうお目にかかれないかもしれない。そう思うと、悲しくなってくる。飛せんせは大変だ。次からは、これを超えていかないといけないんだから。 この短編集は、あまりにも凄すぎて、わたしみたいな素人は何を書いていいのかわからない。なので一応当たり障りのない紹介から始める。本書は『グラン・ヴァカンス』を第一作とする『廃園の天使』シリーズの第二作目、短編集である。『グラン・ヴァカンス』は「数値海岸」と呼ばれる仮想都市群のひとつを舞台にした作品であ
★森博嗣は私が世界でいちばん好きな小説家ですが、そんな森さんが「自由というものは何か」「自由になるためにはどうすればいいのか」を書いた本を出されました。 「自由」ということについて、多くの人は(自分も含め)わかったつもりになっている。これを読み始めたとき、ぞくっとして、そのあとは息苦しくなったり、泣けてきたりした。それは自分の苦しかったことの多くが「不自由」に根ざしているものだったと気づいたからであり、なんとなく感じていたことが言葉になっていたからで、「自由」を言葉にしたシンプルさが凄い本、だと思った。自分がなぜ森博嗣を好きなのか、そのことをうまく説明できたことは一度もないが、自分の中では「なぜ好きなのか」が、この本を読んですとんと腑に落ちたような感じがあった。 私にとって、森博嗣という人は遠い人である。自分と似ているから大好きとか、小説にものすごく感情移入できるから好き、というのではない
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く