「この世には、わからぬ事が多い」。印象的な一文で始まる自筆原稿は、赤や緑、青の色鉛筆で丹念に推敲(すいこう)されていた。高熱のなかで書いた絶筆だった。 司馬遼太郎さんが昭和61年から産経新聞の1面に連載していたエッセー「風塵抄」である。平成8年2月12日付の朝刊に掲載され、くしくもこの日の夜、司馬さんは亡くなった。 それから20年。地元大阪では14日から、回顧展「没後20年 司馬遼太郎展」が始まる。来年は高知、横浜などを巡回する予定だ。副題は「21世紀未来の街角で」。ファンにとっては「お宝」の品々とともに司馬さんに再会できる機会になろう。 日本文化があるから 昔から、先輩記者の間では、ちょっとした語りぐさだった。 司馬さんが亡くなったのは月曜の夜で、その日の朝刊に載っていた「風塵抄」は、実は1週間遅れの掲載だった。本来は第1月曜と決まっていたが、体調不良で珍しく翌週に延びていたのである。