大阪市の北東部を狙って昭和20年6月7日に米軍が行った大空襲から間もなく70年。千数百人もの犠牲者が埋葬された淀川河川敷で営まれる慰霊法要も今年で70回目の節目を迎える。空襲を生き延びた人や遺族らの高齢化が進み、これまで通りの法要を行うのは今回で最後。長年にわたり慰霊を続けてきた関係者は「今後も何らかの形で弔いを続け、戦争は繰り返してはならないという思いを伝えていきたい」と話す。 大阪市旭区の城北公園。その北側を走る淀川堤防に、石碑と小さな社がある。通称「千人塚」。 石碑は、千人塚慰霊法要協賛会の東浦栄一会長(86)の父が終戦の翌年、自宅の庭にあった岩に「千人つか」と彫りつけたものだ。 昭和20年に大阪を狙った空襲は8回を数えるが、6月7日、城北公園付近に避難した人々を狙った銃撃は、最も凄惨な無差別攻撃の一つだったといわれる。 朝からの焼夷(しょうい)弾の大量投下で工場や民家が炎上するなか