実践共同体あるいは実践コミュニティ(community of practice)とは、参与者(参加者)が、ある集団への具体的な参加を通 して知識と技巧の修得が可能になる場のことである。また、そのような参加者の社会的実践がくりひろげられる場も総称して、実践共同体あるいは実践コミュニティ(community of practice)という。 徒弟制にもとづく伝統的職場、近代社会制度としての職場や学校などでみられる、集団への参与を通 して知識と技巧の修得が可能になる社会的実践がくりひろげられる場を実践共同体あるいは実践コミュニティ(community of practica)という。ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガー(1993)による用語。 人びとは実践共同体において、さまざまな役割を担い行為することで、実践共同体を維持することに 貢献する。その際の学習とは、知能や技能を個人が習得すること
ぼけの語用論 日本語における〈ぼけ〉 とは、主に加齢に伴う〈痴呆状態〉ないしは、その重い症状へといたる状況を描写する民俗医学用語である。日本語による〈痴呆〉とは痴呆状態という症状をさし、病名として呼ぶ際には〈痴呆症〉という名称が使われる。その際の〈〜症〉とは、病気ないしは疾患・疾病(disease)をあらわす接尾語である。 生物医学用語としての〈痴呆〉が国民の間に膾炙したのは、1968年の全国福祉協議会による 初の全国的な「居宅寝たきり老人実態調査」が実施され、72年の有吉佐和子のベストセラー小説『恍惚の人』(英訳書名:Sawako ARIYOSHI,"The twilight years," 1984.)が公刊された1960年代後半から70年代初頭のことである。 この時期における〈ぼけ〉の社会問題化は、〈痴呆〉という専門用語が一般的に国民に知られる につれ、俗語ないしは卑語としての〈ぼけ
農家こうめのワイン 農家による農家のための・・・・なんだ?しがないイチ百姓による農業ネタ&農業ニュース評論。ワインと日本酒の飲んだ感想や日々の雑記つき。 以前書いたこともあるような気がしますが、かぶることなど恐れない。 私には「有機栽培」と言う字を見ると勝手に胡散臭く感じてしまう困った癖があります。 もちろん、有機をちゃんとやっている尊敬すべき農家だって存在するのですが、しかし有機栽培の品を扱う際によく見られる宣伝文句はたいてい、慣行栽培(普通に農薬・化学肥料を使って行われる栽培法)を批判するところにあります。いや、批判すること自体は構わないんですが、困ったことにそのほとんどが疑似科学的です。もっとも典型的には、毒性学のイロハのイである定量的な視点が全く欠けています。 有機栽培の売り文句で、それそのものの優れた点を根拠もつけて提示しているものはほとんどありません。農薬を悪いものと断定し、そ
「精神医学の歴史を繙くと,気分障害とみなされる病態は,ヒポクラテスの時代から記述があり,古くより知られたものであった」(『気分障害』序文より)――。当時は経過予後も良好であったというが,2千年の時を経て,現在わが国の患者数は300万人と推計され,薬物抵抗性の難治症例も多い。 時代や世相の映し鏡ともいえる気分障害。21世紀初頭の今,気分障害の病態をどのように捉えればよいのだろうか。医療者は最新の薬物治療・心理療法を行いながら,社会的なリソースといかに連携して患者をサポートする必要があるのだろうか。 本紙では日本うつ病学会発足の中心的役割を果たされ,このほど発刊された『気分障害』の編集を務められた3名の専門家に,最新の病態と治療戦略についてご議論いただいた。 第5回日本うつ病学会総会(7月25-26日,アクロス福岡)を間近に控え,気分障害を取り巻くトピックスについて再考していただく機会としたい
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
松尾匡のページ 用語解説:右翼と左翼 本サイトのエッセーなどでは、「右、右たらず。左、左たらず。」という現状をしょっちゅう嘆いている。どうも、世間の右、左の基準と、自分の基準がかなりズレているようなのだが、元来の筋を通せば私の基準になるはずである。ここでは、このサイトで、「右翼」「左翼」という言葉が何を意味しているのか、簡潔に図式化して説明しよう。 【世界の切り分け方が違う】 右翼と左翼の違いの最大のポイントは、世界を切り分ける見方の違いである。稲葉振一郎さんの新著で紹介されている田島正樹氏も似たようなことを言っているようだが、もっと大胆にすっきり図式化するとこうなるだろう。 世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「ウチ」に味方するのが右翼である。 それに対して、世界を横に切って「上」と「下」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「下」に味方するの
「民族浄化(ethnic cleansing)」という言葉は、ここ十年あまりのうちに非常に広く使われるようになり、いつのまにか、ごくありふれた言葉とさえなっている。この言葉が広まった直接のきっかけは一九九〇年代の旧ユーゴスラヴィア各地の内戦だが、その事例に限らず、それ以外の様々な事例にこの言葉を当てはめる用語法も次第に増大している。この言葉で指される事態が――その実相を突き止めるのはしばしば非常に難しいのだが、ともかく、この言葉を使う人がそこに込めようとしている意味に即していえば――悲惨きわまりない出来事であることを思えば、こうした言葉が流行語になる時代というのは不幸な時代ということになるだろう。 それにしても、もし言葉の指す意味内容が確定しているならば、悲惨な事態を正面から見据える――そして、できることならば、そうした事態をこれからは引き起こさないようにする――ためにも、そうした言葉を使
大阪府の朝礼の件。新聞各紙が故意に個人を特定できるように報道してるのはなんでだろう?と思ってたら、やっぱり組合の関係者だったのね。 それに対する反応が面白い。「民間なら従業員が代表者をあんた呼ばわりしたらクビ」みたいな。組合関係者として発言してるのなら民間でも「あんた呼ばわり」デフォでしょ。経営してる人も組合やってる人も見た事のない人に多そうな意見。組合は従業員を代表して経営者と対等な関係だから敬称を使わない。業務時間中に組合活動で業務を妨げたってつっこまなきゃ。 でも問題にならないと思う。発言の内容は半分は全うで、半分はそうでもない気がした。で、全うな主張とそうでもない主張をごっちゃにして全体としての話の信頼度を下げるというのは多分経営者に都合がいいから。過激派にしろ、過激な組合にしろ、左翼や、労働者の正当な権利の主張への信頼感を「多くの人が全うだと考える事とそうでない事をごっちゃにして
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