「評価できない」を「安全とは言えない」という意味で言っているとすれば、「安全ではない」と言うべきだ。しかし、安全ではないという判断にもまた、大きな不確実性があり、従来の意味での「科学的」とは言えないということに気付いてほしい。「安全ではない」という発言は科学的であり、「安全である」という発言は非科学的と考えているような節が見えるが、それは違う。 科学者は「評価できない」と言ってこの判断から抜けるとしても、誰かがこの重要な意思決定のルールを作らねばならない。このことが重要ならば、科学者がこういう問題に答えるための科学を作るべきではなかろうか。科学者に求められているのが従来の「科学的」という枠を超えたものになっているのである。できるだけ事実で裏打ちされたものでなければならないが、それだけで構築されるのではなく、多くの推定を含み、不確実性の高い領域に踏み込まざるを得ない。その結論は思想や好みに影
![『中西準子教授「食の安全を考える―安全の費用と便益」』](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fe3bde6fee4902e835751765d757ab7fbd31d966/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstat.ameba.jp%2Fuser_images%2F20090316%2F12%2Ffuyugare%2F90%2Fb0%2Fj%2Fo0512038410153033501.jpg)