会社の後輩にひとり、洋服のすきな男がいて、わたしが四年前に買ったダウンジャケットを、「くれくれ」とねだってくる。毎年、冬になるたびにねだられる。わたしの持っているダウンジャケットは、ノースフェイスというメーカーのわりといいやつで、五万円以上したものだ。そうかんたんに手放したくはないが、今年の冬もまたいわれた。「最近ノース着てないじゃないすかー。くださいよ」。ものすごいおしゃれ執念である。わたしはついに根負けした。 この数年のあいだに、わたしの服装にもいろいろな変化があった。自分にはダウンジャケットやスニーカー、ジーンズといったアウトドア系のファッションが似あわないという事実を再確認し、服装の方向性を変えたのだ。わたしはほんとうに、ジーンズ姿がださい男になってしまった。だから正直、ノースのダウンも年に一度か二度、ほんとうに寒いときに着るだけになった。わたしがダウンジャケットを着ると、雪かきを
わたしはほんとうにSFに疎くて、読んだことのあるのはディックと、SFに含めていいのであればヴォネガットくらいなのですが、この本は光文社から新訳がでているのを知り、ようやく読むことができた。宇宙人が地球にやってきた! UFOで。でも、なぜかUFOは空に浮かんだまま、ずーっと降りてこない。その目的は…? という話。さすが名作と呼ばれるだけあって、おもしろかったです。 この小説は、アニメの『エヴァンゲリオン』にでてくる「人類補完計画」の由来になっていると、なにかで聞いたことがある。エヴァンゲリオンを見たことのない方に説明すると、劇中に、人類補完計画というものの存在が示唆されていて、その計画が実行されると、人類はみな、個々の区別とか、自我の境界線などがなくなって、みんなでひとつの生きもの、ひとつの共通した意識へと統合されるという。文章ではわかりにくいけど、そういう計画が準備されるわけですね(定義は
私はマクドナルドを食べたことがない。音羽から竹橋へと向かういつもの帰り道、目白通りをゆっくりと走る車の窓から、赤地に黄色で大書きされたMの文字を眺めては、あれはいったいどんな食べものなんだろうと考えを巡らせる。ガラス越しに見える店内には、座りごこちのわるそうな椅子や、いくぶん安定性に欠けたテーブルがあって、たくさんの子どもたちがハンバーガーを食べたり、おまけについてきたプラスチックのおもちゃで遊んだりしている。そんなようすを見ていると、なんだか自分だけが取り残されたような気持ちになってしまう。私にはまだ知らないことがたくさんあるのだ。 私に会った人はみな、ずいぶんしっかりした話し方をする子なんですね、という。それがなんだかちょっと癪にさわる。もっとばかみたいな口調で話すとでもおもっていたのかしら。自分でこんなことをいうのもおかしな話だけれど、私ほど「自分は何者であるか」について考え抜いてき
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