私が「死にたい」と言うとき、私は死にたいわけではない。 心臓の運動を止め、全身への血液と酸素の供給を停止させたいわけではない。 ただ、今感じているつらい気持ちを捨ててしまいたいだけだ。 だから、「死にたい」という願望は、本当は不適当なのだ。 ではなぜ「死にたい」などと口にするのかというと、死にたいほどつらい気持ちのとき、自分が本当は何を望んでいるのかを正確に捉えて言葉に表す余裕がないからだ。 本当は、楽になりたい、今のつらい気持ちを捨ててしまいたい、もっと細かく見ていけば、将来への不安、焦燥、日々の生活に対する不満足、直近の自身の言動に対する反省、など色々あるが、それらに対する個別の解決策を考えるほどの精神的・体力的余裕がないため、とりあえず「死にたい」でひとまとめに感情を吐露するのだ。 つまり、私のいう「死にたい」とは、漠然とした無への希求なのだ。 ……などと自己分析してみても、いざ「死
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