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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/Mukke (24)

  • 洋食屋パトラッシュ「ミートローフ作りました」→新風連事務局「犬食の証拠だ! 在日は出てけ!」 - Danas je lep dan.

    エントリタイトルは2ちゃんのパクリ*1。 なんかもお新風連の連中はわざとやってるとしか思えなくなってきたんだけど。 慰霊祭に参加した支持者が送ってくれた川崎市内の画像をご覧頂きたい。 レストランのメニューに「犬」の献立が記載されているのが分かるだろうか。 犬をするのは支那・朝鮮半島の文化だが、かの地に住む者らが何をそうとも日文化とは到底相容れない。 特に犬好きの人に聞いてもらいたいことだが、在日朝鮮・韓国人と共生するということは日国民が、こうした文化をも「許容しなければならない」ということである。http://s01.megalodon.jp/2009-0627-0955-22/blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51358212.html で,その画像ってのが, これなんだが。 ……どう見ても「パトラッシュという店が作ったミートローフ」で

    mobanama
    mobanama 2009/06/29
    "日本語がここまで苦手ってどういう愛国者w "げに。//"パトラッシュ有門"てこれかw
  • こんなのが同じ日本国民だと信じたくない - Danas je lep dan.

    先日「民族差別を許さない」という声明*1を出した「維新政党・新風」副代表の瀬戸弘幸が,自らのブログでひとりのブロガーを好意的に紹介している。 <活動報告>「行動する保守運動」緊急集会 - せと弘幸Blog『日よ何処へ』 そのブログが,濃厚な電波というか強烈なレイシズムに満ちていて吐き気がした。これが朝鮮顔です。特徴をよく覚えておきましょう。一見似ていますが、明らかに日民族とは違いますね。見分けが付かないという人もいると思いますが、じっくり眺めてみれば顔かたちだけでなく、全体の雰囲気や振る舞い、言動からもコリアンだと分かります。女性は家族連れで行動する事が多いですね。朝鮮学校の生徒はチョゴリや朝鮮ぽい制服なのでそのまんまですが。 以前、在日が、俺の顔見て在日やと分からんか? と話しているのを聞いた事があります。連中も違うって事は認識してるんです。私が初めて在日と会った時も、通名(平川)だ

    mobanama
    mobanama 2009/05/24
    "どう贔屓目で見ても,「維新政党・新風」はレイシズムを容認し,それを助長する政党"まあねえ、珍風だもんなあ。"健全な民主主義国家においては存在すべきではない集団である"気持ちは分るが。
  • 非嫡出子をめぐる新風連の主張がクズすぎる件 - Danas je lep dan.

    婚姻関係を結ばないで子供を産む行為は社会の根幹を揺るがす重大な問題である。日社会はこれらの子(私生児・非嫡子)を正規な婚姻関係の下で生まれ育っている子供と明確に区別(差別)し、正規の婚姻を結んで営む家庭を保護してきているのである。 原告の土橋博子らは「差別」撤廃と称して、婚姻という社会生活の根を形成する土台の破壊を意図している。お知らせ! 4・15東京地裁前の行動! - 新しい風を求めて 子供には何の罪もないだろ。 仮に,一億と二千万歩ぐらい譲って婚姻関係にない男女が子供をもうけることが「罪」なのだとしても,子供が親を選べない以上,子供にその罪が及ぶのは立派な差別だ。 「理想の家庭」像を持つのはけっこう*1。けれど,それにそぐわない罪なき子らをその生まれのゆえに差別して当然だなどと嘯く人間は,守るべきものを履き違えているとしか言いようがない。 ところで,コメント欄で私生児など過去の天皇

    mobanama
    mobanama 2009/04/16
    狭い「理想」にそぐわぬ"罪なき子らをその生まれのゆえに差別して当然だなどと嘯く人間は,守るべきものを履き違えている"。げに。珍風やそれに類した輩が愛国を語るのはパイプクラブやゼンショー同様の逆宣伝。
  • ぼくが歴史修正主義者だった頃 - Danas je lep dan.

    以下のエントリを読んで,猛烈に自分語りをしたくなった。 ちょっとした昔話 - 自由帳で数学とか物理とか ぼくは「気がついたら〜になっていた」という事の多い人間だ。気がついたらオタクになっていた。気がついたらユーゴに嵌っていた。そして気がついたら歴史修正主義者になっていた。 ぼくにとっての「始まり」は,『戦争論』だったと思う。無論クラウゼヴィッツの方ではなく今ぼくが批判している小林よしのりの方だ。井沢元彦あたりを読んで,中学に入るか入らないかの頃には改憲論者になっていた,という事は憶えているのだけれど,いつ小林を読んだのかはよく憶えていない。 高校三年の時。今は疎遠になったある友人から『嫌韓流』というが面白いと勧められた。ぼくはそれを近所の諸点で立ち読みし,すっかり感化された。ぼくはその友人からも疎ましがられるような立派な嫌韓派になり(ネットに触れる事でますます急進化していった),今まで「