2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…
「ネガティブコメント」という単語は結構あちこちで見かけるのだけど、これ、どのくらい通用しているのかなぁ、と思ってgoogle検索かけたら、上位は僕の書いた物ばかりだった。言葉自体はかなり前から使われていたようだけど、自分がこの言葉を使い始めた時は、テキトーに考えた造語っぽいノリだったものだから、共通認識されているものじゃないと思うので「オレ語解説」として。 ネガティブコメント そのブログの管理者にとって、不快感を覚える可能性のあるコメント全般。以下、人によってどこから「ネガティブコメント」と取るか異なるようです。 第一種ネガティブコメント「事実確認」 誤字脱字の指摘 、不明瞭な文章に対する内容の確認など。 タイプミスや思い込みなどにより、書き手だけが理解している文章に対して行われることがあります。 多くの誤字脱字は文章の前後関係から解読できるが、中には一字の間違いで複数の解読がなされる事も
[ekken♂ : ネット上での非難コメントは、はてブに限らず「人前で貶めるようなもの」] http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-358.html#comment 僕は「はてブコメント」に限らず、ネット上の非難コメント(自分のブログでの記述も含む)は(アクセス制限をかけていない限り)全て人前で貶めるようなものなんじゃないかと思います。 いまさら感が強く漂っちゃってるけど、まぁまだ半月…エーもうそんなに経ったのか!まあいいや。前回のトラックバックと同様、反論ではなく異論なんだけど、ネガティブなコメントの嫌なところをもう少し指摘したいなぁって思ってるんだ。 ある事柄に関する言及として、例えば「2chでのコメント」と「痛いニュースのコメント欄」と「はてなブックマークでのコメント」とあるじゃない。メタ度の違いとかはまぁどうでもいいから放っておくとして、やっぱり
「空気」とか「文脈」とか便利語が多いので最近はなんでもそれで説明できてしまう。こういう用語にも流行がある。エヴァンゲリオン当時のアニメ界隈で用語「気分」が流行ったようなものだろうか。いやあれは果たして流行っていたのだろうか。まあそれは置いとこう。 以下チャット概要。 我々って、空気以前にはなにを読んでましたっけ。 「距離感」だったかな。 「空気読めない」「距離感がズレてる」 「空気」は対多人数語、「距離」は対個人語ってかんじ。 そう考えると、読むべきが距離より空気になってきた=社会化してきた(ムラ形成が可能な密度に場が成長してきた)ってことでいいのか? 空気前提の場にシフトすると、空気系のパワープレイで距離を一気に跳躍してくるプレイヤが出てくるため、場の流動性が高まる(守備戦術面で旧来の「距離感」前提での構築しか採ってこなかったプレイヤが足元をすくわれるというような場面も)。 気配は?←そ
空気読めない人・痛い人(日刊スレッドガイド) 自分のしたいことすればいいよねー、と理想論を言うのは簡単なんですが、いやはや、やっぱり「空気読んでヨー」って思いはあったりするわけで。 とりあえず、一つの話題で盛り上がってるのに、自分にまつわる話題やウンチクに引っ張っていく人はちょいと苦手です。 とはいっても、その人の語り口が面白かったり「盛り上げよう」としているのなら問題ないんですけどネ。 ようは「自慢をしたい」のか、「盛り上げようとしている」のか。なんですが。 とはいえ「自分がそうじゃないか」というとやっぱり見直しは必要。なんだか胃がキリキリしてきましたヨ? も、も、もっと人の会話に合わせなきゃ・・・!? でもほんとにそれでイイノ? 839 :おさかなくわえた名無しさん :2005/11/12(土) 14:54:50 空気読めないのもイタイが、空気読んでばかりいるのも危険だ。 空気読んでる
ここ2ヶ月ばかり、自分で決めた月4回の最低ノルマ以上の更新ができていない。決して、忙しいとか飽きたとかではなく、純粋に書ききれないのである。書きたいのに書けなかったり、書いたけれどボツにしたりと、ひとつの記事に仕上がらないことが多い。書き上げられなかったら更新しなければいいと思いつつも、さすがにもう少し更新したいなぁと思う今日この頃。 そんなこんなで「更新しない」ということについて考えているときに読んだ「先を読む頭脳」という本で、羽生善治氏のこんな言葉が目に止まった。 将棋とは、プラスになる手よりもマイナスになる手の方が圧倒的に多いゲームである。 例えば、対局している双方が共に駒組みを完成した状態というのは、お互いにとってある意味「ベストな状態」であり、そこから手を指すということは自分のベストな状態を崩すことになってしまうほか、それ以外にも実際の対局中では「どの手を指しても現状より悪くなる
■[ネット]304 Not Modified: はてなブックマーカがドンドン馬鹿になっていく(from まなめはうす) パーソナライズされた物しか使わない私。 でも、ニュースサイトの情報集めとしての記事の探し方については、他のニュースサイトから探す場合と、自分で探してくる場合と両方がある。これをはてブで考えたら、自分でも探すけれど、特定の自分が「この人は!」と思った人のブックマークはチェックして、その中から面白い物を自分もブックマークするという辺りかな。 そういう見つけ方をするというのは、 自分に合ったジャンル、量、興味ある人のブックマーク、などなど判断基準は人さまざまだろうが、結局たどり着くのは 人 である。ある人の興味を追っているうちに、その人自身にまで愛着が出てくる。それがお気に入りの楽しさの一つであり、個人ニュースサイトの楽しみの一つでもある。 はてブはともかく、私が好きなニュース
ソーシャルブックマークとかRSSリーダーって、何か口をあけてるだけで可愛い娘が「はい、あーんして」風にうまいもんを食わせてくれるみたいで、本当に便利。 特にはてなブックマークは、要するにネット上に情報エージェントだとか忍者をたくさん放つようなもので、すっげぇ便利だし楽しい。特に、最近はだいぶ腕利きの忍者たちと契約できたので、ますますネットライフが充実してきた気がする。 でも、ちょっとさっきのまなめさんの記事で、「はてなブックマーカとブロガーとの距離」という事が問題にされてて、ハッとした。 そういえば、ブックマークを使うようになってから、それぞれの記事に直接コメントを残したりトラックバックしたり、そういうのが減った気がする。まなめさんの言う「距離」というのはこれのことなのかもしれない。ブログを読むのがテレビやラジオを垂れ流すのと同じ感覚になってきている気がする。 記事単位でぶつ切りに消費する
ドイツとオーストリアの位置 アンシュルス(独: Anschluß; Der Anschluss Österreichs an das Deutsche Reich)は、1938年3月12日にドイツ国がオーストリアを併合した出来事を指す語で、日本語では独墺合邦(どくおうがっぽう)、オーストリア併合(オーストリアへいごう)等と訳される。本来の「アンシュルス」「Anschluß(1996年ドイツ語正書法改革以降の表記:Anschluss))」は「接続・連結」を意味するドイツ語の普通名詞であったが、ナチスの言語の影響から固有名詞化したドイツ語や他の言語においては1938年のドイツによるオーストリア併合を指すようになった。 ドイツとオーストリアを合邦する政治構想は、第一次世界大戦敗北にともなうオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊直後から登場していた[1]。だが、周辺諸国からの圧力によって1920年代に
先日のはてなブックマーカがドンドン馬鹿になっていくへのいろいろな反応ありがとうございます。書き終えて思ったのですが、中身詰め込みすぎちゃいましたね。人によって全然違う反応をするだろうなぁと、コメントを頂く側としては非常に楽しかったです。 きっかけはとあるブロガーからの一通のメールでした。「Web2.0と言われても、結局はホッテントリに入ったり、ニュースサイトで紹介されないと読まれないんですよね」という感じの内容だったと思います。確かに、情報はネット上のどこかにあることを前提に、その中からいかに良い情報を得ることができるかを求めてしまっている今、「人」ではなく「良い記事」だけが切り取られてしまいます。それって、情報発信者からしたらすごく悲しいことなんじゃないかと思って。 たまたまはてブお気に入りの話題が流行っていたのでそれにのっかってみました。誰がどんな記事を集めてくるかも大事だけれど、本当
もしかしたら、はてなブックマーカもまた衆愚化しているのかもしれない。 例えば、個人ニュースサイトは2つに分けることができる。 他のニュースサイトから気に入った記事をピックアップするニュースサイトと、 個人ブログを直接巡回してニュースとして拾い上げるニュースサイト。 はてブユーザも2種類に分けることができるだろうか。 お気に入りやホッテントリから記事を探してブックマークする人と、 自分でブログを巡回してブックマークする人。 ニュースサイト管理人にしてもブックマーカにしても、すべての情報源を自分で探すのは不可能だろう。ある程度は誰かが集めた情報に頼らざるを得ない。特に多くのニュースサイトは、他のニュースサイトから得る記事の紹介がほとんどだと思う。おかげで、コメントもつけずにただニュースを羅列しているだけのニュースサイトは価値が無いと言われることがある。 これに対する反論のパターンはいくつかある
アルファクリッパーが巡回先にしているか否か。 それだけだ。 過去のブックマーク界隈を思い返せば自明であるように、ブログの記事がブックマークされるためには、完成度の高い記事である必要は全くない。隙の多い記事である方が、ブックマーカーの言及欲を刺激してブックマーク数は伸びる。 斬新な視点も必要ない。ブックマーカーは何度同じ話題を繰り返しても平気である。 真理を突いている必要もない。はてなブックマーカーの眼力が大したものではないことなど、あえて言うまでもないことだ。 よって、ブックマークされることを夢見て質の高い記事を書こうとするブロガーたちの努力は、全て見当違いの無駄な努力である。 ブックマークされることはブログの質と何の関係もなく、ただ多くのブックマーカーの目にとまる機会があるか否か、つまり、アルファクリッパーが巡回先にしているか否かによって決まる。 ゆえに、ブックマークされるためにブロガー
http://anond.hatelabo.jp/20061019145821隙のある記事でうけを狙うのは、まぐれ当たりにはなるとしても、継続的な読者は獲得できないのではないだろうか。 情報の持ち合わせが少ないのに名声は獲得したい一般人が発する妄念を感じることがある。それらの妄念のうちのいくつかは、なんらかの条件が重なって多くの読者の目にとまることがある。これらは珍しい事例であり、妄念界の一発屋、「一発妄念」とでも言うべき作品である。しかし、一般的にほとんどの妄念は、Web上で流通する玉石混淆の情報群の中の「石」に属しているものだから、記事に重み付けをおこなう技術によって淘汰されていってほしい。 アルファブロガーについて。私が知っているアルファブロガーとされる人達は、それなりになんらかの専門的な知識や得意分野を持っている。多くの読者の間に「○○ネタなら××さんのトコが詳しい」といった認知が
304 Not Modified: トラックバックにお返事 まなめさんの記事で紹介してもらったこの記事には、はてなブックマークのお気に入りを辿ることは「人を知ること」と書きましたが、ソーシャルブックマークは「自分を知ること」もできるツールだと思います。 自分で自分のしっぽをつかむ感じ? 読んだ記事の時系列や、自分がコメントした時に[コメントした]と何かタグを付けてブクマすることによってレスの確認もしやすいし、もしどこにコメントしたのか忘れた時とか「あの時こう言った、いや言ってない!」になった場合でも証明できるので、ソーシャルだけど自分が便利な使い方もアリだと思います。 わたしの場合は、すべてブクマしているわけではありませんが、時々自分が残してきたコメント(うんこ)を読み返してみるのもおもしろいです。 エントリーではなくコメントをブックマークすることは、そのブロガーとの対話(レス)を通して、
フリーティケットシアター全サービス終了 誠に勝手ながら、「フリーティケットシアター」のサービス提供を 2016年3月31日をもちまして終了させていただきました。 これまで長らくご愛顧を賜り、誠にありがとうございました。 http://www.freett.com/
【転載歓迎】重大情報!共謀罪は10月24日法務委員会法案審議冒頭に強行採決か!?(海渡弁護士) http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/f287e32214031a617e734e266e24173b共謀罪の行方に関心を寄せるすべての方へ 海渡 雄一(弁護士) 本日18日、日弁連主催の共謀罪反対集会が開催されました。私はパネルディスカッションのコーディネーターをつとめたのですが、次のような情報を総合すると、共謀罪は10月24日法務委員会の法案審議冒頭に強行採決される可能性が高いと結論づけるに至りました。みなさん、直ちに、強行採決を許さないという声をあらゆるところから上げて下さい。まだ、時間は残されています。根拠1民主党の平岡議員(法務委員会理事)が、今国会では自民党が法務委員会でどの法案を審議する
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
「Lost Control 怒り、そして憎しみについて」を読んで。 言われた相手の感情に配慮もせず、自分の言いたい事を言ってスッキリすればそれでいいのか? 憤懣やるかたない思いである。 kinya氏の書かれたこの記事には、私にとってはとても辛く心にナイフを刺されたような気持ちになる事が書かれている。 私も激情に駆られると己の言いたい事を思うままに相手にぶつけてしまう人間なのだ。そして、過去に何人も氏が抱いたような憤懣やるかたない思いを相手に抱かせた筈。その都度反省はするのだが、如何しても再び誰かを私の言葉という刃で傷付けてしまうのだ。 今はまだいい。此れからまた誰かを傷付けてしまうのだろうなと恐れてもいる。だが、それでも私は何かを書かないではいられないのだ。 ただ、思ったのだが。誰かが困っている時に迷わず手を差し伸べる人間が、果たして本当に相手を思いやる配慮のある人間であるのか如何か。何方
2006年10月17日 「プレイヤー=主人公」という神話 美少女ゲームに関するいくつかの論考の中にあった、どうしても拭い去れない違和感の正体が何であるのか、最近になってようやく気づき始めた。何のことはない、それは単純な問題だったのだ。「プレイヤー=主人公」という等号が、さも正しい前提であるかのように語ることが問題なのだ。この等号が決して自明のものでないことが違和感の正体だった。今考えれば当たり前のことのように思えるけれど、「プレイヤーは主人公の視点を借りて物語に入り込み、そのときプレイヤーは主人公と同一化している。したがって、プレイヤーは主人公に感情移入することができる」というのは明らかに間違いである。時に、プレイヤーにとっての主人公は「単なるキャラクター」に過ぎなくなる。主人公は「空っぽの器」のほうが都合が良いという表現もおかしい。主人公が、本当にただの依代に過ぎないのなら、プリセットさ
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