![この世のモノは見るまで存在しない“非実在性”は巨視的世界にも当てはまる ~NTTらが実証](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b68f43859610b9c75e54a44e7ab4e60e4bcc9873/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fpc.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fpcw%2Flist%2F1028%2F407%2F01.jpg)
光速を超える情報伝達は実現するのだろうか。 量子テレポーテーションを使って、数キロメートル離れた場所へ瞬時に情報を転送することに成功したと、カナダと中国の研究チームが同時に発表した。科学誌ネイチャー・フォトニクス電子版が報じた。 これまでも研究室内での成功例はあったが、今回は、環境の影響を受けやすい数キロメートルもの距離での成功だ。この技術が一歩、実用化に近づいたといえるだろう。 実用化されれば、高速で安全な通信を実現できる可能性がある。今回の結果を発表した研究チームは、「通信が格段に速くて安全な新たなインターネットを、地球規模で実現させることにつながる成果だ」とコメントしている(日本経済新聞)。 量子テレポーテーションの不思議量子テレポーテーションは、電子や光子などの超微小な粒子(量子)の性質を利用した情報伝達の方法だ。 その性質とは、量子のペアをつくり、互いに影響を及ぼすような関係を持
いつもご訪問いただき、本当にありがとうございます。 ここ最近ブログの内容で何度か取り上げていますが、 世界的に有名な科学誌「Nature」に 「この現実は存在しないこと」が証明されたという量子力学の論文が掲載されました。 http://www.nature.com/nphys/journal/vaop/ncurrent/full/nphys3343.html 1965年に朝永振一郎らと共にノーベル賞を受賞した アメリカの物理学者ファインマンが残している言葉があります。 「量子力学を利用できる人は多いが、 量子力学を真に理解している人は一人もいないだろう」 今回のNatureの論文は、量子力学の理解に大きな足跡を残したものと言えるでしょう。 人間が観測するまでは 「人間と人間の宇宙は存在しない」ということ。 一般常識的な感覚では、人間が観測するとしないに限らず 「人間と人間の宇宙は常に存在」
Q1:飲茶さんは、 「『機械的な部品』にすぎない脳細胞がどんなに集まっても、 なぜクオリアが生じるのか説明ができない」 と言っていますが、 たとえば、車のエンジンは、『機械的な部品』が集まってできたものですが、 エンジンをどんなに分解しても、「車が走るという現象」はでてきません。 脳とクオリアの関係も、これと同じで、 説明できなくても当たり前ではないでしょうか? つまり、クオリアを問題にしている人たちは、 「エンジンを分解したのに『車が走る』という現象がどこにもないぞ」 と大騒ぎしているのと同じではないでしょうか? A1:いいえ、ちがいます。たしかに、エンジンを調べても、 「車が走る」という「現象そのもの」は出てきませんが、 「車が走る」という「機能の仕組み」は説明はできます。 たとえば、「なぜ車が走るのか。それは、エンジンの中でガソリンが爆発して、 その力がシャフトに伝わり、タイヤを回す
シュレーディンガーの猫 (表紙) by 南堂久史 この有名なパラドックスは、量子力学の根源と関わる。それは「粒子と波」という問題だ。量子を「粒子と波の双方の性質をもつもの」というふうに、あいまいな文学的解釈で理解したことから、この問題が生じた。 あいまいな文学的解釈を捨てて、科学的な解釈を取ることにより、パラドックスを回避することができる。 このページは、「シュレーディンガーの猫」を扱うサイトの表紙ページである。 初心者向けに核心を示したページと、より詳しい解説を記したページとがある。 (1) シュレーディンガーの猫の核心 (初心者向け) 重要 (2) 量子力学のミクロとマクロ ( (1) の注釈) (3) 「シュレーディンガーの猫」と重ね合わせ ( (1) の注釈)New! (4) 「重ね合わせ」とは何か? ( (3) の続編)
飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記) 2008年10月11日 僕の中二病告白 中二病という言葉があるそうです。 ―――――――――――――――――――――― 中二病(ちゅうにびょう)とは日本の俗語、スラング。 思春期にありがちな微妙にズレた自意識過剰、 それから転じて起こる数々の「中学二年生くらいの頃に ありがちな言動」を「症状」として比喩したもの。 子供が大人になろうとして、 「大人が好みそうな(と子供が考える)格好いいもの」に興味を持ち、 子供に好かれるようなもの、幼少の頃に好きだった幼稚なものを 否定したりなどする。「もう子供じゃない」「(汚い)大人になりたくない」 という自己矛盾が、実際の大人から見ると非常に「ズレて」おり、 滑稽に見えることが大きな特徴である。 さらに、生死や宇宙について思い悩んでみたり、 政治や社会の汚さを批判してみたり
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く