おはようございます。 秀吉の水攻めで有名な 備中高松城を歩きました。 中国地方を治めていた毛利氏が万 全の体制で臨んだ 備中七城の一つです。 (日幅城、宮路山城、加茂城、庭瀬城、松島城、冠山城 そして、ここ備中高松城。) (^^) 創始の時期は不明ですが、 戦国武将の三村氏の家臣である 石川久式(ひきのり)が築いたとされるお城です。 1575年(天正3)の 備中兵乱で、石川、三村氏 共々 壊滅し 清水宗治が城主として入城しました。 この時秀吉は、 中国地方を次々と落城していき 手中に治めます。 そしてついにここ、備中高松城まで攻め寄りました。 秀吉の軍師として補佐役をした 黒田孝高(官兵衛)。 官兵衛は、頭脳明晰で 手際の良いことから秀吉に とても頼りにされてました。 または、築城の名手でもあったのです。 築城の名手・・といえば 藤堂高虎を思い出しました。 (^^) 官兵衛のアイデアにより