ブックマーク / kuzan.hatenadiary.jp (24)

  • 明治の筆順 - くうざん、本を見る

    何のかというと、

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    mojiura
    mojiura 2009/10/21
    明治初期の筆順辞典。ちょっと驚いたのが、明朝体だったこと。
  • 天気予報のことば - くうざん、本を見る

    「あめ、降り始めるでしょう」というような言い方を、民放ラジオで気象予報士がしているのを聞いた。 言語生活400号(1985.4)の「読者と編集部」欄に、見坊豪紀氏が投書している。 今から十年前、岩淵悦太郎氏(故人)は、NHKの天気予報は、「天気回復します」「天気下り坂です」などと言って、けっして助詞を付けないのはおかしい、と述べています。(「毎日新聞」75年3月11日夕刊2) 「けっして」ではなくなっているが、35年ほどたっても、引き継いでいるわけである。

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    mojiura
    mojiura 2009/10/01
    NHK の天気予報で助詞を省略する件。単にアナウンサー(気象予報士?)の国語力の問題と思ったけど、どちらかというと「伝統」とか「文化」に近いのかもしれない。
  • 右横書きのツメ括弧 - くうざん、本を見る

    昭和13.4.30の大阪朝日新聞

    右横書きのツメ括弧 - くうざん、本を見る
    mojiura
    mojiura 2009/04/27
    おそらくこの当時は、物理的な「活字」の制限を多く受けていたと思われるので、いろいろと前置きが必要なのだと思うけど、それを全部割り引いても、素敵な用例です。
  • 大学略記について - くうざん、本を見る

    どこかに連れて行ってくれと言う子供と一緒に、古市場へ。 愉快な日語講座 作者: 添田建治郎出版社/メーカー: 小学館発売日: 2005/06メディア: 単行 クリック: 318回この商品を含むブログ (3件) を見るというのを見つけて購入。525円 そのなかに、 山口大学は「口大」なの? という項目があった。著者は山口大学教授。 http://kotobakai.seesaa.net/article/8173720.html この話題。 「文部省文書処理規程(昭和43年訓令1号別表1)」に従っている、ということでした。 これらの名称は、「略称ではなく人事関係文書記号である。」「学外からの文書を受け付けた時、学外へ文書を発出する時、学内の部局間のみで文書を発出したり授受したりする時などに、文書記号番号の一部(先頭に記載)として用いている。」とのことであった。当然、各大学独自の判断で名乗

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    mojiura
    mojiura 2009/03/06
    大学の略称が「文部省文書処理規程」で決められている件。山口大学が「口大」、東北大学が「北大」、北海道大学が「海大」、福井大学が「井大」らしい。実生活では別の略称が普及してたりするらしい。
  • ぼん - くうざん、本を見る

    の海へ 豊饒の江戸文化 (角川選書) 作者: 中野三敏出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版発売日: 2009/02/10メディア: 単行 クリック: 7回この商品を含むブログ (13件) を見るを眺める。 近刊予告を見た時は、彷書月刊のを纏めるのだろうな、と思ったのですが、 http://bokyakusanjin.seesaa.net/article/114207469.html で、ご紹介されているように、和という豊饒の海へ漕ぎ出したくなるとなっています。 さて、 大・中・小・横 これらに、「ぼん」という振り仮名がついているのが気になりました。中野先生は「おおほん・ちゅうほん・こほん・よこほん」と言っていらしたような記憶があります*1。 半紙・美濃などはボンでいいのですが。 全部ボンで統一されているかと思ったら、「折」だけ「おりほん」でした。 『江

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    mojiura
    mojiura 2009/02/18
    濁点の統一は難しそう(半濁点も?)。
  • オリジナルか - くうざん、本を見る

    「左横書きとする」とした「公用文の書き方」は縦書きだった。

    オリジナルか - くうざん、本を見る
    mojiura
    mojiura 2009/02/05
    「左横書き」を定めた文書のオリジナルらしきが縦書きだった件。
  • お預りの源流? - くうざん、本を見る

    1987年の「預」 この頃、既に「ちょうどのお預り」があったと思う。 http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20060802/1154533964

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    mojiura
    mojiura 2009/01/27
    古いレシート。こういうのも「資料」として貴重なのだと心改める。
  • 漢字の軌範は教育産業がリードする - くうざん、本を見る

    『小学学習漢字の正しい書き方』旺文社発行のもの。(c)1977とある。 「美しい書き方」ではなく、「正しい書き方」のである。 文部省は今年(昭和五十二年)七月、小・中学校の新しい学習指導要領を告示しました。学習指導要領というのは、みなさんが勉強するそれぞれの学校において、先生がたが、実際の授業で何を、どのように教えたらよいかを考えるさいに、その手引き、または基準となるものです。 この新しい学習指導要領において、今回、初めて、小学校で習う漢字(教育漢字=九九六字)についての統一された字体といってよい「標準字体」が決められました。これは、現在みなさんが使っているいろいろな教科書の字体(教科書体と呼ばれています)が、同じ教科書体でありながら、教科書をつくっている会社によって微妙にちがっているため、そのことから起こってくるみなさんの疑問や混乱をなくそうとの考えから決められたものです。 とある。

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  • かつてこんな本があった - くうざん、本を見る

    ワープロとつきあう法 (ゴマセレクト 52) 作者: 渡辺茂,秋山穰出版社/メーカー: ごま書房発売日: 2000メディア: 新書この商品を含むブログ (1件) を見る 「実物大キーボードはカバーの裏についています」 ピアノの紙鍵盤は聞いたことがありましたが。 モデルは、東芝のTOSWORD JW-7だそうです。 昭和58年の

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    mojiura
    mojiura 2008/09/17
    自分で方眼紙に書き写して、シャドウタイピングしてました(当時小学五年生だったと思う)。なんというか、いい具合に馬鹿だったなあ。
  • 書籍画像リーダーが欲しい - くうざん、本を見る

    http://www.jepa.or.jp/news/keyperson.php?id=133 ここを読んで思い出したのだけれど、たしか、以前、どこかに、書籍を画像化したものをうまく読ませくれるようなものが欲しい、と書いた気がするのだが、見当たらない。 現状では、縦書きの書籍などは、各行の上半分しか見えず、毎行毎行ページを上下させて読んで行くしかない。それをソフトの方でなんとかしてくれないかと思うわけだ。 OCRソフトのレイアウト処理のように、行をみつけて、それを折り返してくれればよいのだ。 こ テ ん キ な ス 風 ト に で 書 は い な て く あ て る 画 も 像 の の を 話 読 で み す た 。 い 無 と 理 思 な う 話 の で で し あ ょ り う ま か す 。 。 うこ 話テ のん でキ でな しス あ風 ょト りに うで ま書 かは すい 。な 。て

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    mojiura
    mojiura 2008/04/10
    なるほど→「という具合に再配置して欲しいわけです。画像で。」
  • 万愚節 - くうざん、本を見る

    国語大辞典は第二版でも「April foolの訳語」としているようだが、これは、All fool's dayの訳語とすべきでしょう。 「万聖節」All saint's day の対。 『明治のことば辞典』東京堂isbn:4490102208、明治44年の『模範英和辞典』を載せるが、実際の用例として、徳川夢声の句、 万愚節などおろかしき芽独活かな 夢声戦争日記4(昭和十九年四月) を挙げておく。季語になっているので、歳時記の詳しいのを見れば、もっと用例は拾えるだろう。 新村出『童心録』(著作集12)によれば、 四月一日の午前、親知の間柄で軽妙また巧妙な手をつかつて人の虚をついて戯れる所の冗談をエプリルフールといふ。四月馬鹿と訳し、又その日をオールフールズデイ、万愚節とも名づける。西洋人が無邪気に陽春の半日を楽しむ四一愚人日の習慣も明治大正の交から日にも入り来り、一部の新文化人をふざけさ

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    mojiura
    mojiura 2008/04/03
    エイプリル・フールの雑学。というか、かなり本格的な知識。
  • 「不足」 - くうざん、本を見る

    「不足」という言葉から、「不平」「不満」という意味が薄れていったことは、「役不足」の意味変化の話の際、あまり出て来ませんね。 「不足を言う」などの「不足」です。 新野直哉氏*1の、 「正用(1)」「役に対する不平不満」 から 「正用(2)」「人に対して役の方が不足していること」 への変化の方に関わることではありますが*2。 「正用(1)」「役に対しての不足(不満)」 「誤用」 「役に対して不足(たりない)……力量などが」 というのが寧ろ似ていて、 「正用(2)」「役が不足」 のほうが仲間はずれに見えるのが面白い。 なお、現在、「不足を言う」という言い方をしないわけではないようですが、「○○不足を言う」で、「○○に対する不平を言う」という意味になることはなさそうな気がします。 *1:http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=1750260380 *2

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    mojiura
    mojiura 2008/03/31
    「役不足」に対する見事な解説!
  • 漱石造語伝説 - くうざん、本を見る

    http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20070106/1168086774 の関連話題。 山崎楽堂「月並概論」(『続俳句講座3特殊研究篇』昭和9年*1)に。 特殊な俳壇語が世間へ流布して、やがて平常の社會語となつたのには、最初にそれを世間へ送り出した人が無くてはならない。その人は漱石、その語を弘めた作は『』である。が、漱石自身は決して月並の特殊語義を誤用してはゐない、誤用してゐないばかりか、作中にその意を説明までしてゐるのである。 けれども、受取る世間の方で誤解したことには、『』を『ホト丶ギス』へ載せた虚子翁すら、「此の月並といふ貶しめた意味を含んだ言葉を、單に陳腐とか常套とかいふ、月並其者の語源に近い意味に解釋したのは漱石の書いた「」が一番始めで、云々」(大正六年九月號ホト丶ギス所載)と述べた如く、それは漱石に取つて正に冤であるが、「其邊から、世間の人々は、珍

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    mojiura
    mojiura 2008/02/27
    「月並」の誤用の話と、その誤用を広めたのが漱石だというのが誤解、という話と。
  • 悠揚 - くうざん、本を見る

    たまたま、報道ステーションで、「悠揚を迫らない」(あるいは「悠揚を迫らぬ」)という字幕を見た。発言者(静岡県知事だったか)は、「悠揚迫らない」(あるいは「悠揚迫らぬ」)と言っているようだったが。 さて、この「悠揚迫らぬ」ということば、結構面白い。「悠揚にして迫らぬ」「悠揚として迫らぬ」ということだろうと思うのだが、「悠揚不迫」という句は漢籍に見えないようだ*1。 日国語大辞典で「悠揚迫らず」は、芳賀矢一「国民性十論」*から用例をあげている。 「悠揚不迫」、矢野龍渓「安田善治郎伝」*にあるのは見つけた。asin:4122006562 見出しが「悠揚不迫」で、文は「悠揚迫らざる」。 漢籍に見えない漢語といえば 先日書いた、日のための漢字辞典に、林大監修『現代漢語例解辞典』小学館、1992年isbn:4095010916いた。JIS漢字の第二水準まで、幽霊漢字といわれるものも収録したのが特

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    mojiura
    mojiura 2007/10/16
    悠揚(ゆうよう)。悠揚(にして/として)迫らぬ。
  • 印度の首振り問題 - くうざん、本を見る

    http://hiroark.blog.bai.ne.jp/?eid=105971 これを読んだ後、このような話をどこで読んだのだったかと気になっていたのだけれども、棚をあさっていて、たまたま、 ボディランゲージを読む―身ぶり空間の文化 (平凡社ライブラリー) 作者: 野村雅一,竹内実,岩田慶治出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1994/07メディア: 新書 クリック: 5回この商品を含むブログ (2件) を見るが出て来て*1、開いてみたら「肯定・否定」という章があり、インドの首振り問題も書いてあった。 ただ、私が覚えていたのは、どうやら、インドのことではなく、ブルガリアのことのようだ。ヤコブソンの ロマーン・ヤーコブソン選集 2 言語と言語科学 作者: ロマーン・ヤーコブソン,服部四郎,早田輝洋,長嶋善郎,米重文樹出版社/メーカー: 大修館書店発売日: 1978/04/01メディア:

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    mojiura
    mojiura 2007/09/28
    「首振り問題」。
  • 辞書にない言葉「あきいろ」 - くうざん、本を見る

    「あ」で始まる言葉は、日国語大辞典が誰でも引ける。 http://try.nikkoku.japanknowledge.com/ 「あきいろ」はないんです。 歌謡曲には使われますね。松田聖子の曲名(三浦徳子作詞)が有名ですが。 http://www.uta-net.com/user/index_search/search2.html?ss=3&rc=10&ct=9&pg=0&kw=%8FH%90F&md=Kashi 上の検索では引っ掛かりませんが、グレープに「かなしいうた」というのがあります。これの「あきいろ」は、臨時一語っぽい。「秋の日はあきいろで」という形で、「あめいろ」「かぜいろ」「はるいろ」などと供に出て来るので。 歌謡曲のみならず、和歌でも使われているらしいのです。 二十一代集*にはないけれど、国歌大観のCD-ROMで引いてみてください。 和歌で使われているこれは、おそらく漢語

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    mojiura
    mojiura 2007/09/14
    辞書になんでも載っているわけではない、という話。
  • 明治のおふざけ題名本 - くうざん、本を見る

    これ、けっこう有名と思ってたけれど、ググっても言及は見当たらない。 ドーデモ英和字彙(近代デジタルライブラリー) 明治18年。*1 真正の英和字彙の大に流行するを見、こいつ出版せば一山儲からんと思ひ付き編輯せるものなり その実は、ローマ字書にした日語の面白語解、という感じ。團團珍聞・驥尾團子系の。普通の辞典では見かけない面白そうな語も見えるが、臨時的なものかが分からないのが残念。「そんなん、どーでもえーわ」といわれそうだが。 巻末広告もふざけている。「牽強府会傍聴筆記」とか。 ついで 横書きの踊り字が「く」となっている。 http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40078335&VOL_NUM=00000&KOMA=5&ITYPE=0 追記 コメントで、googleでヒットするとお教えいただきまして、私のヒットしないというのは私の勘違

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    mojiura
    mojiura 2007/08/27
    横書きの踊り字が「く」になっている件。
  • くうざん本を見る - 本棚から 手紙作法

    千早正寛『活きて働く 商業書簡文』佐藤出版部 大正五(webcat)を開いてみたら結構面白い。「禮法上から見た注意事項」など。 切れ字とは人名だとか地名だとか又は熟語と云ったような離れ難いものを、何等遠慮もなく一の行尾と次の行頭との二つに分って記すことで、こは書簡として最も厭ふべき事実なのだ。とか、(イ)字体 第一に注意すべきは字体だが、如何に誤読を避ける必要があるからとて、一字一画をも忽にしない楷書などで認めてをったのでは、この忙しい商戦場裡にあって、到底勝利を占めることは出来ない。夫故に先ず行書体を其原則とし、夫に分かり易き草書体を交へる位の処で認めて行けばよいのだ。 (ロ)文字 略 (ハ)仮名 仮名は官公文書以外にあっては平仮名を用ゆべきだ。 (ニ)墨色 略 (ホ)墨つぎ 略といったところ。『殿』といふ字は、現今は非常に厳格な敬語として用ひられ、其結果公用文書抔はこの字に限られている

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    mojiura
    mojiura 2005/10/06
    こういう作法が現在の組版の基盤になっているはずだけど、少しずつ失われていくのが寂しい。
  • ■ - くうざん、本を見る

    糸居重里監修『言いまつがい』新潮文庫ISBN:4101183139のは隔掻痒の感。「あなたどこの人?」と問いかけたいし、発話者の当時の年齡だけでなく、何時の時点での発話なのかを知りたく思うことがある。 例えば、ルパン三世の冒頭の一声*1を「ルパン、ださー」と聞いたのは(p177)、何時のことなのか。「ださい」という言葉の流行時期とからめて気になる*2。 *1:伊集加代子さんでしたっけ*。 *2:Yeemar氏「「ダサい」はいつから」*、ことば会議室「「ださい」について」*を御参照ください。

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    mojiura
    mojiura 2005/09/28
    (「言いまつがい」はちらっと見ただけですが)強く賛成。「調べたい欲」がむずむず。
  • 散発○○安打 - くうざん、本を見る

    完封した場合、よく「散発○○安打」という。しかし、ヒットは沢山打たれたけれど無失点と言うケースがある。理論上、無失点で最大、何安打まで打たれることが出来るのだろうか、と考えたことがあった。 要は、1イニングでのことを考えてそれを9倍すればよい。単純に考えれば、3つの塁を埋めるまで、つまりヒットが三出るけれどあとの三人は凡退、というケース。これを毎回繰返せば、散発27安打。全然「散発」ではないが。 しかし、もうちょっと考えるともっと多くなる。一イニング5ヒットが出ても点が入らないと言うケースである。ヒット2でランナー一塁二塁、ここでヒット、二塁ランナー、塁を突くがタッチアウト。次のバッターもヒットでやはり二塁ランナーが塁で憤死。次のバッターもそう。これで1イニング5安打で無得点ということになる。これを毎回繰返すようでは、三塁ベースコーチは失格だが、理論上のことであり、それに目をつぶ

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    mojiura
    mojiura 2005/09/15
    こういった追求は文化発展のために必要だと思う。