「真打ち」がいない上方落語、若手の実力認定の取り組み…桂三枝会長時代には模索したが実現せず(読売新聞) わからないニュースである。 上方落語界が、東京の真打制度を日ごろからうらやましく眺めていることは理解している。 真打は明確な区切りであって、披露目をしてもらえる。パーティを開く人も多い。 どんな噺家であっても、生涯において一度は輝くことができるのだ。応援しているお客のためのものでもある。 その後出番がほとんどないことが、昇進時においてすでに明らかな人もいるわけだけども。そんな人でも披露目をしてもらえる。 真打制度のない上方落語界では、代わりのイベントが求められる。それが襲名披露。 もっとも名前がないと襲名だってできない。噺家が増える一方であれば、名前もそうそうないのだけど。まさか「改名披露」なんてみっともなくてできないし。 そんなわけで真打に対する上方落語界の渇望はわかる。 そして事実上