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http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20090903の続き。塩川伸明『民族とネーション』より再引用。 オーストリア社会民主党の1899年のブリュン綱領は、オーストリアの民主的他民族連邦国家への転化を目標として掲げた。その前提には、属地主義に基づいた民族別地域の自治という発送があったが、諸民族の混在する地域ではこれだけでは問題に解決にならないことから、地域自治(属地主義)と属人主義の組み合わせという考えがオットー・バウアーらによって提起された。属人主義とは、少数民族が地域を越えて形成する公法団体に学校運営などを委ねるという考えであり、「文化的自治論」とも呼ばれる。 レーニン及びスターリンがブンドへの対抗という観点から領土的民族自決論を特に強調したことはよく知られている。もっとも、この論争における対抗は、当事者たちの党派的論争の過熱のせいもあって、実質以上に過大評価され
Standing in solidarity with both Palestinian civilians and the forces dropping bombs on them is a remarkable psychological juggling act Sunday's rally in support of Israel in Trafalgar Square was a strange occasion. I have never previously seen a peace rally in which the protesters did not actually call for their soldiers to stop fighting. But then those who organised and attended the rally are ma
『図書』は大勢の知的好奇心あふれる読者に1938年の創刊以来愛読されてきた「読書家の雑誌」です。 古今東西の名著をめぐるとっておきの話やエピソード、心を打つヒューマン・ストーリー、旅のときめき体験、人生への思索などを綴る、滋味あふれるエッセイの数々。 文学・芸術・学問の面白さを語る対談・座談・インタビュー。若手からベテランまで『図書』ならではの一流の執筆陣が書き下ろす文章の力と味わいは、日常生活にピリッと刺激を与えるスパイスの働きをするはずです。 魅力的な本との出会いの場、読書の新しい愉しみ発見の場として月刊『図書』の定期購読をおすすめいたします。 巻末の新刊案内は岩波書店の出版活動の最新情報をいの一番にお届けする「読者と岩波書店を結ぶホットライン」です。 綴じ込みの〈書籍注文ハガキ〉もご利用ください。
6日土曜の午後、大阪で開催された日本小児科学会の倫理委員会公開フォーラム「子どものいのちの輝きを支えるために ー重度障害をもった子どもの人権と尊厳をどのように守るかー 」という催しに参加してきた。午前の外来を終えてNICUを一回りしてから京阪で大阪へ出たので拝聴できたのは後半だけだったが、それでも、さいきん薄れかけたモチベーションを持ち直すのにはよい機会だった。 重症児の医療の歴史は、まったく医療の対象とすらされなかったという先史時代を経て、何が何でも救命延命するという黎明期があり、それはちょっと非人間的にすぎないかというアンチテーゼが公に語られるようになった革命の時代を経て、今に至るというのが私の理解である。 このアンチテーゼ、もう気管内挿管とか人工呼吸とかでやれる治療行為をすべて行って延命一辺倒の生涯を送らせるのではなく、治療行為の内容を選択してでも(その結果として計測される生涯時間は
良い死 立岩 真也 筑摩書房 2008-09 売り上げランキング : 54890 Amazonで詳しく見る by G-Tools この10月、共同通信のために書いた立岩真也『良い死』の短い書評を転載します。いくつかの新聞に配信されたはずですが、確認はしていません。 重度の障害や難病とともに生きる人たちの傍らで、望ましい社会のあり方を粘り強く模索してきた社会学者による、「尊厳死」に対する透徹した批判の書である。 誰かがひどい苦痛にさいなまれながら生きているとき、周囲の人間がなすべきは、その人の苦痛をできるだけ軽減し、より健やかに生きられるよう助力することであるはずだ。それはむしろありふれた常識ではないか。だが全く反対のベクトルをもつ主張、すなわち「不治かつ末期」の病者に速やかな死を与えよとする「尊厳死」の思想が勢力を広げつつある。それは「自己決定」や「自然」といった、聞こえのよい修辞
ニュースから得られる情報は断片的だし、なぜこんなことに、なんて問うたところで、たったひとつの答えなんてないけれど。「妄想」からでも、考えを深められるとしたら。 福岡男児殺害事件 時系列の整理(AFCPさん) http://homepage3.nifty.com/afcp/B408387254/C174902512/E20080923211301/index.html 今日は、朝から発達障害の子どもたちの親たちの集まりに参加していた。美しく言えば「セルフヘルプグループ」。片仮名書きにするほどには方法的に洗練されていない。それでも、日ごろの思いを吐き出すだけの場に、きちんと人は集まっている。解決策が提示されるわけでなくても、人は集まる。 「居場所」は、探せばどこかにあるのだろう。福岡市は、大都市だ。同じようなことに苦悩する母親どうしがきっとどこかで集まって、愚痴りあっている。相談機関だって、あ
うちの場合、娘の父親は(最近少し何かに目覚めたようだけど)ずっとあんな風だったし、義実家も同じくだし、実家に至っては息子の顔すら見たことがないという風。皆が一抜けたをやったので、同じように自分も抜けたらどうなるだろうと想像するときもある。本心ではない。だけど周りの者達があまりにも軽々と逃げてしまったので、自分も同じように逃げても許されるんじゃないかと錯覚に陥る瞬間がある。家庭の基盤が脆弱。存続は私の意志だけにかかってる。発達障害児を抱えるそんな家庭は少なくないと思うのだ。でも子どもは社会の子どもだ。そして私には子どもを生きて育てて社会に返す義務がある。社会の力を借りてできるところまで頑張りたいと思っている。頑張れないへなちょこな自分が情けないけど、いけるとこまではこのままいって、だめになったら終わりにするんだと思うと少し気が楽になる(基本的に自殺衝動はない)。もうだめだと思ったときは私は一
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