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「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地
岩手県南東部の大船渡市。重要港湾を擁する港町は、高さ15メートルを超す津波にのまれ、一面がれきの街と化していた。中心街から北東に約14キロ。同じ海岸近くにもかかわらず、津波の難を逃れた集落があった。 「明治の大津波をきっかけに、集団で高い土地に移転したんだ」。大船渡消防署の元三陸分署長の木村正継さん(64)が教えてくれた。「高さ7メートルの防波堤も幅30メートルの松林もみんな流された。でも集落は無事だった」 アワビやホタテの養殖で知られる同市三陸町吉浜の集落は、1896年の明治三陸津波で住民の2割が津波にさらわれ、壊滅状態になった。復興に際し、「また必ず大津波が来る」と確信していた当時の村長らが、高台への集落移転を強く推進した。 「高所移転」が奏功して、1933年の昭和三陸津波では、死者・行方不明者は住民の1割にとどまった。国と岩手県も低利融資制度を設けて本腰を入れ、当時、海岸沿いに
報道特集 東京放送 大震災を生きぬく (2011/3/19 放送) 巨大地震に大津波、そして原発事故。今、日本はかつて経験したことのない最大級の危機の只中にある。そして私たちの国の歴史は、東日本大震災を境に「それ以前」と「それ以降」と分けて語られることになるかもしれない。 今回はスペシャルバージョンで○津波防災のモデル地区とも言われた町○広がる放射能への不安に必要な情報○津波から間一髪逃れた記者の記録から私たちが得られる教訓などを主なテーマに、総力取材で伝える。 Takeda, Tohoku Broadcasting reporter 東北放送 武田弘克 記者 Tsunami Approaching! ! What do journalist have? 迫る津波に記者はどう対処した? 多賀城 TAGAJYOU City 津波 TUNAMI
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