タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/kanimaster (24)

  • 駅の卒業

    . 1年前、こんなことを書いた。 3年目の目標は、このブログを卒業することである。 1年後に、BLOG STATION が続いていたら、留年したのだと思っていただきたいと思う。 BLOG STATION:駅の二年 それから1年が経ち、昨日で当ブログは丸3年を迎えた。 実をいうと、昨日はそのことを忘れていたのだ。 忘れていた、ということが、僕のブログに対する今の気持ちを表しているといっても良いのかもしれない。 この半年、生活環境が大きく変わったこともあり、ブログの更新は時々週末に古いレコードのレビュー記事を書く程度になった。 一方、はてなを始め、いくつかの場所に記事を分散して書くようになってきた。 その間に、僕の愛称は「駅」から「蟹亭主」に変化した。 もう「駅」は卒業することにしたいと思う。 このブログは当面、閉鎖はしない。 ときどき更新したりするかもしれない。 しかし、BLOG STATI

    駅の卒業
    mind
    mind 2007/05/27
    「駅」から「蟹亭主」に… ――本願成就おめでとうございます。ぁー、ぼくは入学と休学/退学をぐるぐる繰返すなぁ。
  • 例え話を用いる目的とリスク

    ■例え話の目的 ▼難しい事柄を、わかりやすく説明するため。 →例え話そのものは、わかりやすいものでなければならない。 ▼抽象的な事柄を、具象的な表現で叙述するため。 →抽象的な例え話(モラルの話を別のモラルの話に例えるなど)は、失敗する。 ▼特殊な事柄を、より一般的な事柄に置き換えて記述するため。 →例え話にアニメのエピソードを用いたりすると、一般的ではなくなる。 ▼面白い例え話を思いついたから。 →上の三つに当てはまらないものは、ほとんどこれに該当する。自己満足なレトリック。 ■例え話のリスク ▼他の解釈が容易に成り立つ例え話は、論理をすり替えられやすい。 →例え話の解釈を明確に定義するべき。 ▼インパクトの強すぎる例え話を用いると、論の趣旨が伝わりにくい。 →ネットマナーの話を、殺人やレイプに例えるなど。 ▼例え話の選び方が不適切だと、論の趣旨が全く伝わらない。 →例え話をする側の

    mind
    mind 2006/12/26
    一般的で、解りやすく、具体的な例え話であること。 ――複雑な内容であれば、それに比例して、長い物語にならざるをえない@@!
  • はてなidの読み方

    Ladder to the Moon - はてなidの読み方 いろんな読み方があるもんだなあ、と思って、僕もはてなブックマークを中心に、お気に入りに入れているひと、はてブられたことのあるひとなど、並べてみました。(順不同) じぇいこんどさんなおやんうぅぅんさんれいときさんゆみぞうさんだいすけぃさんあおぞらおねえさん みっどないとさんざんぎょうのまなめさんしまめのうさんふりーえんじぇるさんてぃあおぶえんじぇるさんさまーこんとれいるさん はたや山 まいんどさんえでぃあんどだぶりゅーさんしろうとにーさんてとーたん ぁゃιぃにゅうすさんがとうにゅうすさんちんこじさん んこずぃさんすーう゛ぇにーるさん やまーるさんきをふしさんちゃーちるさんともむーんさん しなちよさんらぶらぶどっぐさん しろくま(おす)さん しろくま(めす)さん もっしゅむさんかのせさん おーつねさん ふぁいなるべんとさん くりまっ

    mind
    mind 2006/12/17
    ――各人が自分で推奨の発音と漢字HNとかも掲げとくと親切なのかな?
  • Re: 欲求段階間の衝突

    奥様、鼻毛が出ておりますことよ - 欲求段階間の衝突 ある欲求が充足されている時、その欲求に対する理解度は著しく低下し、時には忌み嫌ってしまう心理が働いてしまうものという事。 ここで言う「ある欲求」というのは、自己の欲求のことですよね。 “自己の欲求(欲とか)が充足されている時、(自己の)その欲求に対する理解度が著しく低下し……”、という意味だと理解しています。 つまり、“自己の欲求が充足されている時、それと同じレベルの(他者の)欲求に対する理解度が低下する”とは限らないのではないかと思うのです。 奥様、鼻毛が出ておりますことよ - 欲求段階間の衝突 来、その欲求が満たされているからこそ、自分の今の欲求があるはずなのに、相手が欲する心理を理解し難くなってしまうのは、相手が望んでいるものが、自分が持っていて、かつ大して価値があると思えないものに成り下がってしまった、つまり持っていて当然の

    mind
    mind 2006/12/08
    ――どうも理性的な他者理解力は低下しないんだろうけど、他者共感的な感覚力は低下しそう。;幸せな人は、不幸な人の不幸さに対する感受性が低下する、というのは多々あるよね、エドモン。
  • 動物と命

    heartbreaking. 独房生活 ~天使の面と悪魔の面 のコメント欄を読んで、思いついたこと。 2匹の飼い、ミイとケイへ。 もしも、僕がおまえたちといっしょに無人島に流れ着いたら。 あるいは、未曾有の大災害か何かのため、どこか狭い場所に何日も閉じ込められることになったら。 僕は、ありとあらゆる手段を講じて、そこから脱出する努力をし、料を手に入れる方法を考えるだろう。 そして、それが不可能だという結論に達した場合、僕はおまえたちをべるだろうと思う。 もしも、僕が一人暮らしをすることになって、たちといっしょに生活をしているときに、 僕が病に倒れたら。 おまえたちは、僕をべるだろう。 そうすることによって、おまえたちが生きながらえることが出来るのならば、 僕はおまえたちにべられたとしてもかまわない。 しかし、最後の最後まで、おまえたちは互いに殺しあってはならない。 2匹で協力し

    mind
    mind 2006/11/27
    ――私だったら、生死に関わらず猫でも人間でも喰うかも。いや、喰えないで喰われるかも。つまり自分では(も)自分を理解してないし、予測不能。予測不能な事象の周辺に近づくと、不安定さriskを抱え込むことになる。
  • ランチメイト症候群

    昨日、gooのトップページからリンクされていたキーワード。 ランチメート症候群。 ああ。こういうのってあるよなあ、と思います。 僕はたいてい自分の席で昼をとるのですが、同僚と会話していても、ときどきそういうのが面倒になって、ついパソコンに向かって、ブログを読んだり、コメントを書き込んだり。 一方、若い女性たちは、集団でランチべていますね。 以前、一人が好きという記事を書きましたが、僕はわりと一人で行動するのが好きです。 でも、周囲から「友達が少ないんじゃないの?」と思われるのが嫌で、つい周りに合わせて、広く浅いつきあいかたをしてしまうこともしばしばです。深くつきあうのが面倒なのかもしれません。 左利きの万華鏡:ランチメイト症候群を読んだら、『孤独であるためのレッスン』(諸富祥彦・NHKブックス)というが紹介されていて、興味を持ちました。 一方、『14歳からの哲学―考えるための教科書

    mind
    mind 2006/11/26
    本当の友情というのは、自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ…。 ――{お互いに強くなれたときにこそ本当の意味で…問題 /実際は? ――匿名ネットは地に着いてないから…関係妄想が膨らむかもしれないね@@?
  • 「まあ」の法則

    1.素直に驚きや感動を表わす 例)まあ。なんて面白いブログなの! 2.十分ではないが、我慢できる程度を表わす 例)お前のブログは、まあ、こんなものだろう。 3.高い所から見下ろす 例)おまえの記事、面白かったよ。まあ、結論は平凡だけどな。 4.相手の気持ちを軽く抑える 例)まあ、落ち着け。 5.自信たっぷりに答える 例)A:お前もやれば書けるじゃん。 B:まあな。 6.とりあえず、相手に話を合わせる 例)A:私のブログ、面白いでしょ。 B:ま、まあな。 7.音を隠す/何か裏がある 例)A:小林君、ブログ始めたらしいんだけど、その後、どうなの? B:あいつは、まあ、カリスマブロガーやってるよ。 8.大人の事情を匂わせる 例)A:最近、小林君、オフ会に顔出さないけど、何かあったの? B:まあ、いろいろあってさ。 9.居直る 例)まあ、それが僕のブログについての持論みたいなものですから。 10

    mind
    mind 2006/11/18
    ――中国語の「まぁ」の4声調、(媽麻馬罵)を思い出した。
  • ブログ・コミュニティを超越するツールとしてのはてなブックマーク

    あんたジャージでどこ行くの (Lsty): はてなBMからのアクセスが増えるということ 数ヶ月単位でアクセス解析を見て、はてなブックマークからのアクセスが他所からのものに比べて多くなっている場合、それは「自分の書く記事のレベルが上がった」せいではなくて「はてなブックマークという空間で常連になった」せいだ。例外はあるだろうけど、多くの場合、そうだと思う。 「はてなブックマークという空間で常連になった」 というのは、“はてな村”というウェブ上のコミュニティのメンバーとして認知されるようになった、ということであると、僕は理解しました。 僕自身、2005年6月にはてなブックマーク(以下、はてブ)を使い始めて以降、はてブに言及する機会が多くなり、結果的にはてブからのアクセス、さらに個人ニュースサイトからのアクセスが増加して、全体のページビューが2倍以上になっています。 もちろん、記事そのもののレベル

    mind
    mind 2006/11/01
    はてダ以外の場所でメインのブログを運営しているユーザが、はてブ/“はてな村”に進出し、読者層を広げている ――SBSの、ブログサービス横断的な役割。it's a スモールワールド・ネットワーク。逆はあんまりない?
  • BLOG STATION あなたが見ている花は僕が見ているのと違う色かもしれない

    人間の感覚って、どういう仕組みになっているのだろう? ■天井の色 仰向けに寝て天井を見上げる。 手のひらで左目、右目の順に隠して行く。 すると、右目で見た天井と左目で見た天井の色が違っている。 ――このことに気づいたのは、小学校に上がったばかりの頃でした。もう少し大きくなって、「右目と左目の位置が違うから、光線の加減によるものなのかもしれない」と考えた僕は、穴を開けたボール紙を固定し、片目ずつ天井を見てみましたが、やはり色が違って見えました。 あまり他人に話したことがないので、どれくらい一般的な現象なのかわからないのですが、僕の右目と左目の色覚は微妙に違っていて、大人になった現在でもその感覚が続いています。(今は近視ですが、当時の僕の視力は両目とも1.5で、色覚検査の結果も正常でした。) 正確には、全く違う色というわけではなく、左目のほうが若干コントラストが強く、色彩がはっきりしている感じ

    mind
    mind 2006/10/26
    ――「周りのセカイ」を各自が違うように観察してても、同じに識別して共通の名前を付けていれば、社会的不都合は生じない。;信号機 <;左右逆転眼鏡をかけて暫く暮らしたら、再反転して「正常」に観えるのだろうか??
  • 【書評】 『モヒカン族はなかった』

    『モヒカン族はなかった』 蟹江ケンゾー著 冗談社 2005年10月刊 ■編集部による書籍紹介 二〇〇五年、ブログ界を揺るがせた「モヒカン族」ブーム。しかし、その現象は、捏造された歴史だった!?謎のカリスマ・ブロガー、蟹江ケンゾーがネットとリアルの関係性を暴く問題作。ついに登場。 ■レビュー センセーショナルなタイトルとは裏腹に、書は、著者の地道なフィールドワークに基づく、人間観察の記録となっている。 某月某日、私は吉祥寺のホルモン焼の店で秘密裡に行われたモヒカン族のオフ会に潜入することに成功した。しかし、そこでは、和気藹々とした雰囲気の馴れ合いが横行していたのである。驚きのあまり言葉を失った私に向かって、「楽しんでる?」、「つまらないの?」と、気をつかって声をかける偽モヒカン族たち。真のモヒカン族はどこにいるのだろうか。 「第3章 - 殺伐を求める者たち」よりモヒカン族ブームとは、「モヒ

    mind
    mind 2006/10/26
    「似非モヒカン族」「真のモヒカン族」ネタ構造 ――そもそも概念の出自自体が自嘲的、反語的というかパラドキシカルなものだったので、理解しにくいんだね。他薦による選出とか、「実存的なモヒカン」も見てみたいw
  • 受容と共感

    きらきら、ぶつぶつ - 「肯定すること」と「受け入れること」の違い 「相手が『死にたい』と呟いたとき、『死んではいけない』とか『そんなことを言うな』などと言ってはいけません」 昔、カウンセリングの勉強をしていたとき、ある先生が語った言葉です。 死んではいけない、と言ってしまうと、相手は「自分の考えが否定された」と感じ、心を閉ざしてしまうからです。 大切なのは、相手の言葉を肯定したり否定したりしないこと。即ち、評価を加えずに、ただそのまま受け止めること。 これを、心理学では受容(acceptance)と共感(sympathy)といいます。 もちろん、これはカウンセリングなどの専門分野だけではなく、一般的な人間関係にも当てはまります。 例えば、親子関係の場合。 「つらい」と嘆く人の前でしてしまうまちがいは、まず理由を聞いて、そのつらさを「検証」しようとすること。 ちがう。 それは、後。 「つら

    mind
    mind 2006/10/21
    対等な大人同士…価値観の相違から、しばしば摩擦が。 最初から相手を評価するのでなく、一旦、相手の考えを受け止めてから… ――異なる価値観/異文化と接したときは、共通の価値観/地盤に遡って。cf. なぜころ
  • 「はてブの衆愚化」について考える

    しばらく前から、「はてブの衆愚化」ということがあちこちで指摘・問題視されているようですが(最初に言い始めたのは誰なんだろう?)、果たして「衆愚化」とは何を意味しているのでしょうか。 ここで、興味深い記事を二つ紹介します。 「衆愚化」して困るのは誰か - 日々是自己主張 ここでいう「衆愚化」というのはおそらく、数多くブックマークされる記事の傾向が非常に偏っていて、真に価値のある情報になかなか注目が集まらない、というようなことだと思うのですが、ここで注意すべきだと思うのは、「価値のある情報」という判断を下しているのが誰かということであり、この場合でいえば、それは「はてブの衆愚化」を叫ぶその人自身だということです。 *太字は引用者による。忘却防止。 - はてブのお気に入り機能はなぜ支持されないのか~自分を補完する役割をお気に入りに求めているとするならば はてブが認知されることでユーザが増加、価値

    mind
    mind 2006/10/19
    「人気エントリー」の7割が「IT 関連」で、ジャンルとしては非常に偏り。 「人気エントリー」に限っていえば、他のジャンルへ広がる傾向は見られない。 ――他方、注目エントリーの流れる速度は激しくなったと云う…
  • 【はてブ】お気に入り紹介記事の効用

    以前、【はてブ】僕のお気に入りを紹介します。という記事で、僕がはてなブックマーク(はてブ)のお気に入りに入れているユーザのブックマークの一部を紹介したところ、こんな反応をいただきました。 鼻が赤くなりにくいティッシュです - なんかくやしい 以前Kenさんに紹介された時も思わず床に倒れてコロコロしたくらい嬉しかったです。 この際、勇気をもって白状しときます。 この時がはてブをやってて一番嬉しかった時でした。 わずか2行の紹介文に対する反応としては、ずいぶん大げさだなあ、と思ったのですが、feather_angel さんが床に倒れてコロコロしている様子は、きっとこんな感じです。 ◆feather_angel さんの想像図 (要 flash。音が出ますのでご注意。) さて、はてブのお気に入りを紹介しあう記事が、次々に書かれています。(以下、日付順。) ◆suVeneのあれ:[はてブ]お気に入り

    mind
    mind 2006/10/19
    紹介の仕方も人それぞれ ――<キャラ紹介までフラット化するかは、「ブクマーカに対するブクマ」が普及するかにかかってるでしょうね。記事に対する感想は気軽にできるけど、キャラに対する評価はおそれ多い、と。
  • トラックバックは相手の読者に読ませるためのものでもある

    『斬(ざん)』:トラックバックは誰のためにするのかなぁ? 上の記事は、濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!という souryuusei さんの記事に対する他のブログからの意見をまとめたものです。 トラックバックを送る/送らないということについて、さまざまな意見が寄せられており、興味深く拝読しました。 さて、これらの意見のほとんどはトラックバックを送る(または送らない)立場、即ち第三者の記事に言及する側の立場で書かれているようです。 これを逆の立場、即ち第三者から言及される立場から考えてみたらどうなるでしょうか。 ■受け取ったトラックバックを表示し続ける理由 「トラックバックは言及やリンクしたことを相手のブログ主に通知するためのものだ」という考え方があります。 確かに、相手に通知されることは事実ですから、これは間違ってはいませんが、通知を受け取り、記事を読んだブログ主がそれを削除

    mind
    mind 2006/10/06
    TBを送らなければ、言及された側が自分のブログ内で反応しない限り、相手のブログ読者に言及記事を読ませる機会を失い、…さらに波及する可能性を断切って ――「言及相手に通知」の最終目的はここにあると。
  • 火傷と猫

    mind
    mind 2006/09/22
    …目立たなくなった火傷の患部を、前足で触ったり舌で舐めたりしている。今まで、足の甲なんて舐めたことないのに。この子たちは、痛む場所がわかるのか。 ――非言語的communicationは、動物の方が鋭かったりする。
  • BLOG STATION:[はてブ] 僕の「お気に入り」を紹介します。

    久しぶりに、はてなブックマーク(以下、はてブ)の話題。 最近、はてブのユーザ数の増加に伴って、「人気のエントリー」や「注目のエントリー」に同じようなサイトばかりが並んでしまい、「はてブの衆愚化」というようなことがあちこちで指摘されるようになってきました。 もっとユニークな記事が読みたい、より効率的に面白い記事をクリップしたいのだけど、どうしたら良いのだろう? 「お気に入り」機能を使いたいのだけど、自分にとって興味を惹かれるブックマーカーの探し方がわからない、といった意見もあちこちで見かけます。 naoyaグループ - naoyaの日記 - お気に入り機能についていろいろ ○○さんのブックマークしたものを見たいということはあっても、○○さんのブックマークしたもののうちなんとかタグだけみたいということがあんまりないのと、タギングはみんなかなり揺らぎがあるので、特定のタグだけで追いかけるよりも、

    mind
    mind 2006/08/26
    自分の「お気に入り」をおすすめしあう人海戦術はいかが。…ほとんどのジャンルをカバー ――だんだんと涼しくなってまいりましたw //恥ずかしながら、7人の方々のうち4人も相互お気に入りさせていただいており
  • ソーシャルブックマークの可能性

    ソーシャルブックマークの傾向と対策の続き。 一月半ばかり経ったので、その後に僕が考えたことなどについて書いてみたいと思います。 ■はてなブックマークのコメントが面白い ◆『斬(ざん)』:「ホントにそれブックマークしたいのかなぁ~」への反応集 多くのはてなブックマークユーザにブックマークされた記事に寄せられたコメントへのレスという形で書かれた記事で、非常に面白く読ませていただきました。 元記事である「ホントにそれブックマークしたいのかなぁ~」を最初にブックマークしたのは、ぽんすブログのtakoponsさん、2番目がむだづかいにっき♂のekkenさん、3番目が僕(はてなID:kanimaster)です。 ※以上は、オレの貴重な交流先です。正直このお三方がBMしていただいた結果、注目のエントリーになったのが切っ掛けだと思います。 (『斬(ざん)』:「ホントにそれブックマークしたいのかなぁ~」への

    mind
    mind 2006/07/18
    28万…小規模コミュが林立。良くいえば、アットホーム、悪くいえば、どんぐりの背比べ状態の馴れ合いコミュ ――飽和してくるとクラスタ化する。communication toolが便利に進化すれば飽和を加速。パイが大きければ遅く。
  • 「常連さん」以外の読者はノイズなのか?

    heartbreaking.:アクセス数の超えられない壁に悩むより、一人の常連を大事にしようへの、反論というほどじゃないけど、一つの意見として。 アクセス数という「数値」に一喜一憂するよりも、自分のサイトやブログに通い続けて下さる「常連さん=固定読者」を大事にしよう、という考え方に、僕は全面的に賛同します。 しかし、「常連」以外のアクセスは、果たして「ノイズ」として切り捨ててしまってよいのでしょうか? ■ブログの読者のうち、「常連」は何割くらいなんだろう? goo ブログアドバンスのアクセス解析は、非常に大雑把に出来ているため、ブラウザのお気に入り(ブックマーク)経由から何人訪問しているとか、特定の読者が何回訪れたとか、そういった詳細なデータはわかりません。 しかし、毎日のアクセス元 URL の上位20位は記録されています。それによると、当ブログの場合、ページビューのおよそ4割が検索エンジ

    mind
    mind 2006/07/18
    ――「ノイズがない」social communicationというのは、届けたいところに届いてそうでないところには届かないと。これは社会のクラスター化、地割れであり、断絶。
  • BLOG STATION : 孫引きがいけない理由

    孫引きとは、A の著作(原典)を B が引用したものを、さらに C が引用することをいう。 ■孫引きされる村上春樹 先月、書いた「僕」はネイティヴという記事の一部が、Tritsch-Tratsch:僕と俺と私とあなたと自分という記事に引用されていた。 引用は自由に行っていただいて構わないのだが、気になったのは、僕が引用した村上春樹の著作(正確には CD-ROM)の一節について、触れられている点である。 この記事を書いた人は、「村上春樹を「ノルウェイの森」を途中で放り出したくらいしか読んだことがないのだから知る由もないのだけど^^;;」と述べており、原典である『夢のサーフシティー』はおろか、村上春樹の著作を読んだことがないと、告白している。 何やってんだ、この人? ■これはひどい さらに、孫引きは続く。 われ思ふゆえに・・・:書いてあることを、書いてある通りに。(前編)という日記の中で引用さ

    mind
    mind 2006/07/18
    [メタをベタに] ――引用/TBについても、繰返されると何が何だか…。メタな話禁止! なんてね。
  • まがいもの。

    上上下下左右左右bA:「ハッタリ?・・・えっと・・・ニンニン」 「あたしって、天然なの」と言ったり、プロフィール欄に「天然です」と書いたりする人間が少なからずいる。 だが、そういうのは全てまがいもの、養殖モノの類であって、天然とは質的に異なる。 物の天然とは、奔放にして自由なるものであり、且つ、すべからく自覚症状なき個性たるべきものであろう。 まがいものの自称「天然」は、自らを既成の類型に分類することによって安心感を得る点において、血液型占い信者と同等の阿呆に違いないと思うのである。

    mind
    mind 2006/07/14
    ――「天然」は、自己認識に欠けるから天然と言うらしい…w そう、自分で判断認識することは出来ない。とどのつまり、私もアナタも天然かも ということ! オメデタイヤツもそうでない人も、自分がそうだとは知らない。