【公益財団法人になった日本相撲協会】 【営利興行団体の大相撲競技に宗教精神的な行為がありうるのか】 【横綱の奉納土俵入りなど】 本日〔2014年4月10日〕の記述は,本(旧)ブログ「2008.7.11」の記述を部分的に活かした論題をかかげてみた。「明治神宮においておこなわれる横綱土俵入り」,「これを納める」のだという宗教的な意味などを,あらためて考えてみたい。まず最初に画像資料でつぎの事実をしらせておきたい。 ① 明治神宮「横綱土俵入り」 『朝日新聞』2008年7月11日朝刊のスポーツ欄に,1年まえの2007年6月に話題となった「時津風部屋での力士暴行死亡事件」に関連する特集記事「牛歩の1年 力士暴行死再検証 下-『外部の目』に思い腰-」が掲載されていた。その欄には7月13日から始まる「名古屋場所を前に横綱,大関らとともに熱田神宮を参拝した北の湖理事長」の写真が出されていた。 筆者はそれを