*中国と*文学に関するmori-tahyoueのブックマーク (80)

  • 教育について - ハックルベリーに会いに行く

    最近ぼくの中で大きなテーマとなっているのが「教育」である。というのもワタナベコメディスクールというお笑い芸人養成所で講師をしたり、NHKの『ようこそ先輩』で子供たちにの読み方を教え、それを『小説の読み方の教科書』というにして出したり、あるいは先日「出版甲子園」というイベントで、学生の出版企画を審査したりするなど、とにかく教育に携わる機会が多いからだ(ちなみに今日は、明治大学でドラッカーさんについての講義をする)。 そんな中で、乙武洋匡さんの教育に関するツイートをまとめたTogetterを見つけ、これを読んだところとても興味深かったので、それについてのぼくの意見を書こうと思った。橋下府知事@t_ishinの教育についてのツイをきっかけに乙武 洋匡さん@h_ototakeが「僕が教員時代に最も頭を悩ませた問題でもあった」とツイート - Togetter ちなみに乙武さんの連続ツイートは、そ

    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2011/12/07
    孔子は「苦中楽あり」なんて言っていません。言ったのは細木と不倫してた安岡だ。完全に釣られた。「文才ある」に同意。
  • 『漢字が日本語をほろぼす』を読んだにょ

    『漢字が日語をほろぼす』(田中克彦著、角川SSC新書)とかいうを読んだにょ。ま、漢字廃止論者というのは昔から一定数いて、日語はダメだから英語やフランス語を使おうという西洋かぶれ派から、ローマ字やかな文字だけで日語を書こうという立場までいろいろいるにょ。でも、ほとんどは文学者なり作家なりが個人の好き嫌いで言ってるようなのが多くて、あんまり耳を傾けるような主張は聞かれないにょ。ところがこの著者は言語学の専門家(専門はモンゴル語らしいけど)なので、ちゃんとした言語学の立場から、中国周辺の他の諸民族の言語との比較言語学なども含めて、納得できるような学問的内容から漢字の弊害が述べられてるのかと思って期待して読み始めたものだにょ。 ま、でも、期待は虚しかったにょ。最初に提示されてる問題は確かに納得が出来るものなのだけど、ページを進むにつれて述べられるのは著者の好き嫌いというか価値観からの主観的

  • 第63回日本中国学会@九州大学 10/8-10/9 未発見の歐陽脩書簡の発掘 - 天漢日乗

    今回の圧巻は 未発見の歐陽脩書簡集の発掘 だった。発表要旨。 3―7 歐陽脩の書簡九十六篇の発見について 東 英寿(九州大学) 今日に伝わる歐陽脩(一〇〇七~一〇七二)の作品には、『詩義』、『五代史記』(新五代史)、『太常因革礼』、『新唐書』、『崇文総目』等があり、これ以外の彼の詩文は全集『歐陽文忠公集』百五十三巻に収録されている。清代の歐陽衡が嘉慶二十四年(一八一九)に刊行した『歐陽文忠公全集』では、それまでの全集に含まれていなかった歐陽脩の散文七篇(唐順之『荊川稗編』に収められていた「末論」、「時世論」、「豳問」、「魯問」、「序問」の五篇、及び「與黄謂」、「與李吉州」)を見つけ出し、あわせて収録している。 南宋時代の慶元二年(一一九六)に、周必大によって歐陽脩の全集『歐陽文忠公集』百五十三巻が編纂されて以降、明・清時代から現代に至るまで全集は何度も刊行されているが、清代に歐陽衡が新

    第63回日本中国学会@九州大学 10/8-10/9 未発見の歐陽脩書簡の発掘 - 天漢日乗
  • http://kansi.info/sahou/tosyo1.html

  • 三皇五帝関連人物 - 蒼頡

    そうけつ 倉頡とも書き、まれに史皇とも呼ばれる。 その姿は四つの目を持つ人間で、『三才図会』等の図では、総髪で草木の葉で作った衣を着ている。 ・蒼頡作書 蒼頡は普通、黄帝の史(書記官)とされており、 黄帝の史官の蒼頡は鳥獣の爪跡や足跡がいろいろ違っているのを見て、それにならってはじめて文字を作った。 (後漢・許慎・編『説文解字』 叙) と言われる。 「蒼頡作書(蒼頡が書を作る)」という伝説は戦国時代末期(B.C.3世紀ごろ)には既に存在していたらしく、『韓非子』五蠹篇や『呂氏春秋』君主篇等の書物に蒼頡の文字創造に関する記述がある。 この伝説には面白い話が伝わっている。 そのかみ、蒼頡が文字を発明するに及んで、天は粟の雨を降らせ、鬼神は夜啼きした。 (前漢・劉安・編『淮南子』経訓) これだけ読むと瑞兆なのか凶兆なのかよくわからないが、文にはこの後に「智能がまさるにつれ

  • 蒼頡 - Wikipedia

    倉頡(『君臣図像』より) 蒼頡(そうけつ、 倉頡とも。拼音: Cāng Jié、紀元前4667年 - 紀元前4596年)は、漢字を発明したとされる古代中国の伝説上の人物。 人物[編集] 伝説によれば、蒼頡は黄帝に仕える史官であった。それまで中国の人々は、インカ帝国のキープのような縄の結び目(結縄)を記録に用いていたが、蒼頡は鳥や獣の足跡の形によって元の動物を推測できることから、文字によって概念を表現できることに気付いたという。 戦国時代には蒼頡の伝説は既に一般化していた。淮南子には「蒼頡が文字を作ったとき、天は粟を降らせ、鬼は夜に泣いた」と記されている。また説文解字は、「蒼頡ははじめに作った文字はみな象形文字であり、これを「文」と呼ぶ。その後に形声文字が作られ、これを「字」と呼ぶ」としている。 また肖像画では、蒼頡は目が四つある人物として描かれており、これは蒼頡の優れた観察力を表現したもの

    蒼頡 - Wikipedia
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

  • アジア人と英語で話す寂しさ

    10年ほど前学生の時、香港に旅行に行った。 現地人に間違われることも何回かあり、 こちらが広東語を解さないことを悟ると英語に切り替える。 北京語で筆談しようとして漢字を書いた紙を見せても英語で返される。 街中に溢れる英語はcentreとか-iseとかイギリス式だった。 ちょっと落胆した。 同じような顔をした東アジア人、同じ漢字の知識を持つ漢字圏の人たちと、 遠い西洋の国の言葉である英語で話すことの疎外感。 来日アジア人学生とは日語で話していたから気付かなかったけれども、 日に照準を当てていない外国人とは、いかに文化的人種的に近い東アジア人であろうとも、 英語がまずは標準語になるのだ。 最近東南アジアに行ったときも、やはり現地人との会話には英語を使うしかなかった。 現地の言葉を話そうにも、「サワディー」「カムオン」ぐらいしか分らないんだから。 英語は分るのに、同じような顔をした人達の基

    アジア人と英語で話す寂しさ
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2011/08/17
    英語が国際語であるために払っているコスト。中国は知らんけど、日本はまともに論議されたこともない気がする。
  • やる夫之書 : やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 「白話 赤眉伝」

    1 名前: ◆FVgnd.HyPc :2010/06/21(月) 23:36:07 ID:uiFaCLwg ,. -r‐ーt 、 ,.- ''´  ', ',_フl     ,. -rt-、 ,. ‐'"´i     .ゝ...,,_ノ  .イ.-''"  ', ',フl _,,..r‐‐''i´    `、  , -''´  .∠..._//   , -''ゝ.ノ r'''"  ノー┐| ,-r-、_‐'"´ ,. -'"´    〉〉、-''´  , ・´ ,ゝ‐''"´ヽ.ノ Y::;;ヽ, `'ーri^Y:;i'´`'''ー-'y'‐'ヽ-‐'´ヽ ゝ,=‐'''"´ヽ.._人::;;;:へ、.__l | .トュ|`''===(O=}  ∴ノ ヽ,  ,.≠`'ー-イ  ,.へ.._〉 L`''‐(O====.ィ_..-‐く `゙'´`''ーくヽヒ=-.く`'i'''´   /' 

  • 三国志の主要な計略 :三国志の武将・故事成語・計略を掲載 三国志〜英雄列伝〜

    坑は落とし穴の事で曹操は袁術を攻めたが兵糧不足になり方向を変えて宛城の張繍を征伐に向かう。その時に劉備(これが坑の事)に呂布の監視をさせ呂布が曹操の留守に拠地に攻め込んでくることを防いだ。 馬謖が街亭の守備に失敗して司馬懿が大軍で押し寄せてきた時に諸葛亮は西城に退却したが兵はわずかに2500人。かたや魏軍は15万人。そこで諸葛亮は城門を全開にして人民に扮した兵士に街道を清掃させ、自分は城の上部で楽しそうに香を焚き琴をひいた。司馬懿はそれを見て何か計略があると思い伏兵に驚かされつつ街亭まで戻った。 後日、諸葛亮の「空城の計」と解った時に天を仰いで「孔明(諸葛亮の字)にはかなわぬ」と言った。 ちなみにこれはすでに漢水付近の攻防戦の時に趙雲が単騎で曹操の大軍を迎えた例や張飛の長坂橋での仁王立ちも似たような戦略である。 魏の参謀である荀イクが考案した計略で劉備と呂布との仲を絶つ為に「二虎

  • 項楚『敦煌語言文学論集』・趙和平『敦煌書儀研究』(当代敦煌学者自選集)所収論文 - Cask Strength

    さきほど手元に届きました。『敦煌語言文学論集』には計28篇、『敦煌書儀研究』には計20篇の論文が収録されています。すでに目を通しているものも多いですが、重要な論考や札記がこのような形でまとめられると便利ですね。巻末に「論著目録」が付されているのも見逃せない。 所収論文を列挙しておきます。ご参考までに。 『敦煌語言文学論集』 敦煌文学雑考 《維摩砕金》探索 敦煌《燕子賦》札記 令章大師李稍雲 従印度走進中国――敦煌変文中的帝釈 敦煌変文字義析疑 変文字義零拾 敦煌変文語詞札記 敦煌変文語詞校釈 敦煌変文語詞校釈商兌 《伍子胥変文》補校 《大目乾連冥間救母変文》補校 敦煌句道興《捜神記》補校 敦煌《孝子伝》補校 《敦煌変文集》校記散録 敦煌変文新校 《廬山遠公話》新校 王梵志詩論 敦煌遺書中有関王梵志三条材料的校訂与解説 王梵志詩十一首弁偽 王梵志詩中的他人作品 《王梵志詩校輯》匡補 王

    項楚『敦煌語言文学論集』・趙和平『敦煌書儀研究』(当代敦煌学者自選集)所収論文 - Cask Strength
  • 2010年2月21日のブログ記事一覧-限りなき知の探訪

    以前、あるセミナーで『いまこそ陽明学が必要』と言う堀義人さんの意見に対して、私が次のような考えを持っていることを言ったことがある。(2010/01/22 ブログコメント) 『陽明学をうんぬんする以前に中国思想の全体の流れと、中国における儒教の位置づけ、それとそれら思想と現在中国でみられる諸問題(とりわけ、環境破壊、政治腐敗、農村問題、人権問題、少数民族)との関連を正確に理解しておく必要がある。』 この点について私の考えを述べよう まず、中国における儒教は別に孔子が教祖ではないと私は考えている。儒教というのは、その当時(紀元前六世紀)までに中国の伝統的考えを集約したものである。それは、論語(述而篇)にある『述而不作,信而好古,竊比於我老彭』(述べてつくらず、信じて古を好む。)という孔子の言葉にも表れている。つまり、孔子は、『自分は新説を出さない。我が中国の良き伝統を次世代に伝えるのが私の任務

    2010年2月21日のブログ記事一覧-限りなき知の探訪
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2011/07/28
    陽明学の、日本と中国での温度差
  • 沂風詠録:(第45回目)『吉川幸次郎と漱石の漢詩バトル』 - 限りなき知の探訪

    『近世畸人伝』(岩波文庫)というがある。江戸時代の文人、伴蒿蹊が当時のタンレントや市井の人々のゴシップを集めたものだ。その中に確か、池大雅とその、玉蘭のエピソードもあった。ある時、池大雅が大阪へ出かけるといって家を出た。ところが絵筆を置き忘れたので、玉蘭が後を追って手渡すと、池大雅は、『どこの方か存じませぬが、ありがとうございます』とお礼を言い、玉蘭も黙って返礼して分かれたという。洒脱というべきか、超俗というべきか、はたまた典雅というべきか。 さて、京大文学部には、かつて中国文学・史学の大家がそれこそひしめいていた。(と、過去形で言わなければならないのは、個人的には非常に残念なのだが。)その一人、吉川幸次郎(敬称略)は現代の基準からすれば立派にこの畸人伝に仲間入りできる資格を備えている。何しろ、彼が弟子や学生に向かって『君達の国はなっとらん、わしの国では。。。』と言うときの君達というの

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  • 『繋思談』の真の訳者 - MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

    ■いまやっている「日の翻訳論アンソロジー」関連の仕事で、どうしても気になっていたことの一つに、藤田鳴鶴・尾崎庸夫(訳)『繋思談』の実際の訳者の問題がある。柳田泉などが、実際に訳したのは学生時代の朝比奈知泉(のち東京日々新聞主筆となる明治のジャーナリスト)だと言っているのだが、典拠を示していないのだ。いったいどういう根拠で言っているのか、そこが知りたかった。たまたま目にした江藤淳(1958)「近代散文の形成と挫折―明治初期の散文作品について―」(『文学』第26巻7号)にも朝比奈説が出てきたので、江藤が典拠としている柳田泉のあるを取り寄せて見てみた。結論としては、柳田が朝比奈に直接問いただし、朝比奈が認めたということのようだ。ちなみに、尾崎は名義を貸しただけで、実際にはタッチしていない。ただし、かの「例言」を誰が書いたのかは結局わからない。柳田が聞き漏らしてしまったようなのである。「例言」

    『繋思談』の真の訳者 - MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ
  • これが初めて?中国史(16)

  • 西遊妖猿伝(諸星大二郎作) 元ネタ・リスト

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  • 404 Blog Not Found:性(悪|善)説を一冊で - 書評 - 右手に「論語」左手に「韓非子」

    2008年02月26日02:45 カテゴリ書評/画評/品評 性(悪|善)説を一冊で - 書評 - 右手に「論語」左手に「韓非子」 ありそうでなかった一冊。 右手に「論語」左手に「韓非子」 守屋洋 なんでこういう組み合わせが今までなかったのかが不思議なぐらいだ。 書〈右手に「論語」左手に「韓非子」〉は、性善説の代表的論者とされる孔子の「論語」と、性悪説の代表的論者とされる韓非の「韓非子」から、著者が40の言葉を選び、それぞれの言葉に2ページにわたって解説し、それを一冊のにまとめたもの。ここでは文字通り左手に韓非子、右手に論語が来るように目次をレイアウトしてみた。 目次 (手入力) 第1章 性善説か性悪説か 性善説は脇が甘くなる 『論語』の人間学 『韓非子』の統治学 第3章 『韓非子』の名言 韓非子の生涯 権限を手放すな 組織内部にも戦いがある 小さな忠義立てが仇になる 機密を漏らすな 情

    404 Blog Not Found:性(悪|善)説を一冊で - 書評 - 右手に「論語」左手に「韓非子」
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2008/06/15
    守屋先生の新書
  • そういえば昔、子貢をネタに中島敦風の短編を書きたいと思ったことがあったな - finalventの日記

    ⇒子貢 - Wikipedia ちょうど子路との対比で。 現在の論語が残っているのは、子貢の功績なのではないか。だとすると、論語の中の子貢の叙述は何を意味するのだろう。

    そういえば昔、子貢をネタに中島敦風の短編を書きたいと思ったことがあったな - finalventの日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2007/04/30
    論語の中には孔子の死がない。死のそばにあって子貢はプラトンやペテロのようではなかった。(たぶん和辻哲郎『孔子』)