ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (21)

  • 『国道3号線』 - Arisanのノート

    国道3号線: 抵抗の民衆史 作者:森 元斎 共和国 Amazon このでは、谷川雁のことが多く書かれている。大正行動隊や退職者同盟など、彼が関与した運動のあり方についても随分興味深いのだが、読んでいて最も印象に残るのは、著者の文章以上に、引用された谷川自身の、次のようなユーモラスなほど力の入った言葉である。 『「彼らはどこからも援助を受ける見込みはない遊撃隊として、大衆の沈黙を内的に破壊し、知識人の翻訳法を拒否しなければならぬ。すなわち大衆に向っては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する。そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう。」(p150 谷川雁「工作者の死体に萌えるもの」からの引用)』 ちょっとよく分からないところもある

    『国道3号線』 - Arisanのノート
  • 『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』 - Arisanのノート

    台湾、あるいは孤立無援の島の思想 作者:呉叡人 みすず書房 Amazon こので特に印象深かったのは、国民党の馬英九政権に対して、台湾の社会運動が強力な抵抗を行い、民進党への政権奪回を実現したばかりか、民進党の政策を多文化主義的・脱資主義的な方向へと大きく転換させた経緯を描いた論考、「社会運動、民主主義の再定着、国家統合」だ。 当時の馬英九政権(二〇〇八~二〇一六年)は、小選挙区制のもとで、四分の三近い圧倒的な議席を獲得。それを背景に、司法権を含む三権の支配と、メディアの掌握によって、親中国・新自由主義推進の権威主義的政治を行っていた。それが数年の間に、激しい抵抗と批判にさらされ、やがて民進党に政権を明け渡すことになるのだが、その主役は、あくまで社会運動、著者の言う「市民的ナショナリズム」の力であって、政党(民進党)ではなかったことを、著者は強調する。 その自立的な力は、台湾の人びとの

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  • バーリン『自由論』 - Arisanのノート

    自由論 作者: アイザィア・バーリン,小川晃一,福田歓一,小池銈,生松敬三出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2000/06/06メディア: 単行 クリック: 19回この商品を含むブログ (24件) を見る 書の著者、アイザイア・バーリンについては、最も有名な講演「二つの自由概念」において、「積極的自由」(自己実現)と「消極的自由」(非干渉)を明確に区分し、両者は基的に相容れないものだとしたうえで、「積極的自由」の支配に警鐘を鳴らし、「消極的自由」の価値を強く擁護する主張を行った人として、20世紀後半の個人主義的自由主義の先駆者のように考えられているようだ。 その場合、彼が警鐘を鳴らした「積極的自由」の弊害については、ルソーやマルクスなどの革命的思想の追求というものが、実際にはジャコバン派や共産圏諸国の全体主義的・抑圧的体制をもたらしたこと、あるいはまた社民主義的な理念の重視が、

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  • 『講座 現代反体制運動史』 - Arisanのノート

    ここ二年ほどかけて、韓国の運動家の友人などと一緒に行ってきた『講座 現代反体制運動史』(青木書店)の私的な読書会が、今日、ようやく終わった。 運動史に詳しい方ならご存じだろうが、3巻組のこのは、明治維新から60年安保までの日の社会運動の歴史を振り返ったもので、出版されたのは、60年安保闘争の終結直後である。 その最後の「総括」の章は、「歴史変革の遺産と課題」と題され、60年安保闘争を、戦後のみならず、明治維新以降の日の「人民闘争」のすべての遺産と成果の集約点と捉え、とくにインテリや組織労働者だけでなく、広く一般大衆までが大規模な行動に立ち上がった動きとして肯定的に高く評価しているのだが、同時に、その限界を次のように指摘している。 戦後一〇有余年の運動の全エネルギーをこの一点にぎょう集したかのように、数百万大衆が明確な意識と目的をもって立ちあがりながら、その闘争が結局「政府の危機」をも

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  • 『叫びの都市』 - Arisanのノート

    叫びの都市: 寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者 作者: 原口剛出版社/メーカー: 洛北出版発売日: 2016/08/31メディア: 単行この商品を含むブログ (2件) を見る 私たちはすでに、釜ヶ崎的状況を生きている。そうであるなら、釜ヶ崎の記憶を喪失することは、現在に対する視座を獲得するための手がかりを手放してしまうことに等しい。(p30) このように述べる著者は、広く知られることのなかった釜ヶ崎の町と労働者・住人たちの歴史、そして生存のための運動と抵抗の歴史と記憶を、膨大な聞き取り調査と文献の検証をとおして辿って行く。 この想起と伝播自体に、このの最大の意義がある。 たとえば、僕はこのによって、往年の「寄せ場」の活動家たち、船洲治や山岡強一(よく知られているように、この二人は共に非業の死を遂げた)の文章にはじめて触れたと言っていいが、その先見性は驚くべきものだと思った。 しかし

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  • 『1968年』 - Arisanのノート

    1968年 (ちくま新書) 作者: スガ秀実出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/10/01メディア: 新書 クリック: 32回この商品を含むブログ (74件) を見る10年前に新書として出た。 すが秀実のは、かつては愛読していたのだが、ずいぶん長いこと(今世紀になってから?)読んでいなかったこともあり、論についていくのに苦労した。読み切れていないところがあるかもしれないが、自分なりに理解したことを書いておきたい。 色々なことが知れて面白いのだが、曖昧な印象も残る。 まず最初の章で、著者の歴史観の大枠が示される。整理しにくいのだが、おおむね次のようなことだと思う。 世界的に見て、「68年の革命」が画期的だといえるのは、それがポスト市民社会という新たな資主義の形態に対応するものだったからである。主体主義、市民主義といった、それまでの社会運動のスタイルが、そこで批判され、捨て去

  • 四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート

    以下の文章、あまりにも酷いので批判を書いておく。 『四方田犬彦, 朴裕河を弁護する』 http://parkyuha.org/archives/5161 ただ、かなりの長文であり、その一行ごとに突っ込みどころがあると言っていいぐらいだ。 あまり長い文章を書くのも気が引けるので、ここでは最低限、自分が特に言いたいことだけを書くことにしたい。 僕が一番驚いたのは、3のなかで、朴裕河が「従来の慰安婦神話に突きつけた」重要な視点の一つとして語られている、次の個所だ。 日軍兵士と慰安婦を犯す/犯されるといった対立関係において見るのではなく、ともに帝国主義に強要された犠牲者であると見なす視点は、今後の歴史研究に新しい倫理的側面を提示することだろう。それは日帝国主義による強制連行が朝鮮人・中国人にのみ行使されたのではなく、長野県や山形県の農民が村をあげて満洲国開拓に動員された場合にも指摘しうるとする

    四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート
  • 『新編 現代の君主』 - Arisanのノート

    新編 現代の君主 (ちくま学芸文庫) 作者: アントニオグラムシ,Antonio Gramsci,上村忠男出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/08/06メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (9件) を見る イタリア人マルクス主義者、アントニオ・グラムシは、ムッソリーニ政権下で投獄され1937年に亡くなったが、獄中で膨大なノートを残した。それらは、死後に編集されて出版され、日を含む世界中のマルクス主義に大きな影響を与えたとされる。 このも、そのノートの一部を編んだものである。 一読してよく分かるのは、ファシズムの猛威に直面した獄中のグラムシが、「大衆」をどう捉え、それにいかに働きかけるべきかということを、左翼の立場から考えぬいたということである。 その姿勢は、次のような一節からもうかがえると思う。 注四。 新しい文化を創造するということは個人的

    『新編 現代の君主』 - Arisanのノート
    miyakawa_taku
    miyakawa_taku 2016/06/29
    アントニオ・グラムシ
  • 恐るべき和解 - Arisanのノート

    以下は、オバマの広島でのスピーチの翌日の毎日新聞の朝刊一面に載った特別社説だ。 これを読んだとき、あまりの酷い内容に即座に批判記事を書こうと思ったのだが、その時はネットでは見つけられなかった。 http://mainichi.jp/articles/20160528/ddm/001/030/126000c 日米両国の「真の和解」が必要だとあるが、この両国は戦後一貫して強固な同盟関係を結んできた。 それは、双方の加害行為についての責任、とりわけ日のアジア諸国に対するそれと、米国の被爆者及び無差別爆撃の被害者に対してのそれとに目をつぶることによって成立した欺瞞的な同盟だ。 米国は国益のために、日の植民地主義的な国家の体質の温存を許し、日はまた自国の利益のために被爆(被曝)等に関する米国の重大な責任の隠蔽に手を貸したのである。そして、日政府の戦後補償に対する姿勢をみれば、日の米国への協

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  • サルトル『植民地の問題』 - Arisanのノート

    植民地の問題 作者: J.‐P.サルトル,Jean‐Paul Sartre,多田道太郎,鈴木道彦,浦野衣子,渡辺淳,海老坂武,加藤晴久出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2000/02メディア: 単行購入: 1人 クリック: 17回この商品を含むブログ (3件) を見る おそらく、サルトルの数多い著作の中でも、日でもっとも広く読まれてきたもののひとつだと思うが、そのなかから、ここでは「ヴェトナム戦争犯罪国際法廷」いわゆる「ラッセル法廷」に関連する文章のひとつ、「ジェノサイド」の一節をとりあげる。 同法廷で議長を務めたサルトルは、この文章で、アメリカによるヴェトナムでの軍事行動が「ジェノサイド」と呼ばれるべきものであることを論証していく。 この論証の全体は鬼気迫るものだが、私がもっとも関心をひかれたのは、ヴェトナムに送り込まれて残虐行為を行うアメリカ兵たちについて述べられた箇所である。

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  • 戦争のための「和解」 - Arisanのノート

    28日に日韓両国政府の間で行なわれた「合意」と呼ばれるものですが、被害の当事者である元「慰安婦」の人たちをなおざりにして、国家・政権の都合だけを優先させた酷い決定だったと思います。 そもそも、当事者の思いも証言も無視したところで、闇雲に政府間で「最終的解決」の「合意」なるものが取り決められ、事後的に当事者にその承諾が強要されるようなものを、「和解」と呼ぶことなどできません。 それに、日側が当に反省の気持ちを持つならば、安倍首相や岸田外相は、みずから被害者の人たちの前に足を運んで謝罪することから始めなければなりませんが、取り決めの過程や、その後の言動・対応から見ても、そんなつもりは全くないのでしょう。 両国(とくに日)の為政者にとっては、大事なのは、今回の「合意」を要請したアメリカ合衆国政府の意向や、選挙結果につながる国内世論の動向、そして国家同士の都合やメンツや思惑といったことだけで

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  • 『天皇の逝く国で』 - Arisanのノート

    天皇の逝く国で 作者: ノーマ・フィールド,大島かおり出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1994/02/09メディア: 単行 クリック: 17回この商品を含むブログ (14件) を見る 天皇裕仁の死が目前のものになった1988年の後半から89年のはじめにかけて、日全体が、(当時の感覚としては)異様な「自粛」ムードに覆われた。 著者のノーマ・フィールドは、その抑圧的な空気を、戦後の日社会が戦前からの継続として持ち続けてきた質が、あからさまに立ち現われたものだと捉える。 協調を乱すような諸個人の行為や言動、異議の主張や感情の激発といったものを、禁圧し貶め封じ込める暗黙のルールが、「平和」と「繁栄」という語で修飾されてきた戦後日社会の日常を、根底で支配してきたと見るわけだ。 元号の変った89年、ノーマ・フィールドが会いに出かけた、このの三人の主要な登場人物は、いずれもそのような

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  • 『明治維新の遺産』 - Arisanのノート

    明治維新の遺産 (講談社学術文庫) 作者: テツオ・ナジタ,坂野潤治出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/08/09メディア: 文庫この商品を含むブログ (6件) を見る 1974年に(原著が)書かれたこのにおいて、著者のテツオ・ナジタは、近代以後の日が、江戸時代から受け継いだ強力な官僚機構の伝統を有した社会であることを重視した上で、そこにはA極度にドライで実用主義的な官僚支配のあり方と、Bそれを批判し打破しようとする「非政治的」で倫理的な理想主義の傾向とが存在し、そのABの両方がセットになって日の近代社会の基的な構造のようなものを作っているのだ、という考えを述べている。 これはたとえば、2・26事件における統制派と皇道派の対立と協働のようなものを思い浮かべれば分かりやすいであろうが、ナジタは、Bの方の流れのなかに、植木枝盛や中江兆民にはじまるリベラル的・左派的な思想をも含

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  • 『顔のないヒトラーたち』 - Arisanのノート

    新聞に紹介が載ってたので見に行ってきました。 http://kaononai.com/ この映画、アカデミー賞、とってたのか。 ナチスという過去に向き合ったドイツ(西独)の歴史の話ですが、今の情勢下で見ると、自分の国とのあまりの隔たりの大きさに呆然とします。 最初の方は、よくある戦後史回顧のナショナル・ヒストリーみたいな映画かなあと思ったけど(だから悪いとは一概に言えないが)、やっぱりすごい内容でした。 映画は1958年からの5年間ぐらいのことを描いてるらしいんだけど、この当時、ナチスがアウシュビッツで何をしたかというようなことは、一般のドイツ人にはまったく知られてなかったらしい。登場人物の一人が「記録映画を見たけど、あれはプロパガンダだよ」と言うのが印象的だった。 これは、支配層を含めたドイツ(西独)の大人たちが、そのことに蓋をしようとしてきた、という要素が一番大きい。東西冷戦下なので、

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  • 『ファシズムの中の一九三〇年代』 - Arisanのノート

    ファシズムの中の1930年代 作者: 久野収出版社/メーカー: リブロポート発売日: 1986/08メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る 前回書いた久野収の「ファシズムの価値意識」という文章がたいへん面白かったので、他に久野がファシズムを論じたものはないかと探してみたところ、このが見つかった。早速、注文して読んでみた。 これは変わった成り立ちので、1930年代に久野が『世界文化』という雑誌に連載していたファシズム関連の論考が、中途で弾圧されて久野を含む関係者が投獄され、雑誌も廃刊になってしまったために中絶していたものを、戦後70年代に入って取り上げて論じ直し、『展望』という雑誌に連載した。ところが、その『展望』も途中で廃刊になったため、これも尻切れトンボになった。 この二重に尻切れトンボになった連続エッセイに、これも尻切れトンボに終わった劇団員向けの連続講演を併せ、

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  • 菅孝行さんの講演を聞いて - Arisanのノート

    14日、大阪市内のPLP会館というところであった集会で、菅孝行さんが講演されたのを聞いた。行って良かったと思った。 集団的自衛権など現状の動向と、安倍政権の全体像を分析した菅さんのお話は、とても僕にはまとめることはできない。ここでは、自分が一番印象深かった部分について、自分が感じたことだけを書いておく。 菅さんの発言のなかで大事だと思ったことの一つは、安倍晋三は、ある意味で大衆そのものだ、という指摘だった。この言葉は、質をついていると思った。 敗戦時、天皇が免責されたことにより庶民全体も免責され、加害責任がどこまでも希薄化されて被害者意識だけが肥大化した、日の大衆社会。その総決算として登場したともいえる安倍政権。だから安倍の内面や思考は、日の大衆社会そのものだとも言える。まったく、この政権は生まれるべくして生まれたのだ。 かりに、安倍が政権から滑り落ちたとしても、彼を権力の座に押し上

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  • 『徳田球一とその時代』 - Arisanのノート

    先週の土曜日の深夜に、「ETV2000 徳田球一とその時代」という番組の再放送があった。ちょっと感想だけ書いておきたい。 https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20150214-31-05451 これは題名にある通り、15年前に放映されたものの(二週分)の再放送である。放送の時は、私は見ていない。 ナレーションは昨年亡くなった俳優の蟹江敬三だった。 特に印象深かったのは、徳田の生い立ちについてである。 私は、なぜか彼を奄美の方の出身と思い込んでいたのだが、沖縄島の名護の出身とのことだった。両親はいずれも、父親が鹿児島の人で母親が名護の人という家庭に生まれ育った人達で、その子として生まれた球一も、二つの土地の間にはさまれるような、苦しい経験をして育ったということが語られていた(なお、球一という名前には、「琉球一

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  • 『ガザ・希望のメッセージ』から - Arisanのノート

    以下は、2月1日に、大阪で朗読劇『ガザ・希望のメッセージ』を見た感想を、フェイスブックに書いたもの。そのまま転載します。 最後に書いたことだが、政府がこの先どれほど強権を使って止めようとしても、こういう人達の流れは止まらないだろうと思う。いま中東で起きている問題は、根的には、われわれの社会の問題なのだから。 以前紹介した、朗読劇『ガザ・希望のメッセージ』、昼の部を観劇してきました。 http://readers-without-borders.org/ 僕が特に強い印象を受け、圧倒されるような思いになったのは、2003年に占領地でイスラエル軍のブルドーザーに轢かれて、23歳で亡くなったアメリカ人の平和活動家、レイチェル・コリーさんが母親にあてて書いたメールの朗読でした。 彼女は、占領地の状況がどういうものであるか、アメリカに居るときに知識としては知っていたが、実際に現地で暮らし始め、その

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  • 「南島」はなぜ欲望されるか - Arisanのノート

    柳田国男対談集 (ちくま学芸文庫) 作者: 宮田登出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1992/11/01メディア: 文庫この商品を含むブログ (2件) を見る この『柳田國男対談集』では、民族学(フォークロア)と民族学(エスノロジー)の違いや関係が何度か話題になるのだが、戦前の対談の中で、柳田が次のように定義しているのは、かなり明快だと思った。 自分の人種のことを調べるのがフォークロアで、他人種のことを調べるのがエスノロジーです。(中略)エスノロジーというと文化人類学とはちがうと言う人があるが、これは大体同じなんです。(p051) 「民俗学」の主張は、民族学や文化人類学といった西洋出自の学問の、主客分離的というか植民地主義的な体質(ニーチェなどが批判してきたもの)に対するアンチテーゼとしては、共感できるところがある。 フォークロアでは、どんなことでも知りたいのです。(中略)エスノロジー

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  • ウカマウの映画 - Arisanのノート

    アンデスの先住民たちの歴史と闘争の姿を描く、ボリビア・ウカマウ集団の映画の特集が、九条のシネ・ヌーヴォで開かれていた。なかなか行けなかったのだが、最終日になって、ようやく二だけ見ることが出来た。 http://www.jca.apc.org/gendai/ukamau/index.html 1977年のモノクロ作品、『ここから出て行け!』は、アンデス山中の先住民の村を舞台にして、外国の大企業の尖兵である宣教師を名乗る白人たちやボリビアの軍隊によって、土地が奪われ、家々が焼かれ、農民たちが村を追われ、殺されていく様子、それに対して団結を広げることによって戦っていく人々の姿が描かれる。 といっても、ドキュメンタリーではなく、先住民の人たち自身がそれを演じているのだ。この出来事自体が事実なのかどうか、僕には分からないが、もし事実だとすると、この人たちの多くは最近体験した出来事を自ら再現している

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