「いつか話さなければならないと思っていた」 京都市伏見区に住む遠藤道雄さん(68)。本名は朴龍基。在日朝鮮人3世だが、ふだんは通名の「遠藤」を名乗って生活している。在日コリアンの歴史を少しでも知る読者なら、遠藤という通名が他にはない珍しい名であることに気づくはずだ。 なぜ「遠藤」なのか。遠藤さんがその名の由来を知ったのは高校生の時、親戚が集まる法事の席だった。何とはなしに「なんでうちの通名は遠藤なのか?」という話題になったという。 すると叔父(遠藤さんの父親の弟)が、やおら神妙な面持ちになった。 「いつかお前たちにも話さなければならないと思っていた。今から話す内容は、お前たちの子どもの代にも伝えてくれ。その次の代にも伝わるように……」 叔父は、その約40年前に関東地方で大地震が起きたこと、地震後の混乱のなか、自分たちの父親、朴栄業がいかにして生きのびたのか、とつとつと話しはじめた――。 1
「事実は小説よりも奇なり」といいますが、絶体絶命の危機から生還した実話も、すぐには信じられないようなエピソードばかりです。ナショナル ジオグラフィックが集めたそんな実話の中から、特に「ありえない生還劇」をご紹介します。1931年、3人の幼いアボリジニの少女が強制的に家族から引き離され、過酷な環境の先住民収容所に送られた。オーストラリア政府が、数千人の子供たちを親元から隔離する政策を行っていたか
もう今年で44歳だそうです、常盤貴子。『愛していると言ってくれ』『みにくいアヒルの子』『ビューティフルライフ』など、数々の人気ドラマに出演し、90年代後半は“連ドラの女王”と呼ばれていました。 2009年には長塚京三の息子で、俳優・演出家の長塚圭史と結婚。人妻の身となった今も、その美しさは衰え知らず。むしろ、年々磨きがかかっているような感すらあるのだから、大したもの。同時に、自身の美を鼻にかけることなく、プライベートでは関西弁を使用するとっつきやすい人柄から、芸能界や事務所後輩にもファンが多い“愛され女優”でもあります。 デビュー後しばらくは下積みが続いた常盤貴子 このように今や一流芸能人の常盤貴子にも当然、下積み期間があります。多くの女性タレントが「原宿でスカウトされて…」とか「オーディションで合格して…」とかいうカタチで、スターダムの切符を手に入れていくわけですが、彼女の場合は少し違い
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