クルド問題の誕生 1916年にイギリスとフランスとロシアが結んだ秘密協定「サイクス・ピコ協定」は、中東の分割を画策したものだ。当時の中東とは、トルコ人のオスマン帝国のことだった。この協定により、オスマン帝国は英仏露のシナリオ通り分割され、レバノン、シリア、イラク、クウェートなどが、砂漠の中に定規で線を引いたように出来上がった。 協定の原案は、イギリス人マーク・サイクスと、フランス人フランソワ・ジョルジュ=ピコが作ったので、サイクス・ピコ協定と呼ばれる。協定が結ばれたのはロシアのペトログラード。英仏露三国の狙いは、もちろん、植民地と石油の利権を山分けにすることであった。 それだけでも大変勝手な話だが、なかでも一番ひどかったのがイギリスで、フランスとロシア相手にはサイクス・ピコ協定を結びつつ、その裏で、中東のアラブ諸国に対しては独立を約束し(フサイン=マクマホン協定)、さらにユダヤ人に対しては