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ブックマーク / opemu.hatenadiary.org (3)

  • ニーメラーさんの皮肉 - opeblo

    鏡の中の石原慎太郎 - シートン俗物記 この詩において、「規制反対派」は自分たちを詩の中の“共産主義者”、つまり最初の被迫害者に擬えているようだ。つまり、「他人事だと思うなよ。自分たちだってそうなるぞ」と。 しかしだね。実際には、「規制反対派」は“私”、に擬えられる存在なんだわ。 もう既に石原慎太郎によって攻撃された人々はいるのだから。 ニーメラーさんの詩が持ち出される時、多くの場合は自分を最初に攻撃された「共産主義者」だと見なしているわけですが、詩に出てくる「ナチ党」の様な存在は攻撃が大好きな人達ですから、大抵は既に今までにも他者を攻撃してきています。石原都知事の例で言えば、彼の都政の教育・青少年施策に限定しても、養護学校における性教育や君が代を演奏しない教師等、攻撃の実例を挙げる事ができますし、限定しなければ更に多くの実例を挙げる事ができるでしょう。 その様に他者が攻撃されてきた中で、

    ニーメラーさんの皮肉 - opeblo
    mizukik
    mizukik 2010/12/24
  • 自己の責任ではどうしようもない事に対する自己責任 - opeblo

    今回のアフリカ関連の話題でもいくつか見かけましたが、社会的に不幸な境遇の人達に対して「社会や他人のせいにするな、努力しろ」という意見を時々見かけます。 その不幸な境遇が自ら招いた場合であれば、まだ理解の余地はあるのですが、家庭の事情やら病気やら、自分の責任ではどうしようもない事柄についてもその意見が主張される場合があって、それが僕にはどうも納得できません。不幸な境遇から抜け出すには、他人に期待するより自分が行動する方が確かに現実的なのでしょうが、でも社会や他人のせいにするなというのはおかしいのではないかと思います。社会や他人が悪ければ悪いと言えばいい。 前にも少し書いたことがありますが、僕の家は母子家庭で経済的に余裕がなかったので、行っていた公立高校では学費を免除してもらっていましたし、また、地元の公立大学に育英会の奨学金で行っていました。その様な当時の僕が今にいたとして、例えば、学費免除

    自己の責任ではどうしようもない事に対する自己責任 - opeblo
    mizukik
    mizukik 2010/02/15
  • 「甘え」を批判される不公平 - opeblo

    裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer 正直な話、大学にいけないのを親の収入のせいにするのはそれこそ甘えだろう。国公立大学には授業料減免制度もあるし、有利子でよければ日学生支援機構の第二種奨学金は最大で月額10万円あるわけで、学業に支障をきたさない程度のアルバイトで修学できる。奨学金の成績基準も普通に勉強していれば問題ない程度。 上の文章を読んで感じたことを。ちょっと苦労&貧乏自慢が入りますが…。 僕もid:odzさんと似た様な境遇で、姉と兄は大学進学を諦めていて、僕だけが大学に行かせて貰っており、奨学金で学費を払っていました。進学の際にも就職の際にも、片親の母からの有形無形の圧力がかかりまくり、結局は進学先は地元の学費が一番安いと思われる国公立大学、就職先も(親の面倒を見やすい)地方公務員を選択しました。 もちろん、その人生を選んだのは自分なので自己責任なわけで

    「甘え」を批判される不公平 - opeblo
    mizukik
    mizukik 2007/08/27
    なるほど、「身の程を知れ」だと自分が悪者っぽいし、悪い状況全てを相手の責任に出来ないから仕方無く「甘えるな」と言っているのか。甘えるな教の人は
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