今まで七回に分けて千字文の読み方(音読み)と、読み下し文、そして意味についてご紹介してきました。今日は、度に全部見たい!という方のために、ここにまとめて掲載しようと思います。 1~18 天地玄黃(テンチゲンコウ)宇宙洪荒(ウチュウコウコウ) てんはくろくちはき、うちゅうはこうこうなり。 天は玄(くろ)く地は黄色。宇宙は果てしなく広い。 日月盈昃(ジツゲツエイショク)辰宿列張(シンシュクレッチョウ) じつげつはみちかたむき、ほしぼしはならびひろがる。 日はのぼり西に傾き月は満ち欠けする。星は星座に宿りが並び広がる。 寒來暑往(カンライショオウ)秋收冬藏(シュウシュウトウゾウ) さむさきたりあつさゆき、あきにおさめふゆにたくわう。 寒さが来れば暑さは去る。秋に穫り入れ冬に蓄える。 閏餘成歲(ジュンヨセイサイ)律呂調陽(リツリョチョウヨウ) じゅんよとしをなし、りつりょはようをととのう。 閏(う
楷書の「龍」という形は殷墟甲骨文に見られる文字を継承したもので、「竜」という形は早くとも漢代以降に作られたものだが、「竜」が「龍」より古くから存在するというトンデモが存在する。 「竜」が「龍」より古いというトンデモには全く根拠がないが、ほとんどの人は漢字の歴史について無知なのと、このトンデモが本当なら意外なので(逆に)、一定数の人が信じているようである。 実際には、「竜」が「龍」より古いなどということは無い。これは「最終的には「龍」も「竜」も同じ甲骨文字に由来するのだからどちらかが古いと言うことはできない」というような表現的問題ではなく(それも一理あるかもしれないが、ここではどちらかが古いという表現を受け入れよう)、「竜」が「龍」より古いというトンデモが描いている歴史が決定的に間違っているという意味である。 この記事で「竜」「龍」の歴史を再確認することで、トンデモの歯止めになれば幸いである
ロックバンドのメンバーがツイッターで「漢文の授業ってまだあるの?」からはじまる漢文不要論を投稿し、賛否両論の反響が続々。すかさず反応したのが、国語・漢文関係の名門出版社「明治書院」。社長や編集者などにお話を聞いてきました。 国文学・漢文学の名門「明治書院」 老舗出版社と聞くと、書店街・古書店である神保町やお茶の水にあるのかなと思ったら、なぜか大久保。南に行けば歌舞伎町、北に行けば大久保コリアンタウンという、多様性のるつぼのような立地です。明治書院は1896年に神田錦町で創業し、今から15年前にこの地に移転してきたそうです。 私が明治書院に興味を持ったのは、中国古典のひとつである『易経(えききょう)』を学んでいるから。その延長で、ほ~んの少しだけ『論語』も読みます。学生時代は好きでも嫌いでもなかった漢文。あるきっかけで読みはじめ、「大人になって読む漢文はしみじみいいものだ」と感じています。だ
(7)に戻る 芥川賞作に大連の想い《大連の五月は…こんなに素晴らしいものであったのかと、幼年時代や少年時代には意識しなかったその美しさに、彼はほとんど驚いていた》 前回、旧制旅順高のくだりで紹介した作家で詩人の清岡卓行(たかゆき=平成18年、83歳で死去)。芥川賞受賞作『アカシヤの大連』(昭和44年下期)には外国からの租借地を故郷とする矛盾に苦悩しつつも、大連への迸(ほとばし)る郷愁が綴(つづ)られている。 清岡は大正11(1922)年、日本統治時代の大連に生まれた。父親は満鉄技師。大連一中(旧制)から昭和15(1940)年に新設された旅順高(旧制・関東州)の1回生として入学するも、わずか3カ月で退学、フランス文学を本格的にやりたくて一高(同・東京)を受け直す。旧制高校でフランス語を第一外国語とする「文丙(ぶんぺい)」クラスがあった学校は一高など、わずかしかなかった。 一高から東京帝大仏文
2023年は卯年だそうです。そこで「卯」にまつわる文章を書くことにします。 「卯」という文字の字源は現在でも明らかではありません。本記事では明らかではない理由を軽く説明します。 1. 「卯」の古文字字形 「卯」という字の古い形は以下のようになっています。 「卯」字の商金文、師組甲骨文、賓組甲骨文、西周金文 ここであげた古文字は甲骨文や金文でも十二支の4番目に用いられており、現在の形(「卯」)に至る変化過程も明らかですので、これらの字が現在の「卯」字の古い形であることは間違いありません*1。 一般に甲骨文の字形は両側が「」と角ばってますが、これは効率化(甲骨に刀で刻む場合直線は書きやすく曲線は書きづらい)のために筆画が簡略化されたもので、初期の甲骨文(上掲の師組甲骨文参照)や金文の形は「」と丸まっています。 2. 『説文解字』の「卯」の説明と「表意文字の誤謬」 『説文解字』の「卯」字の項目に
出典:『史記』孔子世家(ウィキソース「史記/卷047」参照) 解釈:文に優れている者は、必ず武にも優れている。転じて、文武は一方に偏(かたよ)ってはならないということ。「文事」は、学問・文芸などに関する事柄。「武備」は、軍備。 史記 … 前漢の司馬遷がまとめた歴史書。二十四史の一つ。事実を年代順に書き並べる編年体と違い、人物の伝記を中心とする紀伝体で編纂されている。本紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻の全百三十巻。ウィキペディア【史記】参照。 定公(ていこう)十(じゅう)年(ねん)春(はる)、斉(せい)と平(たい)らぐ。夏(なつ)、斉(せい)の大(たい)夫(ふ)黎鉏(れいしょ)、景公(けいこう)に言(い)いて曰(いわ)く、魯(ろ)、孔(こう)丘(きゅう)を用(もち)う。其(そ)の勢(いきお)い、斉(せい)を危(あや)うくせん、と。乃(すなわ)ち使(つか)いをして魯(ろ)に好会
出典:『貞観政要』君道(ウィキソース「貞觀政要/卷01」参照) 解釈:新しく事業を始めることよりも、その事業を維持し発展させていくことの方がいっそう難しい。 貞観政要 … 唐の太宗と魏(ぎ)徴(ちょう)や房(ぼう)玄齢(げんれい)ら臣下との間の政治上の論議を分類・編集した書。十巻40編。唐の呉(ご)兢(きょう)(670~749)の撰。ウィキペディア【貞観政要】参照。 貞(じょう)観(がん)十(じゅう)年(ねん)、太宗(たいそう)、侍(じ)臣(しん)に謂(い)いて曰(いわ)く、帝王(ていおう)の業(ぎょう)、草創(そうそう)と守成(しゅせい)と、孰(いず)れか難(かた)き、と。
淮南子 本經訓: 昔者蒼頡作書,而天雨粟,鬼夜哭 また,修務訓には: 昔者,蒼頡作書,容成造曆,胡曹為衣,後稷耕稼,儀狄作酒,奚仲為車,此六人者,皆有神明之道,聖智之跡,故人作一事而遺後世,非能一人而獨兼有之。 泰族訓には: 蒼頡之初作書,以辯治百官,領理萬事,愚者得以不忘,智者得以志遠 韓非子に 五蠹: 古者蒼頡之作書也 呂氏春秋に 君守: 奚仲作車,蒼頡作書,后稷作稼,皋陶作刑,昆吾作陶,夏鯀作城,此六人者所作當矣,然而非主道者,故曰作者憂,因者平。 蒼頡 出典 :フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:s.v. 蒼頡(そうけつ、倉頡とも。ピンイン: CāngJié)は、漢字を発明したとされる古代中国の伝説上の人物。 伝説によれば、蒼頡は黄帝に仕える史官であった。それまで中国の人々は、インカ帝国のキープのような縄の結び目を記録に用いていたが、蒼頡は鳥や獣の足跡の形によっ
倉頡(そうけつ cang1jie2 ツァンジエ) 倉頡(蒼頡)は姓を侯岡、名を頡と言い、倉頡先師や史皇氏とも称されます。《説文解字》には倉頡は黄帝時代に文字を作った左史官であり、鳥獣の足跡を見て啓発して文字の構成や分類をしたと言われており、漢字に到るまでの重要な役割を担ったと言われています。このことから、造字聖人と尊ばれています。 倉頡は一般には黄帝の部下として知られていますが、《河図玉版》や《禅通記》には倉頡はかつて帝として即位して倉帝と称していたと書かれており、古代中国の部落の首領ではなかったと考えれています。倉頡は道教中では文字の神として祀られています。 倉頡には瞳が二つあり、四つの目があったと言い、皇帝の徳を持って生まれ、星座の運行趨勢、鳥獣の足跡を観察して文字を創造し、当時の縄の結び目で情報を保存するやり方から文字を作り、文明を開きました。これに因み、文祖倉頡として奉られています
昔の中国語の発音 私の研究室があるお茶の水女子大学の建物は、だいぶ老朽化が進んでいる。特に授業の行われる教室が並ぶ3階はなぜか吹きさらしになっており、ひときわ傷みが激しい。初めて赴任してきたときには、「ここを開けておくと冷蔵庫になります」「ハクビシンが入ってきます」という張り紙も目に入り、軍艦島の廃墟に来たのかと思った(なお、教室の中だけは改修してあるからきれいだ)。 ところで、私が現在入っている部屋の前任者の前任者は、頼(らい)惟勤(つとむ)先生だったと聞いた。頼先生は『日本外史』などで知られる江戸後期の大学者・頼山陽の直系の子孫である。すでに亡くなられて久しいが、YouTubeに孟子の素読を行う音源が上がっている。本来、素読とはこのように節をつけて読むものだったことがわかる。 その頼先生が専門としていたのが音韻学で、私も大学生のときにご著書『説文入門』『中国古典を読むために―中国語学史
久しぶりのマイ書評。老眼の進行とともに読書量が極端に落ちている。 もう十年以上前になるが、急性仏教かぶれを発症して仏教関係書をいろいろ読んだことがある。 仏教の篤信者として知られた中国南朝梁の皇帝・武帝についても知りたくなって関係書を検索したが、ヒットした一冊の森三樹三郎『梁の武帝―仏教王朝の悲劇』は版元品切れで確かAmazonマーケットプレイスではとんでもなく高値が付けられていたのだった。 その時は代わりにつか吉川忠夫『侯景の乱始末記──南朝貴族社会の命運』(中公新書)というのを読んだのだった。これはこれで好著でたいへん面白く読ませていただいた。 www.watto.nagoya なおこちらも中公新書版は版元品切れで、志学社からの復刊が新刊で手に入るようだ。 侯景の乱始末記──南朝貴族社会の命運 (志学社選書) 作者:忠夫, 吉川 志学社 Amazon 面白いなんて書いたがそれは国と時代
4月5 中島隆博『中国哲学史』(中公新書) 7点 カテゴリ:思想・心理7点 「哲学」というと、どうしても西洋のものということになり、中国や日本のものは「思想」という形で括られることが多いですが、本書は、あえて「哲学」という言葉を使い、西洋哲学や仏教との比較や対話も試みながら、中国哲学の歴史を描きだしてます。 中国の思想を紹介する本は数多くありますが、基本的には諸子百家を中心にそれぞれの違いなどを論じたものが多いです。そうした中で、本書は、中国内の関係(例えば孔子と老子)だけではなく、中国の外から来た思想との関係(例えば儒教と仏教、キリスト教)を見ていくことで、より立体的な中国哲学の姿を構築しています。 索引なども入れれば360pを超える本で、内容的にも難しい部分を含んでいるのですが、今までにないスケールで中国の思想を語ってくれている本であり、中国社会を理解していく上でも興味深い論点を含ん
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