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  • サダオ・ムネモリ - Wikipedia

    サダオ・ムネモリ(Sadao Munemori、漢字:旨森 貞夫[1]、1922年8月17日 - 1945年4月5日)は、アメリカの兵士。日系アメリカ人初の名誉勲章受章者となった。愛称は「スパッド(Spud)」。階級は上等兵。 19世紀末に、広島県からアメリカに渡った父・亀太郎と母・なわのもとに2男3女の次男としてカリフォルニア州ロサンゼルスにて生まれる。高校卒業後は、自動車整備士となった。1942年に軍へ入隊する前は、日系人収容所の1つであるマンザナール強制収容所に収容されていた。入隊した当初は、陸軍情報部日語学校に在籍していたが、第442連隊戦闘団の編成を知り、転属を申し出て、それを受け入れられる形となった。 第442連隊戦闘団第100歩兵大隊所属としてイタリア戦線に従軍、ドイツ軍の防衛線であるゴシック・ライン攻略作戦に参加。1945年4月5日にセラヴェッツァの「ジョージア高地」山頂

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  • ダニエル・イノウエ - Wikipedia

    ダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye、日名:井上 建〈いのうえ けん〉、1924年9月7日 - 2012年12月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、軍人。元アメリカ陸軍将校、アメリカ合衆国上院議員、アメリカ合衆国上院仮議長。 1963年から50年近くにわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人であった。2010年6月28日に最古参であったロバート・バード上院議員が死去したことで、上院で最も古参の議員となり、またこれに伴い慣例に沿うかたちで上院仮議長に選出、亡くなるまで同職にあった。上院仮議長は実質名誉職ではあるものの、大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカ歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としてはカマラ・ハリスの副大統領(第1位)に次ぐ上位のものである[3]。また第二次世界大戦時はアメリカ陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受けた。アメ

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  • ハート・ロッカー - Wikipedia

    『ハート・ロッカー』(The Hurt Locker)は、キャスリン・ビグロー監督による2008年のアメリカ映画。イラクを舞台としたアメリカ軍爆弾処理班を描いた戦争アクション。 2008年のヴェネツィア国際映画祭、トロント国際映画祭で上映。第82回アカデミー賞では9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、オリジナル脚賞、編集賞、音響効果賞、録音賞の6部門で受賞した。 タイトルはアメリカ軍のスラングで「苦痛の極限地帯」、「棺桶」を意味する。 イラク戦争中の2004年、バグダッド郊外。アメリカ軍の危険物処理班は、路上に仕掛けられた「即席爆発装置(IED)」と呼ばれる爆弾の解体、爆破の作業を進めていた。だが、準備が完了し彼らが退避しようとしたその時、突如爆発を起こす。 罠にかかり殉職した隊員に代わり、新たな「命知らず」のウィリアム・ジェームズ軍曹が送り込まれてきた。安全対策も行わず、まるで死を恐

    mfluder
    mfluder 2013/04/29
    「ハートロッカー」を見た。なかなか面白うございました。
  • マーマイト - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "マーマイト" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年12月) マーマイトの瓶詰め マーマイト(Marmite)はビールの醸造過程で増殖して最後に沈殿堆積した酵母、いわばビールの酒粕を主原料とし、主にイギリス及びニュージーランドで生産されているビタミンBを多く含む品。 語源はフランス語で「調理用のふた付き鍋」を意味する「marmite」(マルミット)。家イギリスのものは濃い茶色をしており、粘り気のある半液状で塩味が強く、独特の香気を持つ。主にトーストに塗ってされるほか、クラッカーに塗る、スープに溶かすなどの利用法

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  • 張耳 - Wikipedia

    出身は魏の大梁。青年時代に魏の公子である信陵君の客になったことがある。信陵君が政治から引き離されたりなどの事情あって、外黄に移住した。現地の富豪の娘を娶り、の実家の援助で、魏に仕官し、外黄県令となった。この頃に長男(名は不詳)や次男の張敖が誕生したらしい。 同郷の陳余が張耳に仕えており、まるで父子のようであったが、かつての藺相如と廉頗に倣ってお互いに首を斬られても良いという刎頸の交わりを結んだ。 また、この時期に客を望んで張耳の元を訪ねてきた、まだ庶民の頃の劉邦を受け入れていたという。 紀元前225年に魏が秦によって滅ぼされると、張耳と陳余は名を変えて陳のある村の門番となった。既に二人の名は世に知られており、秦に狙われていたためである。そこで村役人に陳余が因縁をつけられ、袋叩きにされるという災難に遭うが、張耳が「将来のためにつまらないことで命を落とすべきではない」と慰めて支え合ったと

  • サケガシラ - Wikipedia

    サケガシラ(裂頭、学名: Trachipterus ishikawae)は条鰭綱アカマンボウ目フリソデウオ科の魚類の一種。 北海道から沖縄県までの日近海の太平洋、日海全域に分布[1]。沖合中層域200-500m[1](海底から離れている[2])に生息している。 他のフリソデウオ科の魚のように、ごく稀に台風や大時化の後に、沿岸に漂着することがある。 地震の時に各地の浜に打ち上げられる[3]こともあり、そのため地震魚などと呼ばれる事もあるが、富山湾ではホタルイカやシロエビの漁獲時期になるとそれらを追って定置網や刺し網に頻繁に入るため特に珍しいものではない[4][5]。島根県隠岐の西郷湾でも隠岐水産高校の生徒が毎年釣り上げている[1]。 秋頃に見られた時には、サケを招く縁起の良い魚[6]と見なされる事もある。 大型魚類で、体型がタチウオに似て細長く、体長は大きいもので2m以上になる[1]。

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  • カミムスビ - Wikipedia

    『古事記』では神産巣日神、『日書紀』では神皇産霊尊、『出雲国風土記』では神魂命と書かれる。 「産霊」は生産・生成を意味する言葉で、高皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である。 『古事記』では、少名毘古那神(すくなびこな)は神産巣日神の子である。 天地開闢の時、天之御中主神(あめのみなかぬし)・高御産巣日神(たかみむすび)の次に高天原に出現し、造化の三神の一柱とされる。冒頭の記述では性のない独神とされているが、御祖神という記述、大国主神が八十神らによって殺されたとき、大国主神の母の刺国若比売が神産巣日神に願い出て、遣わされた𧏛貝比売と蛤貝比売が「母の乳汁」を塗って治癒したことから女神であるともされる[1]。 『古事記』で語られる神産巣日神は高天原に座して出雲系の神々を援助する祖神的存在であり、他の神々からは「御祖(みおや)」と呼ばれている[1]。須佐之男命が大気都比売神を殺したとき、

    カミムスビ - Wikipedia
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    mfluder 2013/02/04
    "高皇産霊神とともに「創造」を神格化した神であり、高皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神でもあると考えられる"
  • タカミムスビ - Wikipedia

    古事記による「天地開闢」における神々 タカミムスビは、日神話に登場する神[2]。別天津神・造化三神のうちの一柱である[2]。 概要[編集] 『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、高木神[3]、『日書紀』では高皇産霊尊と書かれる[4]。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)、高木大神(たかぎのおおかみ)という名で登場する[4]。 別名の通り、来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。 岡正雄は高い木の上に降臨する北方アジア系の天神であろうと説き[5]、松前健は大嘗祭の悠紀・主基の斎田に建てられる仮宮八神殿から、田のかたわられに立てられる神木に降臨する生産と田の神であるとして北方系の天神説を否定している[6]。 「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である[2]。 古くからの天皇守護のための神々で

    タカミムスビ - Wikipedia
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    mfluder 2013/02/04
    "『古事記』では即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で夢に登場し、さらにアマテラスより優位に立って天孫降臨を司令している伝も存在することから、この神が本来の皇祖神だとする説"
  • 広峯神社 - Wikipedia

    拝殿(重要文化財) 宝篋印塔(重要文化財) 広峯神社(ひろみねじんじゃ)は、兵庫県姫路市の広峰山山頂にある神社である。 全国にある牛頭天王の総宮(ただし、八坂神社も牛頭天王総宮を主張している)。 旧社格は県社で、現在は神社庁の別表神社。別称広峯牛頭天王。天平の昔から名の見える古社である。 祭神[編集] 素戔嗚尊・五十猛命を主祭神として正殿に祀り、左殿に奇稲田姫尊・足摩乳命・手摩乳命、右殿に宗像三女神・天忍穂耳命・天穂日命ほかを祀る。 この他、摂社、末社として、西の白幣山には吉備神社、荒神社、殿周辺に熊野権現社、稲荷社、天神社、冠者殿社、大鬼社、庚申社、山王権現社、蛭子社、軍殿八幡社、地養社、東の峰には天祖父神社を祀る。2019年秋には黒田孝高を祭神とする「官兵衛神社」を新たに創建。 明治の神仏分離令以前の祭神は牛頭天王であり、殿内に薬師如来を地仏として祀っていたとされる。近年、

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    mfluder 2013/02/04
    広峯牛頭天王 "貞観11年(869年)、当社から平安京の祇園観慶寺感神院(現在の八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分祠したとする説"
  • 鯨の爆発 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2018年12月) 鯨の爆発(くじらのばくはつ)とは、座礁鯨などの死体が、腐敗により死体内部にメタンガスなどが蓄積、膨脹し破裂する現象。「爆発」と呼ばれるものの燃焼するわけではない。 自然破裂するものや、クジラの腐敗死体を廃棄処分するための解体作業中に、刃物で切り付けた部分から皮が弾け、破裂する場合がある。また人為的に爆破したものもある。 破裂の模様は世界各地で度々報道され、SNSなどでシェアされている[1][2]。 自然破裂したもの[編集] 台湾の爆発[編集] 2004年1月26日に台湾で、体長17メートル、体重50トンの腐敗したマッコウクジラが、体内に蓄積したガスによって爆発した[3]。 1月24日台湾の南西部・雲林県の海岸にオスのクジラが着岸して死んだ。

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    mfluder 2013/01/28
    へー
  • 大本事件 - Wikipedia

    事件(おおもとじけん)は、新宗教「大」の宗教活動に対して、日の内務省が行った統制[1]。大弾圧事件とも呼ばれる。1921年(大正10年)に起こった第一次大事件と、1935年(昭和10年)に起こった第二次大事件の2つがある[1]。特に第二次大事件における当局の攻撃は激しく、大は壊滅的打撃を受けた。また、宗教団体に治安維持法が適用された初の例であった。 明治維新以降、帝国政府(大日帝国)は宗教に対する統制を強化し、神道系新宗教(黒住教、金光教、天理教等)も教派神道として国家の公認下に入った[2]。一方、明治時代後期に誕生した大教(事件当時は皇道大)は、教祖出口王仁三郎の活動により教勢を拡大し、知識人・軍人の入信、新聞社の買収、政治団体との連携や海外展開により大きな影響力を持つようになった[1]。大教(王仁三郎)の活動に政府・警察・司法当局は危機感を抱き、結果、二度の大

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  • 出口王仁三郎 - Wikipedia

    出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871年8月27日〈明治4年旧7月12日〉 - 1948年〈昭和23年〉1月19日)は、新宗教「大」の二大教祖の一人。肩書きは「教主輔」、尊称は「聖師」。 出口王仁三郎は、大において聖師と呼ばれる[1][注釈 1]。強烈な個性と魅力とカリスマを持っていたとされ、メディアを含め様々な手法を駆使して昭和前期の大を日有数の宗教団体に発展させた[2]。その一方で奔放な言動により敵対者から多くの非難も浴びる[3]。評価は現在でも定まっていない[4]。「国家神道」と相容れない教義を展開した大は危険勢力として政府の弾圧を受け、自身も7年近く拘束された[5]。太平洋戦争終結後は教団の再建に尽力するも病により死去した。その思想と布教方法は戦後の新宗教に大きな影響を与えた[6]。 読み方について「わにさぶろう」とされることもあるが、正しくは「おにさぶろう」[注

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  • 出口なお - Wikipedia

    出口なお(以下、なおと表記)は、江戸時代末期から明治時代中期の極貧の生活の中で日神話の高級神「国常立尊」の神憑り現象を起こした[1]。当時、天理教の中山みきなど神憑りが相次いでおり、なおの身に起ったことも日の伝統的な巫女/シャーマニズムに属する[2]。当初は京都丹波地方の小さな民間宗教教祖にすぎなかったが、カリスマ的指導者・霊能力者である出口王仁三郎を娘婿としたことで、彼女の教団「大」は全国及び海外に拡大した[3]。大は昭和前期の日に大きな影響を与え、現在もさまざまな観点から研究がなされている[4]。 なおは1837年1月22日(天保7年12月16日)、大工の父/桐村五郎三郎と母/そよの長女として福知山藩領の丹波国天田郡上紺屋町(現福知山市字上紺屋町)に出生[5]。折からの天保の大飢饉のため両親は減児を相談したが、気難しい姑が断固反対し生を得ることが出来た[6]。だが苗字帯刀を許

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  • ボーグ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ボーグ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年4月) スタートレックにおいて桁外れの科学力を持ち「純粋悪に近い存在」として描かれる種族。アメリカテレビドラマや映画などで敵役として好まれる「ゾンビ」とSFサイバネティクスを掛け合わせたもので、基的には主人公である連邦宇宙艦艦長の強力な敵対勢力として描かれる。ボーグ船相手に正攻法の戦略はまったく通用せず、主人公が生き残るためにはひねりが利いた戦術を練らねばならない。劇中においてボーグはゾンビ同様に、他の人型知的生命を強制的にボーグ化(同化)させ取り込もうとする恐怖の

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    mfluder 2012/12/30
    "この項目では、『スタートレック』シリーズに登場する、機械生命体の集合体について記述しています"
  • 集合精神 (サイエンス・フィクション) - Wikipedia

    集合精神 (英: group mind) または集合自我 (英: group ego) は、サイエンス・フィクション (SF) に登場する概念であり、複数の個体がひとつの意識を共有している状態を意味する。 その起源は定かではないが、少なくともオラフ・ステープルドンの『最後にして最初の人類』(1930年)まで遡ることができる[1]。集合精神は、人々が脳と脳を何らかの手段で直結する通信方法を入手するなど人工的なテレパシー(telepathy)によって形成される場合もある。ハイブマインド(hive mind)は集合精神の一種であるが、各個体の個性がほぼ完全に失われている点が特徴とされる。SF小説で描かれる集合精神はハイブマインドであることが多い。集合精神やハイブマインドの概念はアリやハチの実在する超個体の知性版と見ることができる。 ハイブマインドでは、集団を構成する個体の個性や自我がほぼ完全に失

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    mfluder 2012/12/30
    ハイブマインド
  • 皿うどん - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2021年3月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2014年9月) 出典検索?: "皿うどん" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 太麺の皿うどん 細麺の皿うどん 皿うどん(さらうどん)は、長崎県の郷土料理[1]。名称からはうどんの一種と思われやすいが、一般的に細麺を使うものは中華料理の「炸麺(かた焼きそば)」に近く、太麺を使う物は「炒麺」や焼きうどんに近い。 概要[編集] 長崎市の中華料理店四海樓の陳平順が、「炒肉絲麺」(チャニイシイメン、麺と細切り肉を炒めた焼きそば)をヒントに[2]、ちゃんぽんを出前用にアレンジして配

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    mfluder 2012/12/15
  • 得居通幸 - Wikipedia

    別名の通年(みちとし)[2]がよく知られており、通称も太郎左衛門とされている。また伊予国の史料、後世資料の『予陽河野家譜』『河野分限録』などでは、得居半右衛門尉通久として名を通久(みちひさ)とするものがしばしばある。 しかし系図類には通之(みちゆき)[2][3]とされ、他方で自己発給した書状(一次史料)で確認できる名前は「通幸」のみである。 また、豊臣秀吉・秀次より発給された書状では、名字についても、同音の「得井」「徳井」と表記されたものがある。 村上水軍の一族である来島村上氏当主・通康の長男(庶長子)として生まれるが、後に得居家の跡を継いだ。養家は、南北朝時代の伊予の名門得能氏と土居氏との子孫であるため、その両姓をとって「得居」を氏として名乗ったという[4]。来島村上氏の名跡は四弟の通総が継いだが、これは通総の生母(河野通直娘)が通康の正室で主家筋の河野氏出身の娘であったため、家督を相続

  • 村上通康 - Wikipedia

    村上 通康(むらかみ みちやす)は、戦国時代の伊予国の武将。河野氏の家臣。村上水軍(来島水軍)の大将。来島城主。 来島 通康(くるしま みちやす)として知られるが、実際に来島氏を名乗ったのは四男の通総が豊臣秀吉に仕えて以降であり、通康自身が来島氏を名乗った事実はない。 通康が幼い時期は府中(現在の愛媛県今治市)で正岡氏、重見氏といった有力者の反乱が続き、これらの鎮圧にあたった来島村上氏は府中方面の最有力者となる。 天文10年(1541年)には伊予一の宮である大山祇神社がある大三島が大内水軍によって襲撃を受けた。河野氏の当主・通直の命を受けた通康は得居・平岡・今岡らの警固衆とともに出陣。能島村上氏の援軍も得て、神官・大祝氏らとともに大内水軍を撃退させた。 通直に篤く信任されていたらしく、その婿の一人となっている。また、通直が子の晴通と対立した際には通直の側につき、河野氏の家督継承者として選ば

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  • 来島通総 - Wikipedia

    永禄4年(1561年)、村上水軍の一族である来島村上氏当主・村上通康の四男として生まれる。 永禄10年(1567年)、父の通康が病死したため、7歳で家督を継いだ。通総には兄がいたが、通総の生母が主君である河野弾正少弼通直の娘であったため、家督を相続したものと思われる。 代々河野氏の影響下にあったが、通総の代においては、元亀元年(1570年)に主君の河野通宣が室町幕府に納めようとした公用銭を横領するなど、次第に河野氏から独立する姿勢を見せ始めた。また、河野氏と毛利氏は同盟関係にあったことから、毛利氏が大友宗麟を攻めたときには援軍として参加し、大友水軍と戦っている。しかし、この海戦での作戦をめぐって毛利水軍を率いる村上武吉と不仲になったともされる。 天正10年(1582年)、織田信長の重臣・羽柴秀吉(豊臣秀吉)の勧誘を受けて織田方に寝返ったため、毛利氏や河野氏に攻められて拠地を追われて一時は

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  • 素隠居 - Wikipedia

    素隠居(すいんきょ) くらしき代官夏祭りでのひとコマ 素隠居(すいんきょ)とは、岡山県倉敷市にある阿智神社の例祭の御神幸の雌雄の獅子に付き添う老人の面をかぶった若者を指す。 元禄5年(1692年)、阿智神社にほど近い戎町の宰領を務めていた沢屋善兵衛が寄る年波に勝てず、人形師の柳平楽に頼んで「翁」(じじ)と「媼」(ばば)の面を作らせ、店の若者にこの面を被らせ、主人の代理として御神幸の行列に参加したことに始まるとされている。素隠居という呼び名は明治以後誰彼となく、この「じじとばば」のことを呼びはじめたようだが、ただの御隠居という意味で「素の隠居」であったり、「素晴らしい隠居」であったり、「素朴な隠居」というような意味が語られている。 この素隠居の面は見た通り、らっきょうの形に似ていることから怯えながらもこの素隠居を挑発する子供達は「すいんきょ、らっきょう、くそらっきょう」とはやしたてて逃げまど

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