*文学に関するmori-tahyoueのブックマーク (1,237)

  • 「…根岸の里のわび住まい」というフレーズの出典・いわれが知りたい。 | レファレンス協同データベース

    1 『荷風の誤植』p25-26「根岸の里」と題する文章のなかで、「都新聞」に連載された初代柳家小せんの「失明するまでに」の中に、小せん宅の運座の席で(八代目)入船亭扇橋が「梅が香や根岸の里の侘住居」と詠んだ句以来のものであることが書かれている。千葉県図所蔵の「都新聞 復刻版」を確認依頼したところ、大正4年11月23日・24日に該当記事があることがわかった。 2 落語関係 「茶の湯」(『古典落語 続』講談社学術文庫 所収)p246に「根岸の別荘が」とあり、またこの「茶の湯」の原話である「茶菓子」(『化政期落語集 近世笑話集 下』所収)p125に「根岸の隠居所」とあり。質問の件の出典ではないが、古くから根岸の里の様子をうかがわせる話はあったようだ。 3 俳句関係 〈入船亭扇橋〉〈梅が香〉をキーワードに当館所蔵の俳句関係資料にあたるが見つからなかった。 『日国語大辞典 第2版』『成語林』『ち

    「…根岸の里のわび住まい」というフレーズの出典・いわれが知りたい。 | レファレンス協同データベース
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2025/08/12
    「「都新聞」に連載された初代柳家小せんの「失明するまでに」の中に、小せん宅の運座の席で(八代目)入船亭扇橋が「梅が香や根岸の里の侘住居」と詠んだ句以来のもの」
  • 新装版 関口・初等ドイツ語講座 上巻|三修社

    この講座は横丁のひっそりした老舗です。主人が少し封建的で気がむつかしいのが欠点といえば欠点ですが、そうかといって別に無愛想な顔をした覚えはありません。 同じような例題を幾つも幾つもやらせて、まるでピアノの授業のように、指が軽く動くようにならなければ次へは進ませない。「単調だ!」なんて不平をいったら「馬鹿野郎!」と言ってどなりつける。バレーの練習もこういう風でしょう。算盤の練習もこの通りでしょう。タイプライターだって同じことです。習字もそうです。水泳も、野球も、ボクシングも、スポーツはすべてそうでしょう。ただ、これらはすべて肉体の筋肉と神経を訓練する。語学は(ことに書物の上でやる時には)頭の中の筋肉、大脳の筋肉を訓練する。この点だけの相違です。 大脳の筋肉というやつは、いったいどういう風にして訓練するか? それは「考えつつ習熟し、習熟しつつ考える」の一言に尽きます。 これをドイツ語の場合にあ

    新装版 関口・初等ドイツ語講座 上巻|三修社
  • https://x.com/sanjou_keihan/status/1952343755849429234

    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2025/08/06
    「関口存男のドイツ語勉強法を思い出すのだよぬ。関口存男のエピソードと文章はとても面白く、ぜひ色んなひとに読んでもらいたい」
  • 廬山をゆく4 〜マッカーサーと戦った男に起こった苦悩と悲劇〜|福岡人、中国の街道をゆく

    《廬山をゆく》の最終回は、1959年に廬山で開催された会議について紹介します。 後に《廬山会議》と呼ばれるこの会議は、毛沢東と中華人民共和国にとって、ひとつの分岐点となった会議でした。もしも歴史に「もしも…」があるのなら、そんなことを考えされられる出来事なのです。 1.毛沢東と大躍進運動前回の記事では、1937年に廬山にいた蒋介石が追い詰められ、いよいよ日に対して徹底抗戦を宣言するまでを紹介しました。 その蒋介石と、中国の覇権をかけて争っていたのが、中国共産党の毛沢東でした。 1945年に日中戦争が終結すると、国民党と共産党の間では再び武力衝突が始まります。 この国共内戦に勝利したのは、共産党の毛沢東でした。 1949年、蒋介石は中央政府機構を台湾に移転し、毛沢東は大陸で中華人民共和国の成立を宣言します。 今につながる台湾海峡を挟んだ対立の形が、この時から始まることになります。 しかし、

    廬山をゆく4 〜マッカーサーと戦った男に起こった苦悩と悲劇〜|福岡人、中国の街道をゆく
  • 廬山をゆく1 〜自分がその中にいると、廬山の本当の姿は分からない〜|福岡人、中国の街道をゆく

    はじめに ”廬山昇龍覇!!!!!!!!” やはり、日で「廬山(ろざん)」といえば、この技ですね笑。 これは廬山で修行した青銅聖闘士・紫龍が、瀑布を逆流させたことにより体得した技です。 小さい頃、何度この技名を叫びながら拳を突き上げたか分かりません。 なので、その年代を中心に、廬山という名前は日でもよく知られており、「瀑布」、「修行」というイメージまで定着しています。 しかし、改めて廬山に行こうと思ったら、意外と廬山についてあまりよく知らないことに気づきました。 古くから霊山として人々を魅了してきた廬山。 李白や蘇軾といった多くの文人墨客も訪れた廬山。 また、近代では、重要な歴史の舞台ともなった廬山。 今回のシリーズでは、私自身が廬山を訪問した記録を元に、廬山の紹介や、それにまつわることについて好き勝手語らせていただこうと思います。 ※2021年10月に訪問した記録です。訪問する際は最新

    廬山をゆく1 〜自分がその中にいると、廬山の本当の姿は分からない〜|福岡人、中国の街道をゆく
  • 0360 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ 集英社 1993 Milan Kundera Nesnesiteln Lehkost Byti 1984 [訳]千野栄一 ミラン・クンデラは、ぼくがこの10年間で最も"尊敬"することになった作家である。もっとも、この10年間というのはぼくの勝手な読間時期であって、クンデラ自身は1960年代にはすでに活躍していた。 その理由はいろいろあるのだが、最初に『冗談』を読んだときは何かがピンときていたものの、惹かれる理由がいまひとつはっきりしなかった。たとえばボルヘスやカルヴィーノを読んだときの"急激な尊敬"とはまったく違っていた。 念のために言うと、チェコの作家であること、共産党に入党し除名をされたこと、その後「プラハの春」で指導的な役割をしたことなどは、この作家の作品行為に対する"尊敬"には関係しない。プラハの芸術大学の映画科を卒業し、その後は同大学の世

    0360 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2025/07/24
    ミランクンデラ『存在の耐えられない軽さ』集英社1993
  • 花押(サイン)の種類と作り方

    花押(かおう)は平安時代から鎌倉時代に使われたものですが、今見てもとても美しいサインです。同じようなものを作ることはすぐには難しいですが、美しいと思った花押の良いところを取り入れて、自分だけの花押、サインを作るのも面白いですね。 花押とは 花押は書判(かきはん)のことです。印判に対していうので、押字(おうじ)ともいわれています。昔の文書によく見られますが、名前の字を草書体にくずしてサイン(自署)するものが多かったようです。そのころの文書は、たいてい秘書や祐筆という役目の人が書き、それにサインをしたのが花押です。 花押といえば、武家の専売特許のように思われますが、そうではありません。武将が勢力を得るにつれて広がったのは事実です。 花押は文字にとらわれず、好みによって花葉や鳥獣や器物などなんでもとりあげて作られました。花押といえば、文字の示す通り、花やかなものにするので、そうした気持ちがよく表

    花押(サイン)の種類と作り方
  • https://x.com/ZENRIN_official/status/1941030519703269523

  • 第二章 人文学及び社会科学の学問的特性:文部科学省

    人文学及び社会科学の振興について、これまで学術全体の振興を図る中で様々な提言がなされ、また施策も講じられてきたが、それらは必ずしも人文学及び社会科学の学問的特性を十分考慮したものではなかった。このため、今後の振興施策を、より実効性のあるものとするためには、人文学及び社会科学の学問的特性を踏まえて施策を展開することが重要である。第二章では、対象、方法、成果、評価の観点から、人文学及び社会科学の学問的特性をとらえ、第四章における施策の方向性へとつなげていくための基礎としたい。 まず、対象、方法、成果、評価の各項目の説明に入る前に、総論的な留意事項をいくつか指摘しておきたい。 第一は、人文学と社会科学との連続性である。ここでは、第二節及び第三節で述べるように、人間の意図や思想を研究の対象とする人文学を、「他者」との「対話」を基盤として、「他者」を説明し、理解する学問としてとらえるとともに、社会科

    第二章 人文学及び社会科学の学問的特性:文部科学省
  • 地蔵系 JIZO-SYSTEM

    地蔵=ヘルメス 地蔵菩薩(クシティガルバKsitigarbha)は六道および五濁悪世を巡って衆生を救うという。地獄までも降りて衆生を救いに来るこの菩薩は、六道輪廻の、そして地獄の恐怖が人々に植え付けられるまでは、さほど知られた菩薩ではなかった。 子どもが死後行き、苦を受けると信じられた、冥土の三途(さんず)の川のほとりの河原を賽の河原という。子どもは石を積み塔を作ろうとするが、大鬼がきてこれをこわす。その繰り返し。「シシフォスの労働」を思わせるこの永遠(永劫回帰)の徒労から子どもを救うのが地蔵菩薩である。身代わり地蔵であり、子供姿で現れる地蔵は、ここでは子供の救い主(まるで聖ニコラウス=サンタクロース)として登場する。では、何故ことさらに地蔵なのか。 子供たちの積む石こそ、亡者の導べとなる石だった。疫病に苦しむ平安京を救うため京の外周(京への進入路)に配置された六地蔵は、やがて辻々を守る地

    地蔵系 JIZO-SYSTEM
  • ホームズに興味を持ったなら原作を読もう。入門書なんて買うな。代わりに教えるから。|綾波宗水

    前日譚 綾波宗水の回想はじめに 以下、筆者の独断と偏見が多々あります。 ある日、書店でのよく見る棚のコースをまわっていると、「100分de名著」の今月号として、シャーロック・ホームズの特集がなされていた。テレビを観ないので、こうして屋へ来ていなければ気づかなかっただろう。 ホームジアン(シャーロッキアン/ホームズマニア)を自認している僕は、比較的安価なその雑誌を、あやうく購入するところだった。 パラパラと目次や大まかな内容を覗いてみると、何と言うことだ、あまりにも初歩的だよワトソン君。 もちろん、あの番組の良いところは、いきなり読むにはハードルが高かったりする古典的な作品の魅力や作者の考えを、専門家と共に学べる点だ。なので、自然と初心者向けであるのは致し方ない。 だが、僕は初心者ではない。これだけは、ホームジアンの中でいかに知識量やグッズの量などが少なく、相対的に初心者よりであったとして

    ホームズに興味を持ったなら原作を読もう。入門書なんて買うな。代わりに教えるから。|綾波宗水
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2025/06/24
    「(最初の)「私立諮問コンサルタント探偵」」
  • 戦中の国定教科書で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一部を「一日ニ玄米三合ト」に変更して載せているものを... | レファレンス協同データベース

    戦中の国定教科書で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一部を「一日ニ玄米三合ト」に変更して載せているものを探している。 戦後の教科書で変更したという情報はあったが、 以下の情報によると、戦中の国定教科書に載っているはずだと思う。 1)井伏鱒二「黒い雨」 戦中の国定教科書に宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩の一部「一日ニ玄米四合ト・・」が当時の米の配給量と睨み合わして「玄米三合ト・・」と改訂されてし掲載された 2)「宮沢賢治研究資料集成」第18巻 第二次世界大戦中、「雨ニモマケズ」が教科書に採択されたときは、「一日ニ玄米四合ト」を「「一日ニ玄米三合ト」に改作 国定教科書に「雨ニモマケズ」の掲載はなし。 戦後・文部省著作教科書で、昭和22年版は「玄米三合」、昭和24年と25年には「玄米四合」に戻されたことは調査済みのため、戦中の国定教科書ではなく、戦後文部省著作教科書の間違いではないかと推測される。 また

    戦中の国定教科書で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一部を「一日ニ玄米三合ト」に変更して載せているものを... | レファレンス協同データベース
  • 孫子 勢篇(書き下し文)|孫子の兵法

    孫子曰く、およそ衆を治むること寡を治むるがごとくなるは、分数これなり。衆を闘わしむること寡を闘わしむるがごとくなるは、形名これなり。三軍の衆、必ず敵を受けて敗なからしむるべきは、奇正これなり。兵の加うるところ、碬をもって卵に投ずるがごとくなるは、虚実これなり。 およそ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ。ゆえに善く奇を出だす者は、窮まりなきこと天地のごとく、竭きざること江河のごとし。終わりてまた始まるは、日月これなり。死してまた生ずるは、四時これなり。声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴くべからざるなり。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざるなり。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗むべからざるなり。 戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからざるなり。奇正のあい生ずることは、循環の端なきがごとし。たれかよくこれを窮めんや。 激水の疾くして石を漂わすに至るは勢なり

    孫子 勢篇(書き下し文)|孫子の兵法
  • 怪しい広辞苑203「碓氷峠(うすいとうげ)」

    広辞苑第四版224ページ、広辞苑第六版249ページ「碓氷峠」の説明。標高の説明の後に突然「鳴くべ鳴かずの峠」とあってそれで終わりになってしまう。これでは説明不足ではないだろうか。あと十数文字は空いているのだから、適切なことばを添えてもう少し説明する方がよい。なぜなら「鳴くべ鳴かずの峠」は広辞苑第四版の見出し語にはなく、もう説明されることがないからだ。 「鳴くべ」は「鳴くべし」で、いくつかある助動詞「べし」の用法のうち推量の意味で「鳴くだろう」の意味になる北関東の方言の一つだ。碓氷峠は群馬県と長野県に地理的にまたがっているので、北関東の西の方までは「鳴くべ」を使い、東は信州あたりまでは「鳴かず」を使うということだろう。 つまり、碓氷峠が方言の境界線になっているという了解だ。「ほととぎす鳴くべ鳴かずの峠かな」という俳句からきたもののいいか、まずこうしたもののいいがあって、それが俳句に使われたの

    怪しい広辞苑203「碓氷峠(うすいとうげ)」
  • 荼枳尼天・仏教のお稲荷さん・性の女神。

  • https://itaka84.upper.jp/006-2/senb-178.htm

  • 花のお江戸の浮世風呂の川柳でございます - 江戸こぼれ話 笑左衛門残日録:楽天ブログ

    2020年12月05日 花のお江戸の浮世風呂の川柳でございます カテゴリ:江戸川柳、俳句、狂歌、端唄、 ​ ​​​  花のお江戸の浮世風呂の川柳でございます​​  ~​​江戸川柳より~​​​​ ​​大声も無(ない)女湯の やかましさ​​ 大声を出しているわけじゃあないが、女はよく喋るので女湯全体がなんとも騒がしいという意味。  ​​ 留桶を 遣い長屋で 憎まれる​​   湯屋では自分専用の留桶を預けておくことができた。貧乏暮らしの長屋の者だから、  一人留桶なんか使おうものなら、みんなから妬まれたそうですよ、  ​​ 抱いた児を ふたにして出る 柘榴口​​   若い嫁さんですな、柘榴口を出る際、子供を抱いていると前を隠すことが出来ない。   そこで子供を前にぶら下げて隠すという意味。 ​​風呂の屁は 背ぼねかぞへて のぼるなり​​   音は隠せても、ぶくぶくと泡は隠せませんよ、、 ​ ​江

    花のお江戸の浮世風呂の川柳でございます - 江戸こぼれ話 笑左衛門残日録:楽天ブログ
  • 『開帳の雪隠』

    こおりやま落語愛好会下っぱ世話役の落語うんちくページです。 退屈しのぎにお立ち寄り下さればこれ幸いです。 時事ネタですが、某国で男女の区別のないトイレを小学校で作ったら保護者が抗議したとか…。 まぁ、賛否は別にして、考えてみたら昔は男女トイレ兼用でしたね~。 それを言ったら銭湯も同じこと。 だから、「かの娘 来たので 湯屋 割れるよう」なんて川柳ができるんです。 落語の「開帳の雪隠」。 お寺のご開帳時の、有料トイレを利用する客の奪い合いを描いた落語。 最後は、相手側のトイレに居座って使えないようにするってオチになってます。 だから、男女の区別のないトイレを作られたら反対派は学校医押しかけて、便所を占領するってのも手なのかもしれませんね~。 手弁当持ちで。 すると、相手はひょっとしたら無条件でトイレを元にもどすかもしれません。 そうすると、今度は賛成派が押しかけて、男女別のトイレを占領するん

    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2025/06/01
    “かの娘 来たので 湯屋 割れるよう”
  • ゴッホより普通にラッセンが好き〜チームラボと「アート」について|akiko_saito

    ※5/30 19:20 修正しました ※6/1 12:00 英語版に永野の説明を入れました ※6/1 12:00 ラッセンは日でしか知られておらず、海外の方からは「誰??」になるため、同様に語られる「トーマス・キンケイド」のような存在であると英語版に追加しました。 先日、私が主宰したイベント「Components. Artist Talk Series #2: feat. Elliot Woods[Kimchi and Chips] & 藤実[MPLUSPLUS]」@KORG「STUDIO EXTREME TOKYO」でのこと。ゲスト・アーティストのエリオット・ウッズ[Kimchi and Chips]が、つい2週間前から世界のメディアアート(メディアアートとは何か?の説明については省くが、ゴッホとかピカソとかがやってる"アート/芸術"の流れにある、近現代から始まった一種類であると言う

    ゴッホより普通にラッセンが好き〜チームラボと「アート」について|akiko_saito
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2025/05/30
    「クリプトムネジア」で山本弘の秘密基地を思いだした。https://hirorin0015.hatenablog.com/entry/2015/03/08/164920←当時ブックマークしていなかった、のか。(2024/08に何かあったらしい)
  • それは僕が書いたんじゃありません - 山本弘の新SF秘密基地BLOG

    僕に関するデマが流れることは前から何度もあったんだけど、先月、またデマが流れた。 このブログを僕が匿名で書いたというのである。 王様は裸だ! と叫ぶ勇気 〜伊藤計劃『ハーモニー』の崩壊〜 読んでみて、なるほど、いかにも僕が書きそうな文章だなと思った(笑)。 この人などもそう考えているらしい。 『ハーモニー』『虐殺器官』を批判する匿名記事を読んでいて気づいたこと なんかいかにも推理っぽいことを書いてるけど、まったく見当はずれの迷推理。僕はこんなブログ書きません。 第一に、僕はそもそも『ハーモニー』も『虐殺器官』も読んでない。 なぜ読んでないかというと、僕は天邪鬼なもんで、まわりが「すごい」とか「傑作だ」と盛り上がってると、逆に読む気をなくすんである(笑)。ダン・シモンズの『ハイペリオン』を読んでないのもそう。評判になればなるほど読みたくなくなる。それよりも、あまり注目されないけど自分なりに面

    それは僕が書いたんじゃありません - 山本弘の新SF秘密基地BLOG
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2025/05/30
    “僕は自分が信じられないから。 人間は匿名になるとどんなおぞましい発言でも平気でやる。げんに今もネットにはそんな発言があふれている。僕は自分がそんな風に暴走しない自信がない。”